12 公爵家の兄弟姉妹
ヨーゼフは今、とても古い拷問を受けていた。
「姉上、足が…足の感覚がないのですが」
「感覚がなくても付いているから安心しなさい」
「お前は行動に移すのが早すぎるから、動きが鈍るくらいが丁度いいかもしれないわ」
「お兄様ってば本当に馬鹿よね。脳みそ筋肉だとしてももっと考えられるでしょ」
「姉と妹が俺に厳しい…」
アルガッツ公爵家の談話室。久しぶりに公爵家の母を除いた女性陣が揃ったかと思えば、ヨーゼフは問答無用で床に座らされていた。
折り曲げた膝に体重を乗せて、両手は拳で太ももの上。背筋を曲げることを許されず、手の位置を変えることも許されず、ヨーゼフは冷や汗を流していた。
かれこれ五分。既に足の感覚がない。
絨毯の上なのがせめてもの慈悲。
「俺は何故、このような扱いを受けているのでしょうか…」
「同じ女として鉄槌を下さねばと思いましたの」
「放置したら恥の上塗りと判断したわ」
「周囲からしてみればちょっとしつこいだけの令息である内に矯正しないと、女心の読めない残念令息として名を轟かせてしまいそうだったから」
「酷い言われよう…」
苦しげに呻いたヨーゼフは、自分を取り囲むように仁王立ちしている二人の姉と妹から視線を逸らした。
公爵家の長子は三つ子だ。
長女イザベラと次女マリア。長男アマデウスの三人は、長女を次期公爵に添え、他二人は補佐役になることが決まっている。それぞれ結婚して子供もいる三十歳。
その下にいる双子。
次男アントニオと三男エドワード。見分けが付かないほどそっくりな二人だが大層仲が悪く、両者家を出て学者になったり音楽家になったりしている。独身貴族の二十六歳。
更にその下に年子が続き、四男フリードリヒ二十三歳。五男ヨーゼフ二十二歳。三女パルマ二十一歳の八人が、公爵家の子供達だ。
子供達と言っても全員とっくの昔に成人済み。家を飛び出していた次男と三男だけでなく、家を継ぐ三人と婚約者を泣かせて婚約が解消された末っ子のパルマ以外は自立して家を出ていた。
四男フリードリヒは公爵家が保有する伯爵位を得て領地を治めているし、五男ヨーゼフは騎士として身を立てている。
立てていたのだが今、折れそうだ。
足が痺れて力が入らず背中が丸くなるのを許されず、鋭く睨まれて腰から折れそう。
今にも頽れそうなヨーゼフを囲う、仁王立ちした女性陣。
そんな彼女らを少し離れた位置から様子を窺う長男アマデウスは、ソファの上で膝を抱えていた。
顔が隠れるくらい長い黒髪で俯く彼からは、キノコが生えそうなジメジメした空気が出ている。
「言った…言ったよ確かに、ボクは言ったよ。王家がお近付きになりたがっている令嬢とヨーゼフは相性が良さそうだねって。確かに言ったよ。でもそれは相性が良さそうだから婚約してこいとか、王家から打診が来ているとかそういう意味じゃなかったんだよ…」
しくしくしくしく…とすすり泣く声が聞こえそう。深夜でないのにそこだけ暗い。
三つ子の一人が零す嘆きに、次女のマリアは嘆息した。黒髪と一緒に編み込んだ赤いリボンが小さく揺れる。
「夜会の席で珍しく自分が仲裁してくると言うから、公爵家の一員としての責任を果たしていると思っていたのに…お前という子は。お前という子は」
「どうして思い込んだら一直線に走ってしまうのです。馬ですか。止まりなさい。誰が行けと言いました。号令は誰も出していません」
青いリボンで黒髪を一纏めにした長女イザベラが、無慈悲にヨーゼフの背中を叩いた。丸まった背を矯正する一撃だったが、背中の振動が全身に響いてヨーゼフは声なき叫びを上げた。
情けなく転がりそうな兄を見下ろして、ピンクのリボンで黒髪をサイドテールにした末っ子パルマが腰に手を当てた。
「アマデウスお兄様が相性よさそう、って言ったのは素人の見解であって確信を持った発言じゃないの。わかる? ただの感想だったの。次期当主からの命令とかじゃないのよ、お馬鹿さん」
「ぐぬ!」
お馬鹿さん、でヨーゼフの巨体を横から押した。
踏ん張りきれなかったヨーゼフは、体勢を崩して床に転がる。重みがなくなり一気に血の巡りが良くなった足から、不思議な熱を持った強烈なしびれが発生した。
どう転がっても痺れの収まらぬヨーゼフを、女達は指や爪先でツンツンツンツンつついた。
制裁の時間である。慈悲はない。
「痛い痛い痺れてる痺れてます姉上やめてくださ痛い痛い! 骨あります!? 俺足に骨あります!?」
「ありますあります」
「ちゃんとついている」
「立派な骨が生えてますよ、こことか」
「ぎぎぎ…!」
容赦もない。
次期当主三人と末っ子が家を出たヨーゼフを呼び寄せてこのような仕打ちをするのは、彼の行動が身内としても、ちょっと、目に余るものだったからだ。
ヨーゼフは元々、王宮を警護する騎士。夜会に出る機会も少なく、出会いも積極的に求めていない。
公爵家としてはしっかり血を繋いで欲しいので、夜会を主催したときは参加するよう言い含めていた。結婚したくないわけでもないようで、抵抗することなく言われたとおり、招待された夜会には出席していた。
ウブナ・ヨレナディーノ子爵令嬢の暴走とウワロ・ウーキヤ子爵令息の裏切りから起こった「リスクアール令嬢泥棒猫じゃなくて女豹だった事件」も、そんな経緯で客人として招かれていた夜会だった。
しかし、招待されたと言っても公爵家。勝手知ったる身内である。
問題が起きたから対処する。主催が忙しそうだからフォローする。それは別におかしなことではなかったし、問題を起こした一行を隔離したのはおかしな行動ではなかった。
そこでヨーゼフがステファニーに求婚していなければ、何の問題もなかった。
次の日にアポなしで侯爵家にヨーゼフが飛んでいかなければ、別の形で打診もできた。
この男、長男がぽろっと零した「王家があのご令嬢欲しがっているなー。お前はあの子と相性良さそうだねー」という独り言に近い言葉を真に受けて「長兄が言うなら相性がいいのだろう。調べたらそんな気がしてきた。よし結婚しよ」と即決した阿呆である。
阿呆である。
しかも振られたのに、マイナスからのスタートだぜと言わんばかりに突撃をやめない馬鹿である。
大馬鹿者である。
公爵家の娘達は姉として、妹として、暴走している家族を止めるために集まった。
「振られたけれど諦めきれない。これはわかります」
「諦めきれないから口説くのをやめない。これもまあ、往生際は悪いけれどわかる」
「わかんないのは相手の事情を無視した付き纏い行為。普通に迷惑。引き際が読めてない。振った男がずっと侍るとか恐怖だから。リスクアール侯爵令嬢が強かな方だから問題になっていないだけで、他のご令嬢が被害に遭ったら怯えて泣いて引きこもるくらいの恐怖だから」
「そんなに?」
「「「そんなに」」」
末っ子パルマが容赦なく、蹲るヨーゼフの尻を蹴った。足の痺れがとれないヨーゼフは衝撃と痛みに呻くことしかできない。
「そもそも距離の詰め方からして爵位を笠に着ていて格好悪い。リスクアール令嬢はウブナとウワロの事情に巻き込まれただけだったのに、家に乗り込んで不敬を不問にする代わりに~なんてやって好感度が上がると思っているの? 馬鹿なの? 馬鹿でしょ? 振られて当たり前だと思わない? そんなに自分の性欲(嘲笑)に自信があったの? あのご令嬢を手玉にとれると? 自分なら? 他の男にできなくても自分ならできるって? 一体どこの勘違い野郎かしらいたわねそんな男が他にも、ねえ、星の数だけいて撃退されているって知っていたはずよね? その星に? なりたかったわけ? なると思っていなかった? 考えなし過ぎるでしょう公爵家の男として恥ずかしいわ。騎士としても恥よね。上司に鍛え直して貰いなさいよ。どう思う? なんで黙っているわけ? 同じ言語で話しているのに理解できないの? 反論できないから黙っているの? 反省とか謝罪とか同意とかもできないのね? 私の言葉に反発しているからかしら? 私間違っているのかしら? 言い分があるなら言いなさいよほら早く聞いてあげるから私優しいもの情けない兄の言い訳を全部聞いて論破してあげるわねえほら早くねえねえねえねえねえねえねえねえ」
ヨーゼフは妹からの口撃に足より胸が痛んだ。
すごい、詰め寄ってくる。
かつて婚約者を泣かせた妹の毒舌が、ヨーゼフを襲った。
末の弟と妹のやりとりを眺めながら、一歩引いた長女と次女はそれぞれ嘆息した。
「アマデウスが相性良さそうって言っていたから、いけると思ったのでしょうね」
「兄が言うんだ間違いないって行動して失敗するの、何回目?」
「言ったけど…言ったけど…そういう意味じゃなかったんだよぉ…」
ヨーゼフ・アルガッツ公爵令息。
八人兄弟の末から二番目。弟としてならば末っ子な彼は、男兄弟からとても可愛がられて育った。
大変可愛がられて…兄達が何でもしてくれた弊害により、気付けば指示待ちのマニュアル人間になっていた。
公爵家側の事情が明らかにー…と思いきや、ヨーゼフお前ェ…。
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