30 事件発生
一気に熱狂した人々に、ステファニーと護衛達はぎょっとした。
「ど、どういうこと?」
わあわあと笑顔で水風船をぶつけ合う人々。
それは祭りでよく見る顔だが、場所も時間も違う。参加権の花は胸に挿しているので祭りの趣旨はわかっているはずだが、水を掛け合うのは今じゃない。
祭りにだって規則がある。
祭りとは荒唐無稽な物が多いが、無法地帯ではない。水を掛け合うという祭りだからこそ、決められた範囲と時間がある。
一度失敗しているので、その辺り厳しいのだ。
楽しげに水風船を投げる人々に悪意はないが、規則破りな行動は暴徒と変わらない。幸いなことに通りの人間全員が参加しているわけではなく、中には戸惑って道の端に移動する者も多くいた。
「騒いでいる人達を止めて。乱暴はダメよ。あなたは残って私の護衛」
指示を出し、動き出した彼らを見送り、巻き込まれないよう後ろに下がった。混乱した場だからこそ冷静にならなければならないし、一人になってはならない。ステファニーは護衛の後ろに下がり騒動を見やった。
(それにしても、どういうこと? やっていることは祭りのフライングよね。水風船は去年使っていなかったはずだけど、今年から導入したなんて聞いていないし、このあたりは祭り参加者じゃない人もいるから水の掛け合い禁止区域のはずだわ)
耳を澄ませば悲鳴に近い歓声はこの通りだけ。広場や他の通りから似た喧噪は聞こえない。
(騒いでいるのはこのあたりだけ…明らかに、さっきの水風船が合図よね。あらかじめ合図を決めて、こんな騒動を? どういうこと?)
水風船に水を入れて持ち運んだは良いが、上手く破裂しないでぼよんぼよんと地面を跳ねている。最初の水風船が上手く破裂したのは、本当に限界まで水を詰めていたからだろう。そんな物、いつ破裂するかわからなくて持ち運べない。
(何より、騒いでいる人達に悪意がないわ。もの凄い笑顔で楽しんでいる…だからいいってわけじゃないけれど、何かおかしいわ)
前世の記憶から『祭りをフライングして全力で楽しんでみた』なんて迷惑動画配信者みたいな題名が過った。まさかどの世界どの時代でもパリピはいるのか。この世界線でそんなことをするなんて命知らずもいいところ。
でも命知らずってどこにでもいるからな…命知らずが行動して新しい食文化や文明が発展すること、あるからな…ステファニーは珍しく頭痛を覚えたが、これはそういう好奇心から来る命知らずではない。多分。
周囲の人に止められてきょとんとしている数人を確認し、やはり何か行き違いがあると確信する。護衛の後ろから首を伸ばしていたステファニーは、前ばかり見ていた。
だから背後に忍び寄った不埒者に気付かず、後ろから伸びてきた腕に羽交い締めにされ、そのまま引きずられた。
「――!?」
(ちょっと私これ二回目なんですけど!?)
前回の暴漢と違うのは、小路に引きずり込まれて押さえ付けられるのではなくそのまま小路の奥まで引きずられていることだ。
傍にいた護衛がすぐ気付いて追ってくるが、不埒者は一人ではなかった。複数の男がステファニーと護衛の間に割り込んで護衛の邪魔をする。その人数に護衛が押し流されそうになり、引きずられるステファニーを距離が空く。
(あっこれヤバイわ)
足止め役と、誘拐犯に別れた手並み。実行したタイミングを考えれば、この騒動は祭りのフライングなんかじゃなくて計画された犯罪の一幕に過ぎない。
そう、ステファニーを。侯爵令嬢を誘拐するために練られた計画。
(ヤバイヤバイ…護衛から、これ以上引き離されてはダメ!)
ステファニーの口をふさぎ、動きを封じ、引きずるように移動する相手は一人。身体の大きな男だけ。それ以外は護衛を撒くために動いているのだろう。もしかしたらこれから合流するのかもしれない。
相手が一人のうちに、ステファニーがなんとかしないと。
なんとか、なんとかって何をどう?
(――どうにかするしかないわ!)
ステファニーは口をふさいでいる男の手を両手で掴み、その手を引き剥がすのではなく、その手を固定して身を屈めた。男の脇下をくぐり抜けるように上半身を捻り、男の拘束から抜け出した。
男は虚を突かれて立ち止まったが、すぐに腕が伸びてくる。ステファニーはすぐに相手に向き合って。
正面から抱きついた。
「あなた、お髭がダンディね」
「えっ」
そしてそのまま相手の両耳を包むようにガッと頭を固定して――…。
~ただいま大変乱しております。ワインを飲みながらお待ちください~
三十秒後、倒れた男に馬乗りになったステファニーが一息ついていた。
「ふぅ…またつまらぬ者を摘まんでしまったわ…」
ステファニー一人では男から逃げることができないので、なんとしても相手を行動不能にしなければならなかったが、なんとかなった。
正面から抱きついて油断を誘い、再び拘束される前にキスで口をふさいだ。相手の足が止まっている間に素早く大外刈りを決行。地面に引き倒して馬乗りなって抵抗力を奪い、仕上げに鼻をふさいで十数秒。
男は酸欠で意識を失った。
ステファニーは乱れてしまった金髪を掻き上げて、涎で汚れた唇を誤魔化すように舌で舐めた。
(どんな手練れも鼻と口をふさがれたらどうしようもないわね)
大丈夫。生きている。
キスで相手の性欲を判断し、場合によっては盛りの付いた雄を酸欠で気絶させ続けてきたステファニーの見極めは完璧だ。
「さて、皆は無事かしら…あ、無事ね」
駆け寄ってくる護衛を確認し、立ち上がる。ステファニーが一人行動不能にしている間に護衛達は団結して騒ぎを落ち着かせていた。
しかし護衛対象が連れ去られかけたのは失態だ。その場に膝を突く彼らに、ステファニーは首を振る。罰は必要だが今はそれどころじゃない。
「全部仕組まれたことなら、ここにいるのは危ないわ。すぐ移動しましょう。シュテインも狙われているかもしれないから、すぐ侯爵家に戻るよう伝えて」
騒動の詳細も気になるが、侯爵令嬢を誘拐しようとする奴らだ。まだ何かあるかもしれないし、侯爵令息のシュテインも心配だ。ひとまず移動して、安全を確保しなければ。
それにしても…。
「私の方に一人でよかったわ。他にも人が居たら無理もできなかったわね…」
安堵の息を吐くステファニーだが、護衛達は気付いていた。
護衛から引き離されてすぐ、まだ複数、ステファニーを攫おうと近付いた影があったのを。
しかしステファニーが男を引き倒して馬乗りになり、勢いよく捕食…いや違うのだが捕食しているように見える体制で男を追い詰める姿を見て、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
男が酸欠になり気絶するまでの間。びくびく跳ねる身体と藻掻く腕。最後には力尽きて地面に落ちる手足を見ておそろしくなったのだろう。
だって完全に、お色気シーンではなく捕食シーンだった。
遠目に見ても捕食していた。近くで見たらもっと捕食だったのだろう。目的が意識を刈り取ることだったので、よりそう見えたに違いない。
まさしく女豹の貫禄。
犯人達も、まさか貴族令嬢が自力反撃してくるとは思っても見なかったことだろう。しかも武力ではなくこんな方法で。
護衛達もまさか我が家のお嬢様がこんな方法をとるなんて…とるかも…と思わず遠い目をした。
気を取り直し、気絶している男を縛り上げて街の騎士に突き出した。侯爵令嬢を誘拐しようとしたのだ。取り調べは苛烈を極めるだろう。
通りの騒動は収められ、ちょっと騒ぎがあったがなんだったんだろうという空気は残りつつ混乱はない。その通りを抜けて、ステファニー達は侯爵家に戻った。
祭りに参加できなかったのは哀しいが、それどころではない。
男に連れていかれたエンテの安全も気になるが、それは街の警備に捜索を任せている。どう考えても状況的にこの騒ぎに関係があるが、だからこそステファニーは深追いできなかった。
(あーこれが私を誘い出すための罠とかだったら犯人本当に許さない。エンテに何かあったらお前が末代)
切り落としてくれると息巻きながら侯爵家に戻ったステファニーは、なんだか騒がしいのに気付いて顔を顰めた。
誘拐未遂の一報の所為かとも思ったが、何かおかしい。やけにドタバタしている。
何事かと中に入ったステファニーは――思い知る。
「ミバワおじさん!? その怪我は一体どうしたの!」
「ステファニーちゃん…」
騒ぎの中心では、子供のような背丈の、けれどがっちり身の詰まった大人であるミバワが、頭に包帯を巻いて座っていた。
ミバワは驚き駆け寄ってくるステファニーを見上げ、どんぐり眼からぶわっと大粒の涙をこぼす。
「酒が…わしらの酒が、盗まれてしもうたぁ~!」
「な、なんですってー!?」
――事件はまだ、始まったばかりだった。
ちなみに他にも何人か同じ手口で相手を気絶させたことがあるステファニー。
「男が女にキスされて気絶したなんて、恥ずかしくて言いふらせないわよね」(にっこり)
男の見栄やプライドは積極的に利用していく所存。
今回はとにかく連れていかれるのを回避するために襲いかかった。襲いかかった。
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