3 はしたない、とは
夜会で響いたのは聞き覚えのないご令嬢の声だった。
夜会出陣のため着飾ったステファニーは、きょとんと赤い目を瞬かせて目の前の令嬢を凝視した。
叫んだのは、真っ直ぐな黒髪を背中に長し、白いレースのカチューシャをした愛らしい少女。
白い肌に薄桃のAラインドレスを纏った少女は楚々として愛らしく、髪と同じ色の大きな目に涙を浮かべる姿は庇護欲を誘う。桜色の小さな唇を噛み締めて小さな手をぎゅっと握りしめ、震えながらステファニーを睨んでいる姿は、天敵を前に震える小動物のようだ。
とにかく、小さい。
対するステファニーは真っ赤なドレスに真っ赤なルージュ。豪奢な金髪を結い上げて艶やかな項を曝し、ひらいたデコルテには大粒の首飾り。真っ赤なルビーと金色の装飾で豪奢に飾られた胸元を強調するようにきゅっと絞ったくびれから下はマーメイド。
今日も目指すは色香の暴力。
美醜は可愛いと綺麗で五分五分かもしれないが、色気に限定すれば戦闘力は1:9の圧倒的戦力差。身長差で見上げる令嬢と見下ろすステファニーという構図も良くない。並べると、ステファニーがご令嬢をいじめているように見える。
ご令嬢が放った台詞も相まって、ステファニーは悪役令嬢のようだった。
しかしステファニーに、このご令嬢との面識はない。
「一体何のことかしら」
「白々しい…あなたがわたくしの婚約者と親密な関係になったこと、わたくし、知っていますから!」
ほうほう?
涙目でふんすふんすと興奮状態のご令嬢をじっと見下ろす。
身長差も体格差もあるので、恐らくステファニーより年下のご令嬢。その婚約者と、ステファニーは親密な関係らしい。
が。
(誰のこと?)
ステファニーには親密に接している男性が多すぎて、候補が多すぎて絞ることができない。
というかそもそも。
「あなたは私を知っているようですけれど、どちら様?」
「ヨレナディーノ子爵の娘、ウブナと申します! 婚約者はウーキヤ子爵家のウワロ様ですわ!」
知らないなどとは言わせないと睨み付けてくるご令嬢、ウブナを見下ろしながら、ステファニーは首を傾げた。
「申し訳ありません。知りませんわ、そんな男」
「なんですって…!」
大きな目をつり上げて怒るウブナだが、ステファニーはそっと周囲を見渡してどうしようか思案した。
公爵家の夜会の只中で、個人的な諍いを起こすべきではない。
一瞬、ウブナの顔があまりにも赤いので酒を飲んだのでは…と思ったが、単純に怒りで真っ赤になっているらしい。素面ならばよりヤバい。酒の言い訳もできない。
とにかく別室にでも…と思うのだが、厄介なことに、ステファニーは今夜エスコートしてくれているシュテインと離れて一人。仲裁してくれる常識的な弟は傍にいない。
勝手に離れた訳ではない。ちょっとお花を摘みにいった帰りだ。これから弟の隣に戻る予定が、この令嬢に捕まったのだ。
はたしてこのご令嬢は、ステファニーが場所を変えようと誘導して素直に従ってくれるだろうか。
ステファニー憎しで話を聞いてくれないかもしれない。一見して興奮しているのだ。冷静な判断ができなさそうだ。
というか既に野次馬に囲まれているので移動できない。
囲うのが早い。追い込み漁か?
「あれはリスクアール侯爵家の…」
「ああ、男から男へと飛び交う蝶と有名な…」
「泥棒猫と聞こえましたがとうとう?」
「いつかやると思っていました」
(やめろやめろ取材に答えるご近所さんみたいなコメントを残すな。挨拶したこともない無関係な人が知ったかぶるんじゃない)
何より、ステファニーは、本当にその男を知らない。
心当たりはたくさんあるが、ウワロ・ウーキヤ子爵令息など知らん。
努めて冷静に、ステファニーは誤解を解こうとゆっくり喋った。
「どなたかとお間違えではありませんか?」
「そんなはずありませんわ! だ、だってわたくし、リスクアール様がウワロ様とは、はしたないことをしているところ、み、見ましたもの!」
おっと話が変わってくるぞ。
真っ赤で涙目のままだが、真っ赤の種類も変わったかもしれない。
ウブナの証言に、野次馬がざわついている。ちょっと黄色い声が聞こえたのは完全にイベントとして見守られている無責任さからだろう。視線には軽蔑と興味、好奇心が混じっている。それくらい、目撃証言は真実に近い。
しかし、それならばよりわからない。
なぜならば。
(婚約者のいる男には手を出さない! これ第一条件!)
ステファニーは一応、本気で結婚相手を探していた。
だから婚約者のいる男と乗り気ではない男には手を出さないと決めている。
前世でだって多くの男と関係を持ったが、本気で結婚相手を探していた。この人とならと思って付き合うのだ。性欲は強いが倫理観もそこそこしっかりあった。
浮気、不倫、ありえない。
ので、ウブナが主張するように、婚約者の男性とはしたないことなどしていない。
はしたないこと…。
…。
(ふーむ?)
「はしたないことって、どんなことかしら」
「えっ」
突然無垢な童女のような質問をされて、ウブナは飛び上がって驚いた。
野次馬もざわめいている。
肉欲的な美女が。令息の間を飛び回る蝶が。なんか幼子みたいなことを言っている。
「どこからどこまでがはしたないのかしら。どんなことをしたらはしたないの?」
「え、え、え」
「見ていたのよね? 私とその彼がどうしていたのか。それをはしたないと言うのでしょう? 私と彼は何をしていたの?」
ずずいと距離を詰めながら問いかければ、ウブナの赤い頬が更に赤くなる。
涙に濡れた視線を彷徨わせて、周囲に人だかりができていることにやっと気付いた。衆目に晒されている事態に、もう一度少女の身体が跳ねる。やっぱり興奮していて場所を考えられていなかったらしい。
ステファニーは今更逃げ出そうとする小さな身体に、そっと寄り添った。
「ねえ教えて。何を見たの?」
身を屈めて、少女の耳元でそっと囁く。
艶やかに問われて、ウブナは震え上がった。
はくはくと音にならない声を漏らしながら、ゴクリと唾を呑み干す。
「て、手を繋いで、触れそうな距離でお話を…」
「あら、そんなことがはしたないの?」
「はぅえっ」
戸惑うウブナの手を取って、ステファニーはウブナと肩を並べた。身長差があるので、ステファニーの胸にウブナが飛び込む。突然の発育の暴力に、ウブナの語彙がふっ飛んだ。
「こんなの、お友達の距離感じゃない。私は友達とのスキンシップも大好き令嬢。向かい合ってお茶なんてしゃらくさいわ。隣り合って腕を絡めて頬で笑顔を分かち合いたいの。お友達とはこの距離感よ」
「はぅ」
「本当よ。皆とっても素敵な笑顔でお話してくれるわ。頬を染めて、目を潤ませて、秘密のお話を沢山するのよ…素直な子って、可愛いわよね」
「はぇ」
「あなたも素直で可愛いわ…婚約者が私と近くてびっくりしたのね。でも安心して。この程度、お友達との距離感だもの」
「はわ」
言いながら、ステファニーはウブナの頬に頬を寄せて微笑んだ。
腰を屈めて秘密を告げるように小さな声で、吐息が混じり合うほど近くで囁く。お互いの口紅が付きそうな距離に、ウブナは目を回して噴火寸前だ。
爆発するかもしれない。小刻みに震えている。ステファニーはとっても楽しくなって来た。
「ねえ、肩が触れ合う程度のことがはしたないの…? じゃあ今、私たちの距離って、なんて言うのかしら…?」
「はしたないって言うんだよ!!」
楽しくなって来たのだが、駆けつけたシュテインに引き剥がされた。
ステファニーから引き剥がされたウブナは真っ赤になってふらふら後退した。お友達らしきご令嬢達が二人すっ飛んできて保護される。二人とも顔が真っ赤で可愛らしい。
可愛い令嬢達の友情を一瞥し、ステファニーは怒り心頭のシュテインに視線を向けた。
「何をするのシュテイン。私は身の潔白を証明するために、この距離感ははしたなくないと主張していたところよ」
「誰がどこからどう見てもはしたなかったよ!」
「そんな。視点が穢れているわ」
「客観的に見てもはしたない!」
その証拠とばかりに、ステファニーの色香にあてられたウブナはすっかり腰が砕けて動けない。涙目で友人に縋ってやっと立っていた。
足が生まれたての子鹿。言葉も忘れてあうあうと情けない声ばかり出している。
とっても可哀想。
「だいたい婚約者との浮気を疑われているのに、否定できなくなるような誘惑を相手にするんじゃない!」
「そんな…いいじゃない女の子なら! 同性なんだからどれだけイチャイチャしても許される筈よ! 触れ合って盛り上がったこの気持ちをどうしろというの!」
「あけすけすぎる自重しろ! その主張のどこがはしたなくないんだ!」
「はしたなくないわ当然の衝動ですもの。女の子だって性欲があるのよ。おかしな男に騙されて傷つくよりも、私の所でお勉強する方がとっても健全だわ。ええ、はしたなくないわ――…でも今のがはしたないと思った仔猫ちゃん達は私の所までおいでなさい! 教えてあげるわ!」
「おいやめろ堂々とするな開き直るな慎みを持て!」
おいで! と両腕を広げてウブナを見れば、真っ赤な顔でぎゅむっと唇を引き結んで震えた。他の令嬢達も赤い顔でそわそわしている。
ステファニーは理解した。
(なるほど今手を上げたらはしたない令嬢と思われちゃうわね)
ステファニーがはしたなくないと主張しても、人はこれをはしたないと判断するらしい。
令嬢としてそれはよろしくない。わかっているとも。
「今度招待状を送るわね」
「いりませんわ!」
イーッと威嚇された。可愛い。小動物みたい。
威嚇されたが小動物みたいなウブナを可愛い可愛いしたいステファニー。
弟は頭を抱えている。
名前? 主要人物以外は遊んでいます。
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