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第4話 悩む進路・次の舞台は?

とりあえず幼少期の話はここまでです。


 中3最後の秋の県大会、僕は足を痛めていたのと大会前日までインフルエンザで、T先生からの指示で余程戦況が悪くならない限りはベンチで休んでいました。これまで県内では負けなしだったので、僕もまあ納得していました。中学は部員も多く、他の学校ならエースになれるだろうなってやつがいっぱいいました。選手層厚かったんです。僕のサブで入っていた後輩も県選抜でしたからね。

 そうこうしている内に3日目、決勝戦になりました。僕の高校最後の試合はベンチスタートでした。まあ仕方ないです。絶好調とはいかないコンディションでしたから。試合相手は全国に出た僕らを食ってやると言わんばかりに燃えていました。相手には選抜のツレも多くいて、


「KAZU、お前出ないのか? じゃあ勝たせて貰うからな!」

「あーはいはい、どうせ負けそうになったら出てやるよ」


 で。試合は後半に入ったところで0-3で負けていました。出番です。


「KAZU、いけるな? 逆転して来い!」

「当たり前ですよ」


 バシッ!


 こんなやりとりを先生として、ピッチに出ました。出るからには勝つしかないですからね。そして意地のハットトリック。相変わらずマンツーマンはウザかったですが、僕は現役時代のスピード、50mは5.7秒、100mは11秒フラットでした。まだ中学の時はそこまでではなかったですけど、動いてマーカーを躱して、疲労が見える味方の為にほぼ一人の個人技で3点差を取り返しました。そこからは中盤に下がり、支配率も上がり、流れも取り戻していました。で、相手が何をして来たかと言うと、ゴール前にほぼ全員が集まってのディフェンス戦法でした。カテナチオかよ? 延長はないのでPK戦狙いですね、戦術としてはわからなくはない。でもね、あからさま過ぎてうんざりしました。最期の試合で姑息だな、これでもし勝てて嬉しいんか? 攻めて来やがれよって。

 試合終了、PK戦です。僕は生涯で2回しか公式戦でPKを外したことはないです。1,2年の時は最初のキッカーで相手にプレッシャーを与える役を務めていました。ですが3年になってからは5番目、最終キッカーになりました。

 PKは乱戦で、最後のキッカーの僕まで回ってきました。外したら負け、決めればサドンデス。こういうときってもうワクワクでアドレナリン出まくりなんですけどね。痛めてた左足首がもう限界にキてました。僕は両方の足で同じくらい蹴れますが、いざってときはどうしても本来の利き足の右が出ます。この状態で傷んだ左を軸足にするのはキツイ、なら痛い方の足で蹴った方がマシなんですよ。右足は平気でしたから。


 カアーーン!!!


 キーパーに目線でフェイクを入れて逆を突き、完全に逆サイドの左上隅上部に決まるはずでした。でもやっぱり細かいコントロールが甘かったんでしょうね。「 ←この形の十字の形の上のクロスバーの角に当たりました。負けです、もっと堅実に転がすべきだったかもですね。最後はPKまでもつれ込むまで点差を追い詰めたのに、僕のミスで中学サッカー生活最後の試合は幕を閉じました。悔しかったなあー、みんなボロボロ泣いていました。先生は


「よくやった! 試合はお前達が勝っていた、胸を張れ!」


 そう言ってメンバー一人一人をハグして頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれました。負けたけど、みんなで先生を泣きながら胴上げしました。思い出したら今涙が出て来ました。


 その試合を愛人と見に来ていたクソ親父(もう離婚してました)は、悔し涙を流している僕に、


「お前が下手やから負けたんじゃ。あーだせえ」


 殺そうかと思いました。まあ未だに仲悪いですからw 大きくなって、本当はダメだけど、さすがに異母妹、弟を堂々と見せて来た時はぶん殴りました。同じくらいの12歳下、一回り違いの実の弟もいたんですよ。まあこのオッサンの話は置いときます。


 引退、真っ赤なキャプテンマーク、「必勝」と金で刺繍して貰った自分の腕章を新キャプテンの後輩に譲りました。さて進路が問題です。この秋の時点で、僕の元には、各都道府県の選手権常連の強豪校から特待生のオファーが来ていました。石川、青森、香川、富山、静岡、東京、地元の強豪エトセトラwww もう忘れましたけど10通くらい。


 ここで悩んだのは、怪我をしたとき、しかも重体、サッカーができなくなる程の、をしたとき、続けられなかったら、特待生ではなくなるということ。クソ親父のせいで、ウチは裕福とは言えなかったですから。私立に通うとなると金銭面はかなりの問題。実際、特待で進学した先輩が、夏休みに戻って来たことがあって、


「大怪我して特待切られた、今は普通に学費払ってるわー」


 と言っていました。恐らくウチの家計ではそんな学費は出せない。それにたまにクソ親父が戻って来る。母親や弟達が心配、祖父母はもう出て行った。ということで家を出てしまうのはアウト。なら公立で強いところに行くしかない、が、ウチの近所はちょい弱い進学校とちょい強い程度の工業高校しかない。

 先でサッカーを続けるには進学は必須。それにサッカーで入れたバカと思われるのも癪、なら受験するか、当時は学区外5%進学枠というふざけた制度があって、少し離れた学区に行くには募集人数の5%を潜らなければならない。アホ臭い、ここで落ちたら私立しかない。じゃあ多少弱くても近場の進学校に行くしかない。それに強豪校で、もし指導者とウマが合わなければ3年間ベンチウォーマー。だったら常に出場できる環境で中心となって経験を積む方がいいだろう。


 そうして僕は地元のお世辞にも強いとは言えない高校に受験して入りました。ここが大きな、良くも悪くも、ターニングポイントだったのかも知れません。



 卒業式の後、僕の制服の学ランのボタンは服も腕も下のYシャツのも、首元の校章も全部後輩や同級生の女子に取られてなくなりましたwww 寒かったです……

 普通は第二ボタンだけじゃねーの??!



結構人生を振り返って見れるってのは悪くないですね。

皆様、続けてKAZUDONAのストーリーを見たいなあと、

そう思われましたら、コメントお願いします!

質問等あれば、特別回とかで使わせて頂きますね。

よろしくお願い致します!

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