23 毎年の旅支度
今回ちょっと短めです
「姉様、準備はできましたか」
閉じた扉の向こうからノックの音と弟の問いかけが響く。
「あらシュテイン。もうそんな時間?」
つい物思いに耽りそうになったステファニーは、顔を上げて時計を確認した。
前世の記憶からすればとても大きな時計は振り子が付いていて、壁の一角で強い存在感を放っている。
時計の見方は前世と同じで、確認すれば手紙を読むのに二十分もかけていた。
「あらぁ…しっかり物思いに耽っていたのね」
「姉様? まだかかりますか?」
「いいえシュテイン。ちゃんと終わっているわ」
ステファニーは手紙を畳んで封筒に戻し、開きっぱなしの旅行鞄に入れた。閉じた鞄を持ち、部屋の扉を開ける。廊下には旅支度の終わったシュテインが立っていた。
同じく旅支度の済んだステファニーを一瞥して、満足そうに頷く。
「しっかり準備が整っていますね。父上達との挨拶は済んでいますし、このまま馬車に向かいましょう」
「そうね。体調を崩しているお父様とお義母様に負担はかけられないわ」
連れだって歩き出す姉弟の横を、荷物を受け取った使用人がついて行く。ステファニーが両手で抱えた鞄を片手で持たれた。シュテインは身一つだが、彼の荷物はとっくに馬車に積まれたのだろう。
二人はこれから、リスクアール侯爵家の領地へと向かう。
侯爵家はこの時期、毎年領地で過ごすのだが、今回は両親が体調を崩して寝込んだため姉弟だけでの帰宅となる。体調不良は心配だが、揃って腹を下しただけだ。命に別状はないので、ゆっくり療養して欲しい。
侯爵は領地へ帰れないことを渋ったが、そこは姉弟で言いくるめて王都で義母と過ごして貰うことにした。王都から領地へは二日はかかる。無理をすれば移動できるが、腹を痛めている状態で馬車の旅は地獄でしかない。
(それでも領地へ行きたい気持ちはわかるけれど、今回は諦めて貰うしかないわね)
シュテインと同じ馬車に乗り込んで、動き出した景色を眺めながらステファニーは苦笑した。
季節は夏。
ステファニー、十九歳の誕生日と…母の命日が近付いていた。
――ステファニーの誕生日と、母の命日は同日ではない。
しかしステファニーを産んだ数時間後…次の日にその灯火が潰えた。
仕方のないことだが、幼いステファニーは誕生日祝いが盛大になれば盛大になるほど、次の日の命日がとても寂しく罪悪感に揺れるようになった。
(わたしがうまれたから、おかあさまはしんでしまったのでしょう?)
前世の記憶のないステファニーは、誕生日が好きではなかった。
だから年々誕生日の祝いは豪華絢爛ではなく質素になり、大々的に祝われるのを嫌がるようになり、友人を呼んでパーティーを開くこともなくなった。
八歳の誕生日に護衛と同衾を求めたのも、豪華な誕生会をしない代わりにプレゼントが豪勢だったりお願いを比較的聞いてくれやすくなっていたりしたからだ。だって誕生日は誕生日だったから。
だからきっと、お断りされたときの衝撃が強かった。前世の記憶を思い出すくらい。
(嫌われたとか祝われる資格が無いとかじゃなくて、外見が妖艶幼女だった所為だけど)
記憶のない幼い頃から罪深い女である。
記憶を取り戻す前から徐々にその傾向があったので、記憶を思い出したあともステファニーは誕生日プレゼントだけ受け取るようにして、催しは一切行わなかった。
だがその理由は、幼い頃と違う。
(いや、誕生日を盛大にパーティーで祝われるって、日本人の感覚だと恥ずかしい)
家族で祝う規模じゃない。親戚を集めて祝う規模でもない。
顔の知らない貴族達を集めての祝い事を、自分の誕生日に催されたら誕生日どころではない。
喜ぶ日本人もいるだろうが、ステファニーは喜べない側であった。
性欲が強くて肉食獣な自覚があるステファニーだが、自分の誕生日でそれをされたら全力で逃げる。人様のなら全力でノルが、自分のはイヤだ。酒が飲めたとしてもイヤだ。羽目が外せなくなる。誕生日は身内だけで騒ぐからいいのだ。知らない人は来なくていい。というかなんで来る? わけがわからん。
そんな理由で、ステファニーは誕生会を拒否している。
(それに、伯父様の命日が私の誕生日と重なっちゃっているし)
そう、哀しいことにステファニーは母方の不幸に挟まれて生まれていた。
こればかりはどうしようもない。しかしこの状態で盛大で祝うのは、少し決まりが悪かった。
(お父様達が祝ってくれるだけで、私は満足だし)
母が死んですぐ後妻を娶った父だが、母の命日には必ず墓のある領地で過ごした。ステファニーも墓参りのため領地へ向かうので、自然と侯爵家は夏になると領地へ帰ってステファニーの誕生日を祝い、生母を悼む。
ステファニーにとって生みの母が亡くなったのは災難だったが、父親がそれをステファニーの所為だと思わなかったのは幸いだった。
嬉しいことに、多くの知り合いが事情を察して無理を言わず、プレゼントやカードを送ってくれる。ステファニーは良き友人達に囲まれていた。
思う所は多々あれど、祝われるのはやはり嬉しい。
嬉しいが…この遠慮というか、辞退し続けていた結果、おかしな方向に花が咲いたので遠い目をしている。
ふと、鞄に詰めた手紙の内容を思い出した。
「ねえシュテイン」
「なんですか。ワインは積んでいませんよ」
「宿屋で飲むからいいわよ。そうじゃなくて…待てをさせてできたら褒めてあげないといけないわよね」
「…………犬ですよね?」
「すごい警戒してくる」
一気に眉間に皺が寄り、イヤそうな顔をするシュテインに、ステファニーはんふんふ笑った。察しが良くて可愛い弟だ。
「私、知らない人に祝われるのはマジないわって思うけど、知っている人が祝ってくれるなら大歓迎なのよね」
「何をするつもりですか」
「んふふふふ」
弟が持ち込んでいる馬車でも仕事ができる筆記用具セットに手を伸ばし、適当な紙とペンを失敬する。鞄を机の代わりに、ステファニーはさらりとペンを走らせた。
『親愛なるヨーゼフ様へ』
「待てができたいい子には、ご褒美を上げないとね」
「私は姉様に待てを覚えて欲しいんですが!?」弟シュテイン心の叫び。
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