9. 侯爵邸での生活など
「次はこっちよ。このパールブルーのドレス」
フリージア様は次から次へと仕立て屋に私のドレスの着替えを指示する。
私がセインジャー侯爵邸に来てから3日、フリージア様は侯爵家御用達の仕立て屋を屋敷に呼び、朝から私を着せ替え人形にしている。
「うーん。色味はすごく似合っているけれど。形が何だか若々しくないわね?クラリスはまだ17歳なのよ。それくらいの初々しさが欲しいわ」
「でしたら同じ生地を使って、こちらのデザインで仕立ててはいかがでしょう。違う色味ですが、形を確認するためにお召し替えしますか?」
「ええ、見せてちょうだい」
「かしこまりました」
仕立て屋さんはこういったやりとりに慣れているのか、何度も着替えを命じられても嫌な顔一つしない。
一度だけ義姉の荷物持ちとしてドレス屋に付き合わされたことがあるが、義姉があーでもないこーでもないと何度も着替えをしようとするのに、店員が大層嫌な顔をしていたことを思い出す。
「……やっぱり、この形の方がいいみたい。さっきの生地で、この形で作って欲しいわ。それから、こっちのオフホワイトのドレスも着せてちょうだい」
着せ替え人形の仕事は中々終わらず、昼食とティータイムを挟んで、解放されたのは夕方ごろだった。
「……これとこれと、あとそれもお願い。そんなものかしらね?ああ、クラリスはこれから少しふくよかになる予定だから、それを見越したサイズで作ってちょうだい」
「かしこまりました。それでは後で直しやすいよう布を足して縫製いたしますね」
どんな無茶なお願いでも笑顔で聞く仕立て屋さんに感心しているうちに、いつの間にか商談が終わっていた。
「そんなにたくさんドレスを作っていただいても着る機会がありません」
「そんなことないわ?私が連れて歩く予定だし、もし全部着られなくてもこの屋敷を出る時に持って行って構わないわよ」
この屋敷を出る時……すなわち、私が平民になる時にはますますこんなドレスなど必要ないが、売って生活の足しにしろということだろうか?
「それは……恐れ多いです。私はご覧の通り、とても貴族令嬢とは言えない見窄らしい見た目ですし、作法も全く学んでおりません。フリージア様に恥をかかせてしまいます」
「見窄らしいだなんて……。あのね、あなたは今、掘り出されたばかりの原石なの。それを私の手で世にも珍しい大粒の宝石に磨き上げてみせるわ!それにね、確かに作法が不十分なこともあるけれど、基本はしっかりと出来ているわよ?きっとご両親の教育が上手だったのね。少し練習すればすぐに完璧なマナーが身につくと思うわ」
両親の教育……か。
もし義両親のことを指しているとしたら、その感想は全く当たっていない。
だってあの人たちから何かを施してもらったことなど一度もないもの。
だから先ほどの褒め言葉は、実の両親に向けられた言葉だと勝手に解釈しておこう。
心で思うだけなら自由なのだから。
「何だか過大評価をいただいている気がします。がっかりさせてしまったらすみません」
私がそう言うと、フリージア様は目を細めて笑った。
◇
次の日から、フリージア様は私に『淑女教育』と称して様々なことを教えてくれた。
立ち居振る舞いや食事などの基本的なマナー、お茶会や夜会の作法、貴族女性の社交術などの淑女としての教育から、王国の歴史や貴族についての知識、はたまた外国語や数学などの教養についても幅広く教えてくれた。
これまで貴族として勉強をさせてもらえなかった私にとって、新たな知識を学べることが単純に楽しかった。
今までは日々の仕事をこなすことに精一杯で、余計な知識を学ぶ暇も必要もなかったから。
侯爵邸にきて充実した日々を送る一方で、困ったこともあった。
それは私の存在を良く思わない使用人が出てきたということだ。
いきなり居候としてやってきた身なりも育ちも悪い小娘が、侯爵夫人に気にかけてもらえるのが気に食わないのだと思う。
最初は、侍女が朝に持ってくる洗顔用の水が冷水だとか、湯浴みの後に用意された下着が洗濯されていないものだとか、地味な嫌がらせだった。
だが私が文句を言わなかったから調子に乗ったのか、嫌な顔をしないのが気に障ったのかは分からないが、段々と嫌がらせが大きなものへと変わっていった。
ベッドのシーツが全く替えられない。
花瓶に生けた花は枯れても取り替えられない。
夫人がいない日は食事をとらせてもらえない。
湯浴みの湯が冷水。
終いには部屋の掃除を誰もしなくなった。
しかしはっきり言って、私は子爵家でもっと酷い扱いを受けてきたのだ。
シーツが替えられないなら自分で洗えばいい。
花は自分で生け直せばいい。
食事を一食二食抜いたところで死にはしない。
子爵家では毎日井戸水で体を清めていたから湯船に水が張ってあろうと動じない。
部屋の掃除など、私にとっては造作もないことだ。
しかしその嫌がらせもある日ぱったり終わりを告げる。
晴れた日に水を張ったタライに入れたシーツを踏み踏みしているところを、フリージア様に目撃されたのである。
「……クラリス。あなた、何をしているの?」
「あー、あの……シーツを洗っております」
「それはあなたの仕事ではないわよね?」
「……しかし、洗わないと不潔ですから」
私がそう言った時のフリージアの凍るような翡翠の瞳は忘れられない。
「……そう。どうやら、仕事を放棄している不届者がいるようね?」
そう呟くと、フリージア様はひらりとドレスを翻して屋敷の中へ入って行った。
そしてその日の夜、いつも無愛想な侍女のレネアが涙と鼻水で顔をぐずぐずにしながら床に額をついて謝ってきた。
「申じ訳ございまぜんでじだぁぁっ!どうか寛大な心でお許じぐだざいまぜぇぇ!!」
レネアが言うには、私の予想通り、どこの馬の骨とも分からない見窄らしい女が侯爵夫人に気に入られてるのが気に食わなかった。
密かに憧れていたアレン様と親しくしていたのが腹立たしかった、ということだった。
私に許してもらえなければ解雇するとフリージア様に言われて、泣きながら謝っているらしい。
「別に良いですよ。私なんかの世話をしたくないって、レネアさんがそう思うのも当然です。私から夫人にお願いして私付きの侍女から外してもらいますので、それで怒りを収めてもらえませんか?」
「それはどうかご勘弁ぐだざいぃぃ!!そんなことになれば、解雇されてじまいまずぅぅ!!」
ビショビショに泣くレネアを何とか宥め、侍女を続けることを許した。
それから二度と嫌がらせされることはなくなった。
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