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一時間目

(二)


まだ肌寒さを感じる四月の夜。

町を煌々(こうこう)と照らす満月がどこからか現れた分厚い雲におおわれたのは深夜二時の頃だった。


雲はとあるアパートの上空を中心として禍々しい渦を巻いている。


「神を恐れぬ逆さ十字をかかげる偉大なる者よ」

渦の中心の真下にあるアパートの三○三号室、

薄暗い部屋でパーカーのフードを深々と被った眼鏡めがねの男が言葉を続ける。


「闇をまとい昼を嘲笑あざわら暴虐ぼうぎゃくの子よ」

部屋の床にはタブレットが置かれており、

そこには魔方陣の画像が表示されていた。


「我は汝と契約を求めし者なり。今、地獄の底より這い上がり我が願いを聞き入れ給え!」

眼鏡の男が両手を高く上げて叫んだ。


タブレットの光にぼんやりと照らされた部屋には静寂せいじゃくが訪れた。


「やっぱり嘘か。変なサイトを信じた僕がバカだったんだ」

眼鏡の男は肩を落としてタブレットに表示されている魔方陣の画像を眺める。


すると最初はスマホが…そして流し台に積み重なった食器が、目覚まし時計がカタカタと震えだした。

次第にテレビ、本棚、冷蔵庫までがガタガタと音を出し始める。


眼鏡の男は戸惑った様子で部屋を見渡した。


「まさか、本当に?」

部屋の窓も音をたて始め、窓枠から染み入るように黒いもやが入ってくる。


気づいた眼鏡の男は驚いて立ち上がったが靄の中から低く重たい唸り声がすると「ひっ」と声を出して尻餅をついた。


黒い靄はどんどんと濃くなって輪郭りんかくを持ち始めた。

そして現れたのは銀色の長髪に覆われた側頭部から二本の巨大な角を生やした長身の男性。

背中には四つの黒くただれた翼を持ち、見た物を魅了するような鍛え上げられた筋肉が形作かたちづくるシャープな裸体らたいを惜しげもなく披露ひろうしている。


「俺を呼び出したのはお前か?」

低い声は空気を震わせた。

眼鏡の男の肌がザワザワと粟立つ。


「出た。本当に出た。あ、悪魔だ…」


「あ?悪魔を呼び出す儀式をしたのはお前だろう?だったら悪魔が出るのは当然だろう」


「まあ、そうなんですけど」

そこで会話が止まる。


二人は薄暗い部屋の中で静かに見つめ合った。

目覚まし時計の秒針が進む音が大きく聞こえるほどの沈黙。


それに耐えきれなくなったのは悪魔だった。


「おい!呼び出したのなら早く願いを言わねーか!何をジーっとしてんだよ。面倒くさいやつだな」


「は、はい。すみません!その前にこれをどうぞ」

眼鏡の男はかしこまって土下座すると二つのいちご大福が乗った皿を差し出した。


「これは?」


「いちご大福でございます」


「……それが何なんだ?」


「わざわざ来て頂いたのでおもてなしをしようと…」


「ああ? 俺はサクッと契約してさっさと帰りたいんだよ!」


「すみません!すみません!」

頭を下げる眼鏡の男の前の大福を一つ、悪魔が長い腕で拾う。

そして自分の口へ放り入れた。


「で、願いは?」


「あ、はい。僕は高崎寛太郎たかさきかんたろうと申しまして、とある高校の世界史の教師をしております」


「高校って何?」

悪魔の手がもう一つの大福を拾う。

悪魔は大福を気に入ったらしい。


「学校です。わかりますか?」


「なるほど。続けろ」


「はい。でその学校であるクラスを受け持っているんです」


「ふーん。で?」


「そこでお願いなんですが、あなたには私の代わりにそのクラスの担任の教師になってもらい、クラス全員、一人も欠けることなく卒業させていただきたいのです!」

再び頭を下げる高崎寛太郎たかさきかんたろうを見ながら悪魔はもぐもぐと大福を咀嚼そしゃくして飲み込む。


「……まあ、冗談は置いておいて本当の願いは?」


「じょ、冗談なんかじゃありません!あなたには学校の先生になっていただきたいんです」


「お前、ふざけるなよ!俺を誰だと思ってんだ?魔界の七大貴族アシュタロト家の嫡男ちゃくなん、ミズル・バルメオ・アシュタロトだぞ!その俺が人間のようなクズ虫の先生になるだと?」


「はい」


「はいじゃねぇ!」


「お願いです。どうか彼らを卒業させてください」


「卒業ってことはその時期まで時間がかかるってことだろう?」


「はい。今は四月で来年の三月までなので約一年」


「い、一年?おい、願いを変えろ。誰かぶっ殺して欲しい奴はいねぇか?それなら一瞬で終わるだろ?なあ、そうしろよ」


「いいえ。願いは変えません」

高崎寛太郎は土下座の姿勢で頭を上げてミズルを見る。眉はつり上がり凛々(りり)しい目付きだ。


「何のためにそんなわけの分からない願い事をすんの?そんなの自分でやりゃ良いじゃねーか」


「僕の受け持つクラスは問題児や成績の悪い生徒だけが集められたわば落ちこぼれのクラスでして、今にも学校を辞めたり辞めさせられたりしそうな生徒ばかりなんです。そんな難しいクラスを今年から教師になったばかりの僕にどうこうできるわけもなく、暴力さえ振るわれる始末です。だからあなたにお任せしたい」


「いやいや。お前はバカなのか?そんなの放っておけば良いだろ?教師なんて辞めて他の事をすりゃいいだろ?」


「そんなの悔しいじゃないですか!学校側は誰もやりたがらないから新任で文句の言えない僕をあんなメチャクチャなクラスの担任にしたんですよ!」


「悔しいのかも知れないけどよぉ、悪魔と契約するほどのことか?」


「まだ理由はあります。僕の家は代々教師でして当然僕もそうなるべく育てられました。そんな僕が…そんな僕がですよ?どうして辞めるって言えます?高崎家の歴史に泥を塗ってしまうようなことを言えるわけが無いじゃないですかぁぁ…」

高崎寛太郎は頭を抱えて首をぶんぶんと横に振った後、額を床にたたきつけ始めた。


「お、おい、ちょ、ちょっと落ち着け。そもそもお前は契約を理解してるのか?」


「魂をささげるんですよね?」


「そうだ。お前の願いが叶った時、お前の魂は悪魔の所有物となり地獄の底のさらに奥、狂いし魂の洞窟どうくつへと送られる。お前たち人間の魂は神が作ったものだ。その魂をその洞窟で徹底的に痛めつけて汚し我ら悪魔の力の元となる結晶へと変える洞窟だ。そこでの苦しみは人間の想像を絶するものなんだぞ。それを知ってもお前はその願いで契約するのか?」


「もちろんです!」

寛太郎は即答する。

それにはミズルも露骨に嫌な顔を見せた。


「ぶっちゃけるとさぁ、面倒くさいんだよなぁ。こんなつまんねー世界に一年もいられないだろ?よって願いを時間のかからないものに変えて欲しいってのが俺の主張」

「無理です!」


「しっかりとした返事をするなぁ。あのな、俺にも事情がある。こうやって呼び出された事は魔界の一部の悪魔に伝わってんのよ。で、人間の魂を持たずに帰った場合、あいつは人間の願いもろくにかなえられなかった無能だって話が広まっちゃうわけ。お前みたいにアシュタロト家の名に傷がつくわけ」


「ですから僕の願いを聞いてくれれば魂を差し上げますって!」


「だから時間がかかるから嫌なの! こんなの珍しいけど、こっちからお願いするよ。何人でもいいから誰かを殺す願いにして」


ミズルは真剣なまなざしで訴える。

しかし、高崎寛太郎は筋金入りのかたくなな男だった。

一度こうと決めたならその決心を変えることは誰にもできない。


悪魔対人間。

しかしそんな皮をいてしまえば心対心。

肉体的に強いかどうかはなんの関係もない。胸に奥にもった揺るぎない信念が太い方が勝つのだ!


ミズルと寛太郎はお互いの信念をかけて目を合わせた。





あのクソ人間がよぉぉぉ。


喧騒けんそううずまく教室の中、出席名簿を開くミズルの手は怒りに震えていた。


三日前の夜、結局、信念を貫き通したのは高崎寛太郎だった。

高崎寛太郎は自分の願いが叶えてもらえないなら魔界へ帰って欲しいと言ったっきりミズルの言葉を受け付けなかった。


ミズルは思いきり脅してもみた。

誉めてもみた。

下手したでに出てもみた。

人生相談に乗ろうともした。


けれども高崎寛太郎はがんとしてミズルの言葉を聞き入れなかった。

空も白みかけた頃、ついにミズルは折れた。


神の力かそれとも文明の発展による悪魔崇拝の薄れか、人間が悪魔を呼び出す儀式が減って来ている今、

人間の魂はとても貴重であり呼び出されたからには名誉のためにも必ず持って帰りたい物であったからだ。


と言うわけでミズルは今、高崎寛太郎の姿に化けて教壇きょうだんに立っている。


「なに突っ立ってんだ?はよ仕事しろよ。給料泥棒ー」

窓際の男子生徒がミズルへ言った。


ミズルのこめかみに青筋が浮かぶが奥歯を噛み締めてグッとこらえる。


高崎寛太郎との契約内容。

県立花島南はなじまみなみ高等学校三年E組の全生徒を誰一人欠けることなく卒業させる事。


その契約を守るためにもその男子生徒を殺すわけにはいかなかった。


ミズルは深呼吸して生徒の名前を呼び出欠確認を取っていく。

返事はまともなものより暴力的なものが多い。

中にはいても無視する者もいてちゃんとした出欠確認は出来なかったがとりあえずやることはやったとミズルは教壇を下りた。


「先生」と声をかけてきたのは廊下側の前の方の女子生徒だった。

ミズルが「あ?」と不機嫌そうな顔を向けると女子生徒は隣の誰も座っていない席を指す。


「今日も沙耶さやが来ていないんだけど」


「……ふーん。それが何か?」


「何か?じゃないでしょ。三年になってからずっとだよ?ねえ、どんな理由で休んでるの?」


「俺が知るわけないだろ」


「学校には親から連絡が来てるんでしょ?」


「……そうなの?」


「あのさあ、お前、本当に担任なの?自分のクラスの生徒の欠席理由ぐらい知っとけよ」


女子生徒は勢いよく立ち上がってミズルを睨み付けた。

けれどもミズルは「興味なーし」とだけ言い残して教室を出て廊下の空気を吸い込む。

そして「はぁ」と大きなため息を吐くと、寛太郎に教わったように世界史の授業へと向かうのだった。




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