18 似ても似つかぬ
汚い悲鳴が響いた。
飛び上がったルショーワは、指を抱えてその場に膝を突く。やっと腕を解放されたステファニーは、残った感触が気持ち悪くて何度も腕を擦った。
ルショーワの指は思いっきり曲げたので、とっても痛いと思う。
(脱臼はしたかもしれないけれど、骨折はしていないはずよ。多分だけど。うーん、したかしら? 人の骨なんて折ったことがないから分からないわ。だって私か弱いもの)
でも折れていればいいな。
心の底からそう思っている。
「求婚の件ですが、お断りしますわ。お互い縁がなかったということで…ここで聞いたことは忘れて差し上げます。それではさようなら」
言いたいことだけを言って、ステファニーは踵を返した。ルショーワがダメージを負っている間に撤退を決めていた。
テストには出ないけどもう一つ。大事なことを覚えておいて欲しい。
暴漢とは戦おうとしないで、一目散に逃げなさい。
勝てると思っても戦ってはダメ。とにかく人の居る所まで逃げなさい。
本来ならば店員に声を掛けて馬車にいる護衛を呼んで貰い、迎えに来た護衛と一緒に馬車に戻るのだが、ルショーワに貸し切りされた状態で店員を信じることができない。仕方がないので早足に、自ら扉を開けて店を出た。
会計? ステファニーは何も頼んでいないので払う必要はない。
人通りのある大通りに面した店は、外に出るだけで人混みに紛れることができる。難点は馬車を店の前に置きっぱなしにできないこと。馬車は少し離れた場所で待機している。少し歩くことになるが、仕方がない。緊急事態だ。
人混みに紛れて早足で進みながら、ステファニーは悔しげに呻いた。
先に手を出してしまった。意味深な方じゃなくて物理的な意味で。
(ああ、堪え性のない私が恨めしいわ)
我慢できなかった。
しかし反省はしているが後悔はしていない。
だってあの男、ステファニーを自分と同類だと確信して会いに来ていた。
(あいつは私の行動が全部、私の欲望を覆い隠すための盾だと思っていたわ)
令息達の間を飛び交うステファニーと善行。その対比で、ステファニーが悪辣な本性を誤魔化していると判断したのだ。
自分がそうだから。
つまり。
ステファニーが同類だと思って油断していたのだ。
(馬鹿にしているわ)
確かにステファニーはちょっと欲望を隠さず主張しても、令嬢達への教育や傷ついた女性への支援などで善性が証明され、立場が確立している。しかしそれはそう見えるように画策しての行動ではない。
なんか知らんうちにそういう感じで認識されていただけだ。
本当に、何故かいい感じに理解を示されただけ。
単純にラッキー。
(でもまあ、好意的じゃない人は今までだってたくさんいたわ。別の意味で好意的だった人もいたけれど…)
ステファニーは性欲が強く、それを隠さない。この言動だから、身体の相手を探していると勘違いされることは多々あった。
だがしかし、ステファニーの軸がぶれたことはない。
(なーにが似たもの同士。全く違うわ! 私は盗み食いしないもの!)
どちらも性欲に支配されているように見えるかもしれないが、違うのだ。
(結局あの人がどこまで知っているのかわからなかったわ。強力なカードを切る様子もなかったし…なんで急に接触してきたのかしら。同類だって確信したから? 私ってそんなに男を食い漁る女に見えていたのかしら)
思い悩んだが、結論は出ている。
見える。
わかる。
実際の所はともかく、令息達の間を飛び交うステファニーは売女と罵られても仕方がない。思いのほか周囲が好意的なのは、ステファニーが別分野で結果を出しているから。それらがいい繋がりを見せただけ。
(それが隠れ蓑に見えたのなら、彼の目は節穴ね。私はいつも正直者よ。交渉するならもっと相手のことを調べて、逃げ場のないように…)
そう考えた所で、誰かがステファニーの肩を背後から掴んだ。
腕が背後から強引に絡みついて口元を覆い、そのまま小路に引きずり込まれる。
正面から壁に押しつけられて、つばの広い帽子が足元に落ちた。結い上げた髪が乱れて、束ねた金髪が幾筋か零れ落ちる。
「まだお帰りになるには早いですよ、ステファニー様」
(追いかけてくるとは思ったけれど、動きが大胆ね…!)
ステファニーを押さえ付けたのは、ルショーワ。
彼は人のいい笑みを浮かべながら、ステファニーの細い身体を力強く押さえ付けた。
「まあ…お断りしたのに追い縋るなんて、無粋な方ね」
「それだけあなたが魅力的なんですよステファニー様。どんな手を使ってでも手に入れたくなるほどの美酒。知れば知るほどに深みを増す、魅惑の酒です」
(あっコイツ知ってんな)
この言動から、ルショーワに蒸留酒の存在がばれていることを悟った。
なるほど追い縋るのはその所為か。ここでステファニーを逃がせば、より警戒して周囲を固めて絶対近付かせない。弟のシュテインは勿論のこと、侯爵だって動き出す。
ここでステファニーが、ルショーワから逃げ延びれば。
「美酒だなんて嬉しいわ。けれどどんな酒も深追いすれば酔いがつきもの。酔いが回って怪我が増えても責任はとれませんわよ? 悪いのは酒でなくて深酒を選んだ当人ですもの」
「…確かに悪酔いしそうとは思っていましたが、怪我をするほどとは思いませんでした。それは僕が見誤っていましたね」
「酔いが回って判断力が落ちていますのね。帰るなら今のうちでしてよ?」
「ご冗談を。ここまで来れば最後の一滴まで味わいたいと思います」
(もう一本指を折ったろか)
折れているか知らないが、もう一本やったろか。
意気込むステファニーだが、背後から押さえ込まれて相手を掴むことができない。腰を押しつけられて壁に挟まれ、身体の中心が縫い止められて上手く動けない。その状態でルショーワの手が足を撫でるので、鳥肌で寒気が止まらない。
負傷しているはずなのにそれを感じさせない手付き。ステファニーでは瞬間的な激痛しか与えることができなかったということか。
(まあここまでされたら狙いはわかるわ既成事実よね! わかりやすく私を手に入れて侯爵家の新酒も手に入れたいのよね! 次男だから婿にいけるし、私と手を組んで好き勝手したかったのよね! そしてそれを諦めていないのね!)
強力なカードも何も、相手は令嬢に手を出して隠蔽することに長けた男。
ステファニーの回答がなんであれ、そうやって手に入れる気で店を貸し切っていたのだろう。多分、飲み食いしなかったのは正解だ。
押さえ込まれてすぐ、ステファニーは大声で叫ぼうとした。しかし片手がステファニーの顎を掴んでいて大きな声が出せない。会話自体はできているが、声はとても出しづらい。
(思いっきり抵抗しないと、昼間っから盛っている酔っ払いカップルと勘違いされて助けは来ない! 残念ながら酒癖の悪い男女って多いのよね! 残念なことに!!)
だから物音がした位じゃ助けは来ない。
今度こそ力の限り叫ぼうとして、察したルショーワに口をふさがれる。大きな手の平が口紅の付いた口元を覆った。顔が痛い。化粧が崩れる。
「そう慌てないでください。僕たちがわかり合うのに、そう時間は掛かりませんから」
スカートがまくり上げられる。太ももに他人の温もりを感じた。
「たった一人…愛する一人と良くなりたいと言いましたね。とても素敵なことです。案外夢見がちで愛らしい」
嘲るような笑いの滲んだ声音に、ステファニーが身動ぐ。グッと腰を押されて、再度壁に縫い付けられた。
「夢を見た所で、あなたが欲に塗れた淫売なのは変わらない。一人を選んで満足できると? 満足できたとしても、そのたった一人は信じてくれますかね。あなたのように魅力的な女性が、自分だけの女だと信じ切れるでしょうか」
(お前が私の何を知っているのよ)
酷い言い分だなと青筋が浮く。柔らかな太ももを揉まれて、ガーターベルトの隙間に指が入り込んだ。
「現実を見ましょう。あなたのような女性がたった一人で満足できるわけがない。貴族として仮面を被り合って、お互いに楽しむのが近道です。この国は酒の品質が良ければ良いだけ好きなことができる。僕とあなたと、好きに生きることができるんです。とっても素敵だと思いませんか」
背後に迫ったルショーワが、ステファニーの耳朶を食む。
その舌が、耳裏を舐め上げた瞬間――横から伸びた腕が、ステファニーとルショーワを引き剥がした。
圧迫感がなくなり、スカートが元の形に戻る。振り返ったステファニーは、自分を庇うように立つ男の背中を見た。
見知った背中。
とても頼もしい、鍛えられた騎士の背中だ。
頼もしい背中に庇われて、ステファニーは思わずスンッと表情を消した。
「ヨーゼフ様…」
暴漢に襲われたと思ったら、ストーカー予備軍に助けられた。
ちなみにステファニーからのお返事は公爵家へ送られているが、今朝出した。
ので、ヨーゼフはまだ結果を知らない。
日曜日はお休みで、月曜日に投稿します。
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