14 知れば知るほど溺れる
公爵家から騎士団の寮へと戻ってきたヨーゼフは、ベッドに腰掛けてぼうっと天井を見上げていた。
残念ながらヨーゼフは、姉妹から暫く夜会などの社交を禁じられた。
出荷は免れたが、箱詰めされた状態に変わりはない。
ヨーゼフの今後は、ステファニーへ謝罪するときに彼女の希望を聞いてから決めると宣言された。
「振った男がつきまとってくるのは恐怖に近い嫌悪感があって気持ち悪い…だったか」
容赦のない妹、パルマによる言葉の鋭い一突き。
いや、妹は一突きではなく滅多刺しにしてくる。
言葉が鋭すぎて婚約者に泣いて逃げられた妹だが、彼女は後悔も反省もしていない。言い方が悪かったとしても言われる方も悪かったはずだとふくれっ面だ。
(あれも、お互いに酔うつもりがなかったからこそ、なんだろうか)
相手に酔いたいと思ったならば、パルマも言葉を選んだだろうか。
パルマに酔いたいと相手が思っていたなら、毒舌だって受け止められたのだろうか。
ヨーゼフは、最近そんな風に考える。
今までのヨーゼフは、勧められるまま価値も知らず水のように酒を飲んできた。酔う気もなく、興味もなく、そうするのが一番だと言われるがままに飲んできた。
物事全てにそうだった。何をはじめるにも目指すにも、兄達が将来必要だとか覚えていた方が良いとか、手取り足取りヨーゼフを導いた。ヨーゼフは兄達の期待に応えるため、その全てを覚えて身につけてきた。今思えば、許容量は底なしだった。
(思えばはじめての娼館も、アントニオ兄様が女の味を知らないと大人になれないと言って連れて行かれたんだったか…)
兄の言う女の味がよくわからず、器を変え中身を変えて味わった。そこに個人に対する思い入れはなく、欲に向き合うこともなかった。相手が力尽きるのも、そういうものだと思っていた。
兄達も閨の詳細は多く語らず、その点に関してヨーゼフを導いたのは閨教育の知識だけだった。
ぶっちゃけ兄達は末の弟を娼館にぶち込んだ結果、出禁になるほどのヨーゼフの体力に恐れ慄いて、自分の武勇伝を語ることができなかっただけである。
兄として、男の沽券に関わるので、誰も触れることができなかった。
それだけ、弟の娼館出禁事件は衝撃的すぎた。
「…ステファニー…」
思わず溢れた吐息に会いたい人の名前が混じる。ヨーゼフを見下ろして艶然と笑ったあの令嬢は、ヨーゼフをどうするつもりだろうか。
どうするも何も、振られているのだからそれ以上があるわけないだろうというのが妹の見解だ。
その通り過ぎて、ヨーゼフは切なさで千切れてしまいそうだ。
こんなときどうしたらいいのか、誰も教えてくれていない。
だからきっと、自分で考えなければならないのだろう。
ヨーゼフは必死になって今まで読んだ本の内容をひっくり返した。しかし切なさに関する知識は身についていない。
(他の人は一体、この切なさをどうしているんだ)
会いたいけれど、会えない。
ヨーゼフが失敗したから。失礼ばかりだったから。
(俺はもっと…ステファニーを知ってから、行動するべきだったのか?)
恥ずかしながらヨーゼフは、ステファニーをよく知らなかった。
調書を取ってどんな令嬢かを知り、書かれた内容だけで彼女を知ったつもりになっていた。書かれた内容から、なるほど兄が言っていた相性がいいとはこういうことかと納得さえしていた。体力には自信があったし、満足したこともなかったのでそう言った欲も強いのだと思っていた。
だから兄の言うとおり、自分たちは相性が良いのだろう。相性が良いのだから、それを知ってもらえれば断られるはずがない。
だってそう、兄が言ったから。
傲慢にも、相手の事情など考慮せず、そう思っていた。
しかしそんな傲慢な思考は、柔らかく絡みついてヨーゼフを優しく締める肢体に吹き飛んだ。
『つまみ食いさせて♡』
弾んだ声だった。
開いた赤い唇。主張する口元の黒子。色づいた頬に、見るものを誘惑する艶やかな笑み。
蕩けるような赤い目に見詰められた瞬間、ヨーゼフの思考が停止した。
娼館に行ったことがある。公爵令息として生活する中で、令嬢に誘惑されたことだってある。
だから触れる手が、撫でる様な指先が、誘惑だと理解することはできた。
蕩けるような赤い瞳。
けれどその奥に…冷静にヨーゼフを観察するステファニーがいた。
どこまでも静かに、ヨーゼフを見極めようとしていた。
『ヨーゼフ様は甘いかしら。苦いかしら…好みの酒に出会うため、試飲って大事よね』
ずいずいとヨーゼフの身体に乗り上がったステファニーは、ソファに倒れ込んだヨーゼフを見下ろして笑った。赤い舌先で口舐めずりしながら、服の上からヨーゼフの筋肉を確かめるように撫で回す。
『ヨーゼフ様は、甘いお酒がお好み?』
完全にヨーゼフに跨がった彼女の両手は、つーっと指を走らせて胸から首筋を辿り、ヨーゼフの耳を覆う。
耳をふさいだ上から、隙間に声を潜り込ませるように、まるで秘密を聞かせるように甘い声が囁いた。
『私は…あなたにとって甘い酒かしらねぇ?』
艶然と笑うステファニー。
細くしなやかな、どこもかしこも柔らかい女人。
咄嗟に彼女の腰を支える様に上がった腕は、手は――数秒後には、彼女に縋る手になっていた。
思わずそのときの感覚を思い出し、ヨーゼフは頬を染めた。
(すごかった…)
何がって。
キスが。
――そう、キスが。
ヨーゼフを沈めたのは、確かめるように繰り返されたキス。
それだけだった。
それだけなのに、それ以上の経験だってあるのに、ヨーゼフはまるで未経験の少年のように立てなくなった。
正直意味が分らない。
キス一つで、大の男が屈服させられた。
女性に対する敗北感と屈辱を上回った快感。
ヨーゼフに今まで知らなかった感覚を叩き付けた女性は、今もヨーゼフの頭の中で愉しげに笑っている。
(…あのときの快感が忘れられない…というのは、欲望だけで、身体目的じゃないか?)
それはあまりに不誠実だ。
冷静でない自覚はあったので、ヨーゼフはあれからさらにステファニーをよく見てよく調べた。
そして知ったのは、姉たちが語ったような経歴。女性に対する献身。自らが主張する欲だけではなく、令嬢達を囲って守るような懐の広さ。
彼女はあんな淫靡な顔を前面に出しながら、聖母のような顔も隠し持っていた。
結果としてヨーゼフは、何度でも会いたいと願うくらい彼女に夢中だ。
(だが俺は、初手を間違えた)
初手どころか途中経過すら間違えていたようだ。
ステファニーが一切怯えを見せずイヤな顔もしなかったので気付かなかったが、普通は振った相手が平気な顔で寄ってくるのは恐怖らしい。
距離を間違えてはならない。考えねばならない。
既に間違えているのなら、挽回のため、自分に何ができるのか。
(こんな感情があるなんて、知らなかった。俺はなんで、あんなことができたんだ…)
深いため息を吐いて、かつての自分の行いを恥じる。
ヨーゼフ・アルガッツ。
遅咲きの初恋だった。
初恋だったら許されると思うなよ、と素振りをするパルマ。
お前どうやって挽回する気なんだ??
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