44 姉弟
二話目。
ステファニーがそれを知ったのは、前世の記憶が蘇り元気に蒸留酒を作り上げた後のこと。
ちょっと落ち着きを取り戻し、亡くなった母に興味を持った十歳のころだった。
(あの頃は余裕がなくて、とにかくこんな私でもお貴族様として生きていけるよう土台作りに必死だったのよね)
だから後回しにしていた。亡くなった母を知る機会を。
八歳のステファニーも、記憶にない存在しない生母より、可愛がってくれる温かな義母に懐いていた。だからステファニーは生母について何も知らなかった。
素直に生母のことが知りたいと侯爵に訴えて、せっかくだからと生母の遺品を譲り受けた。アンティークな小物から価値ある宝石。嫁入り道具だろう鏡台を譲り受けたステファニーは、そこから母の軌跡を探った。
そして気付いた。鏡台の引き出し、その奥に残された鍵の付いた日記帳。鍵穴に鉄くずが詰められて、誰かが故意に壊した形跡のある日記帳。
どう考えても不穏な呪物にしか見えない日記帳を、ステファニーはこじ開けた。
だってこういうのは無視したら後々厄介な思いをするって、前世の勘が訴えていたから。
そしてそれは正しくて、書かれていたのは恐怖と嫌悪と絶望に満ちた妊婦の嘆きだった。
彼女の兄は、とても気弱な男だった。
内気で吃音持ちで、神経質。跡継ぎとして支障ありと親に判断されるほど他人と関われず、末の弟に爵位を奪われるくらい結果が残せない男だった。
継承者が弟に決まった日、彼女は兄が気落ちしていると思って慰めにいった。兄妹仲は良好で、不向きなのは仕方がないと。このままでは弟のすねをかじる厄介伯父として扱われてしまうので、それを心配しての訪問だった。
兄は別宅に引きこもって酒に溺れていた。見捨てず近付いた彼女は…。
(――酒って、毒よね)
破綻した仲のよかった兄妹。彼女はその日の出来事を誰にも言わなかった。言えるわけがなかった。
兄を庇ったのではない。彼女の名誉が汚されるから口にできなかった。告げられなかった。近しい侍女にも弟にも、勿論夫にも。
そして暫くして腹に宿った命に気付いて血の気が引いた。母親の直感が兄の子だと告げていた。
しかし侯爵の子である可能性もある。堕胎して侯爵の子だったら。兄の子だったら。誰にも何も言えないまま腹は膨れ、いよいよ臨月と言うときに、兄が首を吊った。
酔っていない、正気の彼は気弱な男だった。妹が自分の子を生むかもしれないという事実に耐えきれず、自殺した。
兄の凶行を知った彼女は、深い怒りと憎悪を日記に書き綴り…陣痛が始まり、日記は終わった。
この鍵に詰まった鉄くずは、万が一を思って書き手が施した封印だった。
その封印を、十歳のステファニーがぶち壊した。
(山間にある祠を壊して呪われた人の気分)
気分が悪くなったのは自業自得。壊してはならない、目に見えて開けてくれるなと願われたそれをこじ開けたのだから。
しかし知らなければならない呪わしい出来事だった。
十歳のステファニーは生母の遺品、鏡台を見詰めた。鏡に映るのは、豪奢な金髪に赤い目をした妖艶な子供。父に似ず、母に似ていると言われる顔立ち。母の家系の赤い瞳。
(ぶっちゃけどっちの子だかわかんない)
生みの親に似ているのだから、どうとでも言えてしまう。
しかもこの国では、たとえば生き別れの親子を証明する手段が存在しない。相手の主張を認めるか、認めないかしか手段がないのだ。
ここでステファニーが日記片手に自分は侯爵家の人間ではないと主張した所で、その証明は誰にもできない。たとえ自殺した男と生母が生きていたとしても難しい。酒の過ちがあったと認めた所で、ステファニーがどちらの子なのか証明はできない。そう、悪魔の証明になる。
だが、生母は確信していた。母親として、腹の子が兄の子だと。
絶望は、人を殺す。
きっと生まれ落ちた子を見て、確信を深めたのだろう。だからそのまま帰らぬ人となった。
(勘違いかもしれない。思い込みかもしれない…でも、かもしれないって部分があるのが問題なのよ)
ステファニーは生まれたときとても弱々しかった。成人まで生きられないと言われるほどに弱っていた。
近交退行という言葉がある。遺伝子が近すぎて、適応性や繁殖障害。強健性や発育性が低下する現象だ。生まれて暫く弱っていたのは、強健性に問題があったからかもしれない。今では健康だし発育も自信があるが、そう思えるくらい幼い頃は身体が弱かった。
確証はない。だけどもしかしたら、ステファニーは父の血を継いでいない可能性がある。
そんな可能性のある娘に、跡を継がせることはできない。
できないのに。
(…私、でっかい功績を残しちゃったわ)
国の歴史書に名を刻むかもしれないくらいでっかい功績だ。
酒造の国に、新たな酒造方法を開拓した女として、きっと歴史書に載るぞと大人達が騒いでいたのは記憶に新しい。侯爵家は安泰だと父も赤ら顔で笑っていた。
父は、侯爵は、何も知らない。
自らの名誉のため、母が必死に隠した悲劇も。何もかも。
(死人に口なしとは言うけれど、これはないでしょう!)
十歳のステファニーは、子供らしからぬ険しい顔で頭を抱えた。
(このまま知らぬ存ぜぬを貫いて侯爵家を継ぐ? 無理! 侯爵家の乗っ取りになっちゃう! じゃあこの日記を持ってお父様に突撃? 無理! こんなん流石のお父様でも豹変しちゃう! 怒りを向ける相手が死んでいるんだから、残された私がどう思われるか不明瞭すぎる!)
保身に走るのかと怒らないで欲しい。そりゃ走る。
ステファニーは十歳。前世の記憶を取り戻して二年。まだまだ世界を知らないお子様だ。
この二年でとっても馴染んだこの場所に、こんな爆弾放り投げられない。
「姉様、頭が痛いのですか?」
「シュテイン」
ひょっこり現れた弟は、頭を抱える姉を見て心配そうに近寄ってきた。
金の髪に紫の目をした、父親によく似た面差しの弟。
「姉様、大人と難しい話ばかりだから、疲れが出たのでしょう。ゆっくりお休みするのも仕事だと、僕の侍従が言っていました。だから、僕と一緒にお昼寝しませんか」
間違いなく侯爵の血筋である弟は、偽りの姉かもしれないステファニーの手を握ってそう言った。
(…つまり、シュテインと私は腹違いどころか赤の他人の可能性があるのね)
なにそれ萎える。
今世で可愛い弟ができたぞひゃっほーいって大喜びしたのに、実際は他人で彼が得るはずの立場を奪っていると考えるととっても萎える。
「今お昼寝したら、姉様怖い夢を見そうよ…」
「ええ!? そ、そんなにお疲れなのですか!」
「なのですわ…」
ステファニーはシュンと萎れた。しおしおになった。
「それならやっぱり僕と一緒にお昼寝するべきです」
「えっ」
まだステファニーより身体の小さい弟は、ステファニーの手を握って寝室へと引っ張った。
子供らしく有無を言わせず連れてきたのはとっても大きなテディベアが寝台の半分を占領しているステファニーの寝室。シュテインはそこに姉を突っ込み、自分も隣に滑り込んだ。
握りあった手は布団の外。巨大なテディベアと小さなシュテインに挟まれたステファニーは、幼い目を丸くして弟を見た。
あどけなさの残る弟は、目を瞬かせる姉を見て笑う。
「僕は姉様の弟なので、一緒に眠ったら同じ夢が見られます」
「そ、そうなの?」
「はい。護衛には無理です。弟の僕じゃないとだめです」
「あら、まあ…」
何故ここで護衛…と思ったら、八歳の誕生日にステファニーが護衛に添い寝を頼んだのを、誰かから聞いたのだろう。
「姉様の悪い夢を僕が追い払うので、姉様は安心してお休みください」
笑う弟に…幼いステファニーが歓喜する。
あの日できなかった、護衛に断られた添い寝。大好きと大好きに挟まれて眠りたかっただけの幼いステファニーが、弟が進んでしてくれた川の字に大喜びだ。
そう、弟。
ステファニーの弟だ。
「…いーい男ね、シュテイン」
「姉様?」
「姉様頑張るわ」
「頑張りすぎなので、お休みしてください」
「ありがとう。弟がいい男で、姉様鼻が高いわ」
不思議そうなシュテインに笑い返し、その日は弟と一緒に昼寝をした。
――封印をこじ開けた呪物の日記は、次の日に焼却炉に突っ込んだ。
それは母の名誉を守るためでも、自分の地位を守るためでもない。
シュテインの姉として、シュテインが後継に選ばれるよう画策するためだ。
事実を侯爵に告げれば、僅かにある自分の子ではない可能性を考慮して、ステファニーは跡継ぎから外れるだろう。けれどステファニーは功績を残しすぎた。十歳にしてこれなのだ。大人になってからも期待値がとても高い。そんなステファニーを自ら放逐するほど、侯爵は無能ではない。
ならばどうするか。分家筋に嫁がせるか、最悪…ステファニーを養子に出して、シュテインに嫁がせる可能性がある。
(同じ腹から生まれた姉弟ならあり得ないけれど、違う腹から生まれたならあり得るわ。血を守るため、近い血同士で子を作った歴史は残っている。しかも他人の可能性があるならやっちゃうかも。万が一侯爵がとち狂ったら私はシュテインの姉でいられない)
それは駄目だ。
ステファニーは、シュテインの姉であると決めたのだ。
前世好みのいい男だが、現世のステファニーにとっては大事な弟。
事実を知ったときには、もうステファニーはシュテインを弟として認識していた。大事な弟だが、伴侶にはならない。愛は愛だが、種類が違う。いくらいい男でも、弟と思っている子をつまみ食いはしない。
(私はシュテインの姉のまま、侯爵家を継がないよう奔走しなくちゃ。お母様の名誉を守り、お父様の心を守り、侯爵家に大きな傷を付けないように、シュテインに爵位を譲り渡す…難関だけど、やるっきゃないわ!)
十歳のステファニーは、弟の姉で居続けるために、悲劇の証拠を隠滅した。
生まれの罪も、呪わしい経歴も全て。
いずれその罪が明るみに出る日が来るかもしれない。それでも少しでも長く、幼いステファニーのささやかな願いを叶えてくれた弟の、姉でいたかった。
弟じゃなければなあ、とか言いながらこの子の姉でなきゃいけないからなぁとか思っているステファニー。弟として出会わなければつまんだが、弟として出会ったのだからそれが全て。おまんは弟。
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