37 ご乱心
シュテインの絶叫を聞いたステファニーは心底安堵した。思わず鬼気迫っていた顔から力が抜けるくらい安堵した。
(いつものうちの弟の言動だわ…)
いつも通りで心底安堵した。
とても心配だったのだ。
本当に心の底から心配した。
(よかった! 口には出せぬあんなことやこんなことされてなさそう!!)
うちの弟が汚されていないか!! とっても心配だったのだ!!
(だってシュテインを攫うなんて! 見るからに屈強な男を狙うなんて!! それだけの執着がなければまず攫おうなんて考えないわよ!!)
ステファニーの弟は十七歳と若いが、がっちりむっちり筋肉が付き老け顔も相まってかなり強そうに見えるのだ。
そんなガチムチ高身長の護衛付き貴族令息を攫うなんて正気を疑う。
衝動的犯行にしたってそんな衝動を抱くなんてヤバすぎる。ステファニーは嵩張るが、シュテインはそれ以上に嵩張るのだ。どうやってここまで運んだ。
酒を五つも盗んでおいて、シュテインまで攫おうなんて強欲が過ぎる。
(二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉を知らんのか! 知らんかったんでしょうけど!)
犯罪は重ねるほどに危機感が薄くなる。
捕まる筈がないと妙な自信がつき始め、慎重さが薄れていく。ここで変わらず慎重に罪を重ねるなら覚悟と信念のある悪党だ。中身がスッカスカな悪党ほど、回数を重ねるごとに罪の意識が薄くなっていく。ペラッペラに。罪の意識が薄まるから、警戒心も希薄になる。
つまり油断。慢心の塊。
しかしどれだけ慢心を重ねたペラッペラでも犯罪者は犯罪者。弟の身に何かあっては一大事と、ステファニーは侯爵家の誰よりも早く馬を駆けて森まで来た。
侯爵家の愛馬に跨がり、日の落ちた森を全力疾走。
普通に危ないしご令嬢のすることではないが、残念ながらステファニーを止められる人は誰もいなかった。ちゃんと侯爵家の護衛達も付いてきているので安心して欲しい。
だとしても居場所もわからないのに走り回るなんて無謀だって? それだってちゃんとわかっている。
なのでステファニーは愛馬を、騒がしい方へと走らせた。
嵩張る弟を誘拐して、祭りが終わるまで待機なんて悠長なこと、どれだけ油断していてもしないだろう。祭りが行われている中を大所帯で移動するならどうしても騒がしくなる。ステファニーは愛馬に、人の動きがある方向に進むよう指示を出した。
その指示通りに動いた愛馬。明かりが進行方向に見えた瞬間、ステファニーは愛馬に向かって称賛の声を上げた。
「ハラショ――――ッ!!!!」
「げべらぁっ!!」
一人跳ね飛ばしたが、わざとではない。
ちゃんと愛馬の足ではなく鼻面で吹っ飛ばした。大怪我はしても死んでいないはずだ。感覚は峰打ち。つまり切り傷はないけど打撲はあるってこと。
ちなみにハラショーはロシア語で「素晴らしい!」「了解!」などの意味がある。基本的に相手を褒め称えるときに使うが、異世界では意味が通じないのでスルーされた。ステファニーの奇声より衝撃的な物があったので。
太ももだ。
男のように馬に跨がりここまで来たので、すっかりスカートがめくれて白い太ももが曝け出されている。
乗馬と言えば前世の記憶からこのスタイルが自然に思えて仕方がないステファニーは、領地ではもっぱらこの乗り方だった。女性らしく足を揃えた横座りは、逆にバランスがつかめない。
前世の知識から乗馬服を作って着熟しているが、むっちり肉欲的美女ステファニーが引き締まった乗馬服を着ると、それはそれで身体のラインが強調されてとってもいかがわしかった。そんな衣服で馬に跨がるので、指導の男性が前屈みになるほどだった。
はしたないからやめろとシュテインには言われたが、ステファニーは自分の乗りやすさを優先した。
そもそも。
「馬を乗りこなしてこそ淑女でしょう!?」
「何か違う…!」
力強い断言だったが、ステファニーが主張するとどうしても(意味深)が付随する。
とにかく跨がるスタイルが常なステファニー。急いでいたので乗馬服に着替える余裕はなかったが、安心して欲しい。ちゃんと穿いていますよ。
夜じゃなかったら生足魅惑のマーメイド状態で視線を独占していたかもしれないが、夜なので中身がチラ見えしていたとしても誰の目にも留まらなかった。
ランタン片手に硬直している人影があるが、ステファニーには弟の姿しか見えていない。
ステファニーは慣れた動作でひらりと馬から降りて、胃を押さえているシュテインに飛びついた。両手を伸ばして頬を包み、暗闇で見えづらい顔を覗き込む。
「無事でよかったわ、怪我はない? 怪我は…眼鏡がぁ!! 重症じゃない!!」
「小さくひび割れた程度です」
シュテインのトレードマークと言っても過言ではない眼鏡にヒビが入っていた。
思わず絶叫するステファニーに、シュテインが呆れた声を出す。元気そうだが、よく見ればあちこち擦りむいていた。大怪我はしていないが擦り傷だらけだ。
しかし、衣服に大きな乱れはない。取っ組み合いをしたあとはあるが脱がされた形跡はなし。よし。
「それよりも! どうして姉様が単騎でここまで乗り込んできたのです! 周りの者達は一体何を…」
「だってシュテインがク○パからピ○チにされたなら助けるのはマ○オしかいないでしょう!」
「いつも以上に姉様が何を言っているのかわからない…」
実はいつも通りじゃないのはステファニーの方だった。
領地の祭りでの事件。重なる問題。助けが欲しいと呻いた所で助けになる筈の弟が誘拐されたという報せが届き、頭がぱーんっと弾けていた。
普段ならいくら心配でも屋敷で待っていたが、周囲の制止を振り切って黒馬に跨がったのは頭がぱーんっと弾けているからだった。
ステファニー、ご乱心。
姉の言動に戸惑うシュテインだが、姉が興奮状態と察して落ち着かせるため薄い肩に手を置いた。
「私は大丈夫です。大きな怪我もありません。アルガッツ公爵令息が助けてくださいましたので、無事ですよ」
「え、ヨーゼフ様…?」
ここでようやく、ステファニーはランタン片手に固まっているヨーゼフに気付いた。
振り返り、目を見開くヨーゼフに気付く。ヨーゼフは雷が落ちたように背筋を正した。視線がちょっと下だったのは釘付けだったからとしか言えない。
「何故ヨーゼフ様が、ここに…」
「…お許しを、頂けたので…あ、雨で遅れてしまったが、ステファニーへ誕生日の祝福を、と…」
(ちょっと取り繕ったな)
雨で遅れたのも事実だが、この場にいたのは迷子になったからだ。
シュテインには取り繕わなかったが、ステファニーには咄嗟に取り繕っていた。流石に想い人に迷子になりましたと言えなかったようだ。
ちなみにヨーゼフは方向音痴ではない。確かに森に迷い込んだがそれは案内板が倒れていたからで、その後何度も迷ったのは倒れていた案内板が逆さまに取り付けられてしまったからだ。直した村人達のミスである。
しかしそんなこと、誰も知らない。
「…ハッ。荷物は上にあるので手元に贈り物はありませんが厳選した物を持って来て」
「ヨーゼフ様!」
「ルッ!!??」
「姉様!?」
勢いよく、ステファニーがヨーゼフに抱きついた。
背の高いヨーゼフの首に縋り付くように、勢いよく、正面から飛びついてきた。
「ありがとうございますシュテインを助けてくださったんですね! ありがとうございます嗚呼! よかった! ヨーゼフ様が居てくださって本当によかった!」
「…っ! …、…っ! …っっ!?」
全身で感謝を表わすステファニーに、抱きつかれたと理解したヨーゼフの顔色が変わる。真っ赤に染まった肌に、シュテインの眦が吊り上がった。
感謝感激雨あられ状態のステファニーは全く気にせず、首に回した手を伸ばしてヨーゼフの黒髪を掻き乱す。気分はとってこいを成功させた愛犬を褒める飼い主。効果音はよーしよしよし、よーしよしよし!
ヨーゼフを褒め称えながら、ステファニーは自分のことも絶賛していた。
(ヨーゼフ様に無茶振りした私、グッジョブ!)
やってよかった無茶振り。してよかった試し行動。
あのときあのタイミングで手紙を返していなければ、シュテインはあのまま攫われてあんな目やこんな目にあっていたかもしれない。
(あーよかった! するものね無茶振り!!)
何が結果に繋がるかわからない。良い意味で繋がってよかった。
ひとまず感謝の気持ちを伝えるために、全力でハグした。
侯爵家の護衛が追いついて山となっている犯人達を縛り上げるまで、ステファニーはヨーゼフを全身で褒めた。
ヨーゼフの手はおたおたと宙を彷徨っていました。お触りの許可が出ていないので。
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