39 疑う心と信じる心
か弱い令嬢の平手は力が弱く大した威力にならないが、素早い手の振りと同じくか弱い女性に繰り出された平手は、思いのほかクリティカルヒットしてエンテの頬を赤く腫らす。
突然の衝撃に、エンテは呆然とステファニーを見た。
「献身は素晴らしいわ。好きな人のために何でもできるのって素敵よね。でも好きな人のために、大事な人を裏切るのは違うのよ! 何より…あなたを大事にしていない人のために、あなたを大事にしてくれている人を裏切るなんて馬鹿げているわ!」
仁王立ちしたステファニーは堂々と、凜とした立ち姿でエンテに対峙する。
一方エンテは、おどおどと頼りなくステファニーを見上げていた。
「裏切るなんて、そんな、たいしたことじゃ」
「大袈裟? たいしたことじゃない? もっと想像力を働かせなさい! あなたのしたことは街の人、両親に対する裏切りよ。自分が何をしても好かれていると思っているの? 裏切られた側は哀しいし、幻滅するし、恨めしく思うものよ。あなたを信じていたなら尚更ね」
泣き伏した女将と覚悟を決めた店主の顔が、ステファニーの脳裏を過る。
異変に気付いた時点で報せるべきだったが、彼らも娘を信じようとしたのだ。それを裏切られ事件が起きて、彼らは慌てて駆け込んできた。エンテが信頼を守ったならば、そうする必要もなかった。
「だいたいね、そのイメギがいい人って言うのは…絶対にないわ! あなた、好きな人の本性が全く見えていなくてよ!」
ステファニーはビシィッとエンテを指差した。その手をそっと隣のシュテインが下ろす。
姉を止めることはできないが、人を指差すのは無作法なのでそっと正した。
「明らかに情報を抜くためにあなたに近付いてきたじゃない。情報を横流ししてくれるから待遇がよかっただけよ! つまり色仕掛けよロミオトラップよ。新酒を盗んで売るために情報が欲しかっただけで、利用されているだけ。絶対愛されていないわ!」
「そんなことないです! あ、愛してるって言ってくれました! 一緒になろうって言ってくれてます!」
「言葉だけでつられてるんじゃないわよ!」
「キスもそれ以上もしてくれたもん!」
「簡単に食われてんじゃないわよ! 許されるのはつまみ食いまでよ!」
つまみ食いも許されないと突っ込みたかったがシュテインはグッと堪えた。
突然始まった女の喧嘩に男達はオロオロしている。
こういうとき、男は仲裁にも入れない。エンテを拘束している護衛は貝になっていた。
「いいこと? 好きなら肯定ばかりしないで疑いなさい。信じたいなら疑いなさい。疑って探って本心を見付けなさい。信じることは大事よ。だけど信じるに至る土台はもっと大事よ! 信じるために疑うの。疑ってはじめて本当の相手が見えてくるのよ! 肯定ばかりで自分に都合のよい言葉ばかり言ってくる相手はね、薄いのよ! 理解が薄いわ。そんな相手に身も心も預けるなんて愚の骨頂よ」
ヨーゼフは慌てて自分の胸に手を当てて過去の言動を振り返りだした。
称賛ばかりで理解が薄いと思われていないかと慌てていたが、ステファニーは後ろが見えないので、そんなヨーゼフの動作も見えていない。
「疑って見えてきた相手の本心こそ愛せるなら、信じなさい。そこまで見て愛せたのならどんな悪行でも信じて愛して添い遂げればいいわ。そうじゃないなら騙し騙されただけの薄い関係よ」
「す、好きなら、どんなことだって…」
「その男を好きなのはあなただけ。私も他の人も、好意的に見ていないの。正直嫌いよ。でもあなたが悪党に味方する程好きなら仕方がないわ。たとえ愛されていなくても、好きだから味方したのでしょう。騙されていてもいいって思ってのことなんでしょう」
「ちが、わたし」
エンテの目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
ステファニーはそれを拭わない。
「身も心も捧げるなら、それくらいの気持ちでいて欲しいわね。じゃないと舞い上がるだけ舞い上がって、こうやって悪い男に騙される」
「わ、私…ごめ、ごめんなさい」
「…それでも愛していると言えないなら、あなたの愛はそれまでね」
ステファニーの言葉に、エンテは呆然と目を見開いた。
震えて、謝罪を繰り返す。しかしステファニーはそれ以上何も言わず、エンテに背を向けた。
エンテの謝罪は続いていたが、話が終わったと判断した護衛に引きずられ、彼女は犯人達と一緒に連行される列へ移動した。
「…あの娘は知り合いでしたか」
「領地の娘はだいたい顔見知りよ。けれど距離が近くなりすぎたのね。これから見直さないとだわ」
ヨーゼフの問いに答えながら、ステファニーは親しくしすぎた自分も悪かったと考える。
地位のあるステファニーが気軽に話しかけることで、気易い接し方をすることで、自分も特別なのだと勘違いさせてしまったかもしれない。
もしくはステファニーが、自分たちが何をしても助けてくれる存在だと誤認した可能性もある。
ステファニーは確かに、領民を助ける。
…けれどステファニーだって貴族なので、自分に都合のよい相手しか助けられない。
それと。
「彼らはシュテインを巻き込んだ。絶対許しちゃいけないわ」
「…そもそも姉様が狙われていたこと、忘れていませんか」
「有利に立つためにシュテインを利用しようとした精神許しがたし。エンテは自業自得だけれど、若い娘を利用したのも許しがたいわ。全員末代に決定。切り落としましょう」
焼いてもいいわと宣言するステファニーに、聞いていた全員が内股になった。
「姉様、何の話ですか姉様。どうしてそうなったのですか姉様」
「…あ、家族がいるなら末代にならないわ…流石に無関係な家族を巻き込むのは気が引けるわね…ガチの末代は罪が重すぎるから、お前達を末代(概念)にするくらいが丁度いいかしら」
「姉様聞いてください。姉様」
帰るため愛馬に近付くステファニーと姉のとんでもない発言に混乱するシュテイン。ヨーゼフは崖の上にある荷物を取りに行こうとしたが、侯爵家の者が代わりにとってくることになり位置情報を教えていた。逃げたわけではない。
「犯罪者の血はね、そこで打ち止めにすべきなのよ。かといって親兄弟にまで手が伸びるのはちょっとね。組織的だしどこまで関係者かしっかり調べないとガチの末代にはできないわ」
今回の件、実を言うとほとんど表沙汰にできない。
盗まれたのが新酒のため、発表前の酒が盗まれたと騒ぐことはできない。侯爵令嬢誘拐未遂。令息誘拐事件も新酒が関わってくるので、領地内の事件として揉み消すしかない。
しかし罪状がなくなるわけではない。領地で起きた犯罪は、領地で裁くことが許されている。
内容を書面にして残し、王家に提出することが義務づけられているが、領主は本当に領民をプチッとできる存在なのが怖い所だ。
そしてステファニーは領主ではないが、領主代理として指示を出すことが許されている。
つまり、犯人の限定的な部位をプチッとできる立場にある。
ガチでできるだけに、シュテインは頭を抱えた。
「罪状としてあり得ますが真っ先にそれが出てくるんですか…」
「当たり前よ。そうやって女の子に取り入って情報源にしている前科もあるし…そうやって生まれた犯罪者の子供なんて、生き辛くて仕方がないんだから」
ステファニーは深く、息を吐いた。
「子がまともならまともな程ね」
「姉様…?」
シュテインが訝しげな声を出したが、ステファニーは振り返らなかった。愛馬に跨がろうと手を伸ばし…。
――近くで馬が嘶いた。
正常でない嘶きに、ステファニーは視線を向ける。
薄暗い森の奥で暴れる馬が見えた。その近くで引き倒された連行前の犯人。馬の足が地面を蹴った。
こちらに向かって。
「――シュテイン!」
ステファニーは咄嗟に弟を突き飛ばした。
馬の蹄が視界に入るほど持ち上がる。それがスローモーションのように、やけにゆっくり見えた。
「姉様!」
悲鳴が響いた。
信じるために疑うの大事だと思っている。疑わずに信じるって難しい。信じるための土台があってこそ。
嘘でも信じられて愛せたのなら貫け。
エンテは貫けませんでした。裏切られるとも、罪だとも思っていなかったので。
そして再び不穏な終わり。
面白いと思ったら評価かスタンプをぽちっとなよろしくお願い致します!