31 盗まれたのは
酒が盗まれたと嘆くミバワに、ステファニーは大慌てで事実確認を行った。
話を聞く所によると、ミバワは侯爵家の地下ではなく、別の蒸留庫の様子を見に行っていたらしい。
同胞達に地道に配っているとはいえ、作り続けるのだから酒はどんどんたまっていく。となれば置き場所に困る。そもそも蒸留酒は数年寝かせることが前提なので、蒸留庫は一箇所でなく複数存在している。ここだけでなく、他の領地にも点在していた。
寝かせる場所によって風味が変わるのも蒸留酒の粋な部分なので、樽の種類から寝かせる場所まで吟味して蒸留庫を作った。香りからして違いのわかる酒大好き国民ばかりなので隠蔽には苦労するが、違いがわかるからこそ嗅ぎ分けることのできる相違点に、関係者はこぞって観測をやめられない。
ミバワが襲われたのは、その中の一つ。他の酒を保管している倉庫を増設して、一室纏めて蒸留庫にした場所だ。
そもそも蒸留酒以外の酒だって造り続けているので、より良くするための研究と言って保管をわけることもあり、倉庫の増設は珍しくない。無駄遣いはよくないが、それでも資金の中でやりくりしている。
侯爵家の地下にある蒸留庫を管理しているミバワだが、彼が管理しているのはそこ一箇所ではない。この街にある蒸留庫の責任者がミバワだ。
よって彼は今日も管理が正しく行われているのか見回った。問題ないと満足して戸締まりをしようとした所で、背後から忍び寄ってきた悪漢に頭を殴られて気絶してしまったのだ。
そんな彼を発見したのは通りすがりの領民で、ミバワの飲み仲間だった。
ミバワの役職を知っていた彼は侯爵家に連絡を取り、すぐに事件が発覚。祭りに出掛けているステファニー達を呼び戻そうとしてステファニー誘拐未遂の一報が届き…事件が重なった侯爵家はてんてこ舞いになっていた。
おいおい嘆くミバワの話を整理したステファニーは、頭を抱えた。
(これ、どっちが陽動でどっちが本命!?)
祭りの騒動は間違いなく陽動だ。しかし同時に起きた二つの事件。どちらも本命とは考えにくい。
侯爵令嬢を誘拐するために、騒ぎを起こして護衛を分散させ、誘拐を実行する。これはわかる。
しかし人数は居たが、ステファニーが抵抗しなくても成功していたかどうかは怪しい。手早く抵抗して犯人の出鼻をくじいたがため、犯人がとる予定だったルートを把握できなかったので、彼らがどうするつもりだったのかさっぱりわからない。
一方、盗まれた蒸留酒。
新酒と知っていて盗まれたのか、侯爵家の作った酒だから盗まれたのか不明だ。不明だが、わざわざ増設して研究中の酒を盗んでいったということは、新酒の存在を認識してのことと考えるのが自然だ。
ミバワが襲われたのはタイミングが悪かったからか…それとも彼が鍵を持っていると知っていたから、出入りするのを待っていたのか…。
(この二つの事件が一気に一日に? 偶然で片付けるのは危機感が足りないわ)
しかしどちらも本命と考えるには詰め込みすぎている。
この国では貴族令嬢の誘拐も、酒の窃盗も同列になるくらい罪が重い。
酒造の国だぞ。酒に対する熱意と執念はいっそ狂気が滲む程だ。まだ人権の方に比重があるのが安心点。全然安心できない。
(どっちが本命で、どっちが陽動だった? …それともどっちも本命って狂気の沙汰?)
誘拐されかけたステファニーと、盗まれた新酒。
――盗まれたのが新酒だからこそ、その新酒の開発に携わったステファニーが狙われたのではないか。
そう考えると、二つの事件は繋がっている。
「わしの、わしの酒ぇ…っあと一年、あと一年でお目見えの酒がぁ」
「それよ。どこから漏れたの? 新酒の噂も、私が関わっていることも調べれば出てくるでしょうけど、がっつり調べないとわからないはず…」
「酒の席であと一年待てば世界を変える酒の大公開って歌っちまったのがよくなかったかもしれん」
「おじさーん!」
旗持ってるじゃない! 関係者ですって旗振ってるじゃない! 狙われて然るべきじゃないの!!
「じゃって周りには知り合いしかおらんかったからー!」
「どこで誰が聞いているかわからないでしょうが! もう!」
確かに身内ばかりだが、把握していない所によそ者がいるかもしれないのだ。酒が入っているなら余計判断が難しくなる。
充分気を付けるように言い含めていたが、あと一年と色々緩んでいたのだろう。これだから酒に魅了されている奴らは! とステファニーは頭を抱えた。
(…私はやらかしてないわよね?)
ステファニーも酒に魅了されている立派なクチネイケル国民なので不安になったが、念のため屋敷内でしか飲酒したことがないのを振り返って一つ頷いた。
大丈夫。いつもより過激に口説いているけれどそれくらい。ステファニーの胃は痛まない。
痛むのはシュテインの胃と頭である。可哀想。
「あーもう、盗まれたのは新酒よね。樽いくつ分?」
「五つじゃ」
「意外とごっそりいくじゃない。それだけ運んでいて捕まらないってどういうこと?」
「じゃって今日祭りじゃもん。あちこちに樽あったじゃろ」
「あぁー! 見たわ道のあちこちに積まれた樽!」
祭りの時期なので、道の端にたくさん樽が積まれていた。その樽が祭りで使われるとわかっていたので、樽が運ばれていてもなんとも思わない。酒臭くっても振られた人用だと思って終わり。
言動がポンコツなミバワだが、頭の回転は速いので犯人達が捕まらない理由も察せていたらしい。思いついたならすぐに情報を共有して欲しかった。
ステファニーはミバワの小さいけれど身の詰まった背中をばしんばしん叩いた。か弱いので、手の平がとても痛い。
それにしたって五つ盗むなんて欲張りだ。
中身の詰まった樽は重い。まず持ち上げられないから転がして運ぶ。
それを五つだ。見付からないように短時間で五つ盗むなら一人一つの樽を転がすことになるので、少なくとも犯人は五人いる。
「誘拐犯の時も思ったけど、組織ぐるみね…」
「それですが、お嬢様が誘拐されかけた時に邪魔してきた人々が不可解なことを言っていました」
ステファニーが連れ去られそうになったときに護衛との間に割って入った人達のことだ。
ステファニーにはよく見えなかったが、彼らは笑顔だったらしい。祭りを楽しむ顔をしていた。邪魔をするなと護衛に怒鳴られて萎縮して、逆に祭りを楽しまない、空気を読めない人間を見る目で見られたらしい。人の波をかき分けて進む護衛を掴んだり叩いたりして邪魔してきた者は拘束したが、それすらやり過ぎだと非難する言動を見せたという。
「彼らは皆、全て祭りの一環だと主張していました…」
「祭りの一環? 私達の仲を引き裂くのが? 私とあなたを別れさせることが祭りの一環だというの?」
「ステファニーちゃんが言うとなんでも意味深に聞こえるのぅ」
「黙ってミバワおじさん」
本気で感心しているミバワをめっと叱りつけるステファニーだが、ずいっと身を乗り出しながら詰問された護衛は同じ感想を抱いていた。
彼らの説明によると、ステファニー…侯爵家のお嬢様はとても気さくで、毎年自分の誕生日よりも祭りを優先して領民達と騒いでくれるお方。そんな彼女の誕生日を祝うために領民達で企画を催すから、ステファニーだけを連れて行くので協力して欲しいと話が回っていたらしい。彼らの中で職務に忠実な護衛は、融通の利かない頭の硬い男になっていた。
(…つまり、ドッキリ企画の仕掛け人の気持ちだったのね?)
誕生日のステファニーへ贈り物をするため、ドッキリを仕掛けたと主張しているのだろう。
確かにステファニーは領民達と距離が近いが、なんでも許しているわけではない。領民達だって弁えて、友人にするようなボディタッチをすることはない。気さくとはいえ、身分はしっかり存在する。
だから、普段を知っている領民が本気でドッキリ企画など発案するはずがない。
言い逃れ。責任逃れ。彼らの戯言である可能性は高いが、本当に萎縮して怯えている様子の人もいたので、それを信じて行動した人間もいるようだ。
唆した誰かがいる。
そしてそれは、彼らが納得して行動に移すだけの影響力を持つ人。祭りに詳しく、ステファニーの普段を知り、絶対しないけれどするかもしれないと思わせるだけの話術のある人。
それが他所者であるはずがない。
「現在、誰に聞いたのかを調査中です。人伝に聞いた者が多く、記憶があやふやらしく難航しています」
「祭りの楽しい記憶で、誰に聞いたのか吹っ飛んじゃったってところかしら。もしくはその誰かを庇っているかも…」
そこまで口にして、ふと嫌な予感がした。
胸をかすめる、ほんの一瞬の嫌な予感。
「…その、ステファニー様。祭りはこのまま開催してよろしいので?」
「中止にする方が厄介よ」
おずおずと問いかける家臣の一人に、ステファニーは首を振って断言する。
祭りが中止になれば、混乱は避けられない。
「祭りの終わりには樽の中身を空にするし、盗んだ樽が道の端に積まれているなら、そのまま置かせた方が見付けやすいわ。祭りが行われている中、中身の入った樽を街の外に持ち出す方が目立つからまだその辺りにいるはずなのよ。祭りが中止になって、中身の詰まった樽を片付けるどさくさに紛れて持ち出される方が厄介よ」
盗まれた酒が祭りで使用されるなら問題ない。痛い出費だが元々祭り用(ぶちまけ用)として酒は確保してあるのだ。それが新酒になるだけである。
事実を知ったら酒をぶちまけた領民達がムンクになりそうだが、それはそれ。最悪の事態ではない。
最悪の事態…我慢ならないのは世に出す前の酒を自分たちが作りましたと我が物顔で、素知らぬ顔をして転売されることだ。
(侯爵家の新酒だぞごらぁ!)
これである。
盗まれた物の末路はだいたい相場が決まっている。
盗品だとわからないようにして金に換えられるか、盗品とわかっていても手に入れたがっている人に売られるかだ。物によっては自分が制作者だという顔をして、技術を売り物にする奴もいる。
酒造の国。一番金になるのは、製造法だったりする。
「盗んで味を見てイイ酒じゃん独り占めしよーってなるだけなら時間をかけて追い詰めてネチネチネチネチ虐めてやるだけだわ。でも組織ぐるみなのよ? 複数人いるなら個人で楽しむんじゃなくて利用するための窃盗なのよ。分析するならまだいいわ。どうせ一年後にはそうなるんだから。遅かれ早かれ公表した酒は分析されて似た酒が生まれるのよ。いいわよ別に窃盗は罪だけど分析は許すわ。分析まではね…!」
どうせあと一年で侯爵家が新酒を発表する。盗んだ側がどれだけ足掻いても、たとえ分析が終わっても、十年熟成させた深みには敵わない。圧倒的な年月差で叩き潰せるだろう。
「うう、可愛がって育てた酒が気軽に飲み干されてしまう」
「それだけとは限らないわ」
だって、世界を変えるとまで言わしめている新酒だ。
自分たちが作りましたなんて転売される可能性が高い。
王家に献上済みだからこそ、作り手が侯爵家だとは証明できるだろう。しかしみすみす盗まれてしまったとなれば、管理能力に不安を抱かれる。信頼、信用にヒビが入る。
――何より、大切に寝かせていた我が子が誘拐されたのだ。どこにそれを放置しておける親がいるだろう。
ステファニーは乱れたままだった金髪を振り乱し、力強く拳を握って天に掲げた。
「全員残らず末代にしてやるわ」
動きは大袈裟なのに声音がとても静かだったので、耳にした侯爵家の家臣達は何故が全員内股になった。
きゅっ。
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