33 ぱーんっ
女将の話では、三ヶ月前からエンテが浮つき出したのだという。
「仕事の合間に出掛けてはギリギリに戻って来て…綺麗な髪留めを貰って嬉しそうにしている様子から、いい人ができたのはわかりました。楽しそうだったので、関係として順調なのだと…娘に確認はしませんでしたが、娘が若い行商人と話し込んでいるのを見たことがあります。乙女の顔をしていましたので、つまりそういうことだったのだと思います」
土下座したまま話すので女将の顔は見えないが、ステファニーは深く頷いた。
(わかるわ。顔を見ただけで好きな人と話しているってわかる子、いるわよね)
エンテはとてもわかりやすかった。
ステファニーの知るエンテは裏表がなく、とても真っ直ぐな娘だった。久しぶりに会ったステファニーがすぐに好きな人の存在を看破したように、母親を騙すことなどできなかっただろう。
女将の見た行商人は一人ではなく、隊商に近い形で複数の商人達と行動していたらしい。
商人なので、滞在する期間は短い。しかし小規模な範囲を回っているらしく、結構な頻度で彼らは現れた。商人達が泊まれる格式の宿屋ではなかったので、客として宿屋に来たことはない。しかしいつの間にか知り合って、二人は交際していた。
娘の恋に気付いたのは女将だけで、旦那は一切気付いていなかった。女将も男親が気付けば厄介と思って黙っていた。
年頃の娘が親に言ってもいないのに交際を把握されているのは嫌だろうと黙って見守っていたが、どうも様子がおかしいと感じるようになった。
「どこの酒屋が一番人気か、人の出入りの多い酒場はどこだと聞くのはまだわかります。客に聞かれることもありますし、どこの店が安いのかも私どもは把握して、宿泊客にお勧めしますから…だけどお嬢様が作られた酒の話や、お嬢様がいつ頃お戻りになるかなど、今まで気にしていなかったことまで問いかけてきて…」
「私、いつも祭りの時期にすっときてすっといなくなるものね」
ある意味祭りで見付けることができたらラッキーな運試しキャラ。探せば確実に会えるのでレアキャラとまでは言わない。
「もしや何か企んでいるのかと、懸念してはいたのです。本日あの子がステファニー様とお話しているのも、何かよからぬことでも考えているのかと不安でした…」
あの表情、そういう意味だったのか。
恋に浮かれる娘を心配する母親の顔かと思っていた。
「それで…ステファニー様が退出なさったと、あの子が宿泊客に出鱈目を吹き込んでいることに気付いたのです」
曰く、水風船が割れたら祭りの合図。あとは隣に居る人に水風船をぶつけて水だらけにするのだとか。
曰く、領地のお嬢様はお家で誕生日が祝われないので祭りで精一杯楽しませるため、護衛と引き離す特別企画があるから居合わせたら協力して欲しいとか。
そしてこれはお嬢様には秘密だから、皆の秘密だよと締めくくる。
そんな出鱈目を、こっそり宿泊客に吹き込んでいるのを聞いてしまったらしい。
「そんなわけがないだろうとその場で諫めたのですが、それなりの人数に伝えたあとで…あの子も『伝えてくれって言われた』のだと言っていたのですが、それが事実でないことくらい考えればわかるはずなのです。それがわからなくなっていたのです。きっとあの子は唆されているに違いありません…あの男! あの他所者が娘を誑かして!」
「経緯はともかく、娘が騒ぎを増長させたことは確かです。大変申し訳ありません」
事情を説明していくにしたがって感情的になった女将だが、すぐ隣の旦那に宥められて大人しくなった。二人とも額を床に押しつけたまま、娘のしでかしを詫びている。
ステファニーは顔を上げろとは言わなかった。二人の前でソファに座り、家臣が持って来た商人のリストを確認している。
関所を通った時に名簿が作成され、出入りが管理される。通行のため身分証を提示する必要があり、身分を証明できない輩は通ることができない。
しかし例外として、隊商などの大人数の場合、代表者の確認だけで通れることがある。それだけの信頼と実績があって、何かあったときはその代表者が全ての責任を負うことで省略化された部分だ。
なので、関所を通ったならば隊商として名簿が残っているはず。
(だけど、ないわ。今回の祭りに参加した商人達は隊商を組んでいない人達ばかり)
雨の影響で、隊商を組んでいる商人達は安全を考慮して進みを止めた。個人の身軽な商人達が歩を進め、祭りに前に街に着いている。関所のある町で行商していると情報が入っているので、女将達の言うエンテの恋人がこの街に辿り着いているのかも怪しい。
(二人の勘違いでエンテは無実…ってことはなさそう。利用されているだけの懸念はあるけど関わっているわ。なら女将の勘違いで、エンテの恋人は他にいる?)
老紳士が騎士へ誘導するか迷ったのもわかる。これは事件を捜査するにあたり、騎士へ渡す情報だ。何故なら盗人を捜すのは侯爵家の仕事ではないからだ。
本来なら指示だけ出して報告を待つのが貴族。推理推察、全てステファニーの仕事ではない。
が、侯爵家の酒が盗まれているので黙ってはいられない。
「エンテのことは理解したわ。手間だけど同じ説明を街の騎士達にもしてきて頂戴。被害者だと思っていたけれど、共犯なら優先順位も変わるわ」
ステファニーの命令に老紳士が頷いて、土下座したままの二人を促す。謝罪を繰り返しながら退室した夫婦を見送って、ステファニーは無性に酒が飲みたくなった。
「あー…こういう情報整理はシュテインの方が得意なのに! シュテインまだー!? お姉様頭がパンクしちゃうわー!」
取り繕っているが、考えるより行動する方が得意だ。
咄嗟に出る行動が行動なのでおわかり頂けていると思うが、とにかく初手で奇襲を仕掛けて相手の動きを封じるなどするのが得意。
ステファニーは普段心の内に秘めている言葉を全部声に出し、部屋の中をぐるぐる歩き回りだした。
「隊で移動している商人は今回街に来ていない…だけどエンテの恋人はそれに所属している商人で、今回こっちに来ていないはずで…でも私もエンテと男が会っているのを見たのよね。でもあれって恋人って感じじゃなかったはずよ」
むしろ相手を拒否する動きを見せていたはず。
だからステファニーは緊急事態と思って護衛を差し向けた。それすら計算の内だとすると、エンテへの認識を一新しなければならないが…。
「なんか思い違いしている…? 何かしら何かしら。私サスペンスは何も考えないでキャラと一緒に真相に驚くタイプだから頭全然回らないわ」
そしてだいたい怪しいと思った相手は白だ。
「お酒は五つも盗まれるし。誘拐されそうになるし。組織的犯行なら隊商は怪しいけど、隊で来た商人達はいないし…新顔の商人は三ヶ月前からで入りしていないから除外だし…あいた!」
乱暴に掻き乱した金髪が何かに引っかかる。痛みに顔を歪めながら確かめると、ブレスレットに髪が絡まっていた。
「あー、あるあるだわ…ビーズってちょっとした所に絡んじゃうのよね。無理して引っ張ると切れちゃうし。まあ、ビーズを通しただけの簡単なブレスレットだから私でも作り直せると思うけど…」
前世の記憶に引っかかる小さなビーズではなく、小指の先程のビーズは数珠と言った方が伝わるかもしれない。この大きさなら、ステファニーでも壊しても直すことができる。色味は変わってしまうだろうが、問題ない。
問題ない…。
「…あれ…」
絡まった髪を解いたステファニーは、もしかしてと関所からの商人リストに目を通す。
直近だけでなく、ここ数ヶ月を遡るリストを。
見返して…まさか、と引きつる。
「…でも待って。考えすぎの気もするの…でも行動しないよりはした方がいいわよね貴族ってちょっと理不尽なくらいが丁度いい気がするわシュテインに怒られる前にやっちまいましょう!」
酔っていないが、考えすぎて混乱しているステファニーは酔っているかのようにちょっと支離滅裂だった。
一人きりの応接室でぐるぐる歩き回っていたステファニーは、独り言を叫びながら扉を開いた。
このとき、部屋の中から誰か呼べばよかったのだと思う。
しかしステファニーは自ら動き扉を開けた。
だから聞こえてきた。
「シュテイン様が?」
「お戻りにならないと思ったら…」
「まさかあの方が誘拐されるなんて…」
「 」
ステファニーの頭が、ぱーんっと破裂した。
我が家のガチムチインテリ弟がなんだって????
間違いなく誘拐される外見じゃないんですが????
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