41 何よりも
黒々とした目が、じっとステファニーを見詰めている。
「怪我でご不便をおかけするとお思います。私にできることはありますか?」
感謝の気持ちは本物だ。申し訳ない気持ちも勿論ある。
けれどヨーゼフは、ステファニーに好意があって侯爵領までやって来た。
公爵令息に怪我を負わせてしまったその責任を負うのはステファニー。
その意味も込めて、責任の取り方をヨーゼフに問いかけた。
「確かに俺は今、右手が使えない状態だ…」
…繰り返すが、騎士としてこの傷は致命的かもしれない。
リハビリで回復するのか、どこまで回復できるのか、それはヨーゼフの努力と回復力に期待するしかない。
彼が騎士として対応するのか、公爵家の者として対応するのか、ステファニーはじっと待った。
ヨーゼフは言葉を切り、迷いを見せる。少しだけ視線を彷徨わせ、しかし意を決したようにステファニーの赤い目を見た。
「…利き手でないから上手く文字を書く自信がないが、手紙は出し続けていいだろうか」
「…は?」
とっても真面目な顔で言われた言葉に、ステファニーは思わず目を丸くした。
「手紙は…文通は、続けさせてくれ…!」
真面目な顔をしていたヨーゼフが、情けなく顔をくしゃくしゃにして訴えている。
文通は続けたいと訴えている。
――つまり、利き手を負傷していても、手紙のやりとりは続けたい、と。
(…不便でしょって聞かれて、まず出てくるのが、手紙?)
つまり彼は騎士でも、公爵家の者としてでもなく。
ヨーゼフ個人として、ステファニーに向き合っていた。
二ヶ月剣が握れないことよりも。数多ある不便を差し置いて。
この男は、剣よりペンが握れないことを気にするのだ。
ステファニーとのやりとりを続けたいがために。
「ん、ふふふ…っ」
思わず漏れたのは、堪えきれない笑い声だった。
「あーダメ、笑っちゃうわ…!」
「ステファニー?」
きょとんとしているが、貴族としてその対応は如何なものか。
アルガッツ公爵家として、リスクアール侯爵家の弱みを押さえ、有利な条件を突きつけるなど利用方法はたくさんあったのに。なんならこの傷を理由にステファニーに押しかけることもできたのに。
まさか子供のように、文字が書けなくても文通を続けたいなんて言い出すとは!
「ヨーゼフ様ってば、どんどん可愛くなっていくわね!」
「そ、そうなのか?」
「んふふふふっ」
(最初は本当に、なんだコイツだったのに)
知れば知るほど可愛く見えてくるなんて、なんて卑怯な男だろう。
何度試しても、予想外に食らいついてくる。その必死さがおかしくて、なんだか愛おしく思うなんて。
駄犬に見えてしまったのが敗因だろうか。
そう、敗因。
「ふふふ…そうねぇ…観念すべきかしら」
「…姉様、まさか」
ひとしきり笑うステファニーを呆然と見ていたシュテインが、さっと顔色を変える。そんな弟の背を軽く叩いて、ステファニーはヨーゼフとの距離を詰めた。
「色々考えたのだけれど、私を庇ってヨーゼフ様が怪我をなさったのだから…つまりそれって」
触れ合うほど距離を詰めて。
のし、とヨーゼフの膝に乗った。
ヨーゼフの目が見開かれる。にっこり笑って視線を合わせ、頬を肩に乗せた。
乗ったのは怪我に触れないよう左の足。左の胸にぴったり貼り付いて、太い首筋を指先でなで上げた。
「私がヨーゼフ様を、キズモノにしちゃった…ってことじゃない?」
「――待ってください姉様それは」
「なら、責任をとらなくちゃ…ねえ? そうよね?」
「それはどちらかと言えばキズモノにされた側が不適切な要求をするときにする言動…!」
失礼な。
確かに「あなたの所為でキズモノになったのであなたが責任をとって!」なんて言い分で相手を縛り付ける悪役みたいな言い分だったかもしれないけど、間違っていないはずだ。
なんなら傷を負ったヨーゼフが言い出す候補として考えていた台詞だが、関係ない。
だってヨーゼフは言わなかったから。
ステファニーは、ステファニーを庇って傷を負ったヨーゼフに対して借りがある。怪我をさせた責任をとらなくてはならない。
だけど相手がそれを明確にしないなら、こっちで勝手に責任の取り方を決めてしまっていいだろう。いいはずだ。いいに決まっている。
ステファニーはヨーゼフの右の頬を支えて、左の頬にんちゅっと口付けた。
瞬間、ヨーゼフとシュテインに落雷が落ちる。
シュテインの眼鏡がご臨終し、ヨーゼフは柔らかな感触と艶やかなリップ音に硬直する。
真っ赤な口紅が、ヨーゼフの頬に印を押した。
書類に押される拇印のように、しっかりと。
「一日過ぎちゃったけれど、私の誕生日プレゼントはヨーゼフ様でいいわよ」
とっても上から目線で居丈高に、女王のような貫禄でステファニーが囁いた。
「貰ってあげるわ」
顎先を擽るように指先を遊ばせて、誘うように離れる。
「だけど、覚悟してね…」
座った足に素足を絡め、その場に縫い付ける。
貰うと決めたからには。受け取ると決めたからには。
「――もう、逃がさないから」
背中を向けることは許さない。
誘った指先はステファニーの口元へ。紅の薄れた唇と、口元の黒子を撫でた。
囁かれたヨーゼフは宇宙を背負い、一部始終を目撃することになったシュテインは疲労と緊張も相まって卒倒した。
人が倒れる音を聞いて正気に返ったヨーゼフは、遅れて瞬きを一つ。
「…す、てふぁにー?」
「なぁに可愛い人。無事な左手で抱いてくれていいのよ?」
ステファニーの言葉を理解した瞬間。
「――ん゛っっ!!」
「あらまぁ、んふふふふ」
ヨーゼフも沸騰して気絶した。
ステファニー・リスクアール侯爵令嬢。
この人と決めたら、絶対逃がさない肉食系女子。
決めたからには、手放す気はなかった。
「自分から飛び込んできたんだもの。いいわよね?」
気絶した男二人を介抱しながら、ステファニーは晴れ晴れと笑った。
捕まったと思った?
捕まえたのはこっちです。
捕まえたからには逃がしません。
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