8. 公爵邸へ 〜第三者視点
イベリン宛の求婚状が届いた次の日。
さっそくガルドビルド公爵家の紋章が入った豪奢な馬車がイベリンを迎えに来た。
お気に入りのドレスや宝石を詰め込んだ箱は何と5箱分になってしまったが、一度に馬車に乗り切らないから後でもう一度馬車を送ってくれる手筈になった。
イベリンは手持ちの中で一番高いローズレッドのドレスを着込み、優雅に馬車に乗り込む。
黄色に近いハニーブロンドの髪によく映えるこのドレスをイベリンは甚く気に入っていた。
まるで王宮の夜会にでも行くかのように着飾ったイベリンを見て公爵邸の使者が苦笑いしたのに、彼女は気づいていない。
王都の端の地代の安い土地に建てられた子爵家から公爵邸までは馬車でおよそ2時間。
ずっと乗っていてもお尻が痛くならない公爵家の馬車に、イベリンは大変満足した。
そして2時間の道程を経て、馬車は公爵邸の玄関アプローチ前で停車する。
使者のエスコートを受けて優雅に馬車から降りたイベリンは、公爵邸を見上げて目を瞠る。
それと同時に、自分がこれからこの屋敷の女主人になるということに胸を高鳴らせた。
公爵邸の応接室に案内されて小一時間、公爵はまだ来ない。
イベリンが段々と苛立ちを募らせてきた頃、応接室の扉が開かれる。
「すまない、待たせたな」
大股で入ってきたのは艶やかなベージュブロンドで非常に端正な顔立ちの男だった。
その透き通るようなアイスブルーの瞳にイベリンは見覚えがあったが、どこで会ったかまでは思い出せない。
男はどっかりとソファに座り、悠々と足を組んだ。
「……私はオスカー・ガルドビルド。ガルドビルド公爵家の当主だ。君はイベリン・シーヴェルトで間違いないか?」
恋焦がれた相手を目の前にしているにしては淡々と、オスカーは尋ねる。
「はい、間違いございません。私が『春の妖精』イベリン・シーヴェルトですわ」
イベリンは社交界での通り名を恥ずかしげもなく名乗る。
それを聞いたオスカーは若干眉根を寄せる。
「……ふむ。私が求婚したのは君で間違いないようだ」
「うふふ。私に求婚なさったのに、いきなり枯れ枝のように見窄らしい女が来て驚いたでしょう?手違いがあったようで申し訳ありません」
イベリンは非常に気分が良かった。
公爵という高い地位の者からの求婚というだけでも価値があるのに、その相手がこんなに美丈夫だとは何という幸運か。
近くで見ると若干薹が立っているが、そんなことはあまり気にならないほどの美貌だ。
だから調子に乗ってどうでも良いことをペラペラと口にしていた。
オスカーの眉間の皺にも気付かずに。
「……いや、それはこちらの手落ちだ。君の義妹にも申し訳ないことをした。……ところで……初めて出会った夜、君はどうして『クラリス』と名乗ったのかな?」
オスカーに問われ、イベリンの笑顔が引き攣る。
同時に、背中に冷や汗が伝う。
イベリンが『クラリス』と名乗る時。
それはすなわち、男を漁る時だ。
公爵はどこまで事情を知っているのか?
イベリンはオスカーの様子を窺った。
しかしオスカーの表情は先ほどと何一つ変わらない。
まさか「男漁りをするために義妹の名を語りました」などと言えるはずもなく、イベリンは必死で言い訳を考える。
そこでふと、イベリンはある夜のことを思い出す。
ひと月ほど前に開かれた仮面舞踏会でのこと。
その日はお酒をしこたま飲んで酔っ払っていたため、夜の相手のことをよく見ていなかったが、こんなアイスブルーの瞳をしていた気がする。
「……あの日は仮面舞踏会でしたので、本名を名乗るのは無粋かと。それで、義妹の名前を拝借しましたの。……もちろん、義妹には許可をとってあります」
全部真っ赤な嘘だが、イベリンがその可憐な容姿でしおらしく答えれば信じない男はいない。
……と、少なくともイベリンはそう信じている。
その答えを聞いたオスカーはしばらくイベリンの薄紅の瞳を眺めた後、口を開いた。
「……そうか」
どうやらあの回答でオスカーは納得したらしかった。
イベリンはホッと胸を撫で下ろす。
「ならば、今までクラリス嬢が社交場に姿を現したことがなかったのはなぜか?どの者に聞いても、『シーヴェルト子爵家の娘はイベリン嬢だけだ』と言っていて、クラリス嬢のことを知っている者は皆無だった」
次のオスカーの質問に、イベリンの心臓は再び早鐘を打つ。
戸籍上は義妹であるにも関わらず、まさか「家族扱いしていなかったから」などと答えるわけにもいくまい。
イベリンは再び必死で言い訳を探した。
「……オスカー様もご覧になった通り、クラリスは非常に痩せていたでしょう?あの子は病弱な子なのです。それで、なかなか外に出すことはかないませんでした……」
涙で薄紅の瞳を潤ませ、オスカーを見上げる。
普通の男ならば鼻の下を伸ばすイベリンの必殺技である。
しかしオスカーは眉ひとつ動かさない。
「……そうか」
そう一言だけ呟いたオスカーに、イベリンは再び胸を撫で下ろす。
「……それはクラリス嬢には酷なことをしたな……。彼女のことは悪いようにはしないから安心すると良い」
ハンカチで涙を拭う素振りをしていたイベリンは、オスカーの言葉にハンカチの裏で顔を歪ませる。
「悪いようにはしない」?
イベリンはクラリスが地を這う様を見たくてしょうがないのだ。
徹底的に打ちのめしたいのだ。
それなのに、夫となる男はクラリスを救おうと言うのか?
「あのっ……!それならば、クラリスを私の侍女として雇ってあげてくれませんか?勘違いとはいえ婚約破棄をされて、傷物扱いになったクラリスに良い縁談も来ないでしょう。そんな義妹を、ずっと側で支えてあげたいのです!」
あくまでも義妹の心配をする義姉として、イベリンは持てる演技力を全て注ぎ込んでオスカーに訴えた。
オスカーは一瞬少し驚いたように眉を上げるが、すぐに冷静な表情に戻る。
「……先ほど、クラリス嬢は病弱だと言わなかったか?社交場に出られぬほど病弱な者が侍女として働くことはできまい。今クラリス嬢は然るべき場所にいて、きちんと医師の診断なども受けられる状態だから安心してほしい」
イベリンは思わず舌打ちしそうになったのをどうにかこうにか堪えた。
先ほど捻り出した言い訳が、結果的に悪い方に働いてしまった。
『クラリスが病弱』という設定では、侍女として側に置くことは難しそうだ。
しかしどうにかしてイベリンはクラリスを側に置きたかった。
苛々が募った時の解消先が必要だったし、自分の目の届かないところでクラリスが幸せを掴むのが嫌だったから。
しかも、オスカーは「クラリスは然るべきところ」にいると言った。
然るべきところとはどこか?
イベリンは思わず親指の爪を噛みそうになり、ぐっと堪える。
「それからイベリン嬢。これから君には公爵夫人になるための教育を受けてもらう。早速明日から教師を手配しているので、しっかり務めてほしい」
話が自分に戻り、イベリンはハッと顔を上げる。
「承知いたしました。必ずオスカー様に相応しい公爵夫人になってみせますわ」
イベリンは夜会で何人もの男を虜にした妖艶な笑みを浮かべる。
それを見てオスカーは軽く頷き、ソファから腰を上げる。
「さて。申し訳ないが私は宰相として忙しく働いている身でね。今日は君と会うために一時的に屋敷に戻ってきたが、またすぐに王城に戻らねばならないのだ。屋敷については家令のダビデに一任しているから、何かあれば彼に聞いてくれ。では、失礼する」
そう言ってオスカーはさっさと応接室を出て行ってしまった。
嵐のように去ったオスカーに、イベリンは声をかけるタイミングを失ってしまった。
唖然としたのも束の間、イベリンはすぐに明るい未来を思い描いて気分を高揚させた。
自分がとんでもない思い違いをしていることに、未だ気付かぬまま。
★感想、いいね、評価、ブクマ★
いただけると嬉しいです!
全24話で完結。
毎日7時と17時に更新。