7. 私はヒロイン 〜イベリン視点
「こんなクソ不味いお茶淹れてんじゃないわよ!!」
───ガシャン!
私が薙ぎ払った茶器が激しい音を立てて床に叩きつけられ、粉々に砕ける。
私は苛立ちを発散するためにそうしたはずなのに、その音が余計に私を苛立たせる。
侍女は青い顔をして慌てて茶器の破片を片付けているが、その姿すら気に食わなくて侍女の背中を蹴飛ばす。
それもこれもあの女に公爵家から縁談が来たせいだ。
枯れ葉のように見窄らしくて憐れなあの女………。
私は平民として生まれ育ったけれど、9歳になったある日転機が訪れた。
貴族だった父の兄がその妻と共に死んで、父がその家を継ぐことになったのだ。
私はしがない平民から一転、貴族のお嬢様となった。
しかし父の兄には一人娘がいた。
それがクラリスだった。
初めて会った時、クラリスはお姫様のように可愛らしかった。
それが私には気に食わなかった。
私が小汚い格好をしているのに、クラリスは綺麗なドレスを着ている。
たかが父が少し後に生まれたというだけで、なぜこんなにも人生が変わってしまうのか?
そんなのは不公平だと思った。
だから、私はクラリスから奪った。
そしてあの女は見るも無惨な底辺の人間に成り下がった。
しかし貴族の世界に足を踏み入れて分かったのは、貴族の中にも優劣があるということ。
私が成り上がった子爵令嬢という立場は、社交界では全く価値を持たなかった。
だから私は自分を磨いたのよ。
高位貴族に見初められるために。
努力の甲斐あって、社交界で『春の妖精』と呼ばれるまでになった。
………それなのに。
何の努力もしていないあの女が、公爵夫人ですって!?
そもそも父が子爵家を継いでから、私たち家族はクラリスの存在を徹底的に隠してきた。
どこからあの女の存在が漏れたのかしら……。
気がつけば私は親指の爪を血が出るまで噛んでいた。
しばらく止めていた癖が再発してしまった。
今までは嫌なことがあってもあの女を甚振れば気が済んでいたのに、昨日あの女が公爵邸に発ってからそれも出来なくなった。
目の前では背中を蹴飛ばされて床に転んだ侍女が手から血を流しながらフラフラと立ち上がっている。
何て愚鈍な女なのかしら?
お父様に言ってクビにしてもらわなきゃ。
そんなことを苛々と考えていると、部屋の扉がノックされる。
「……失礼します、イベリン様。ご主人様がお呼びです」
執事のピーターが室内の光景にやや驚きながら、しかし冷静な口調で用件を伝える。
「……そう。すぐ行くわ」
私はそう言って振り返らずにさっさと部屋を出ていく。
執務室に向かう途中に、ピーターが後をついて来ていないことに気づく。
使用人のくせに、主人を行かせたまま世話をしないなんて……とさらに苛立ちが加速する。
ピーターは前の子爵の代から雇われている執事だが、他の使用人のように良いように使われてくれないから嫌いなのよね。
だから解雇してほしいとお父様には何度も言っているのだけど、子爵家の執務のことをよく分かっているのがピーターだけだから解雇できないと言われてしまった。
子爵位をお兄様が継いだら、絶対に解雇してもらうわ。
そんなことを考えているうちに、執務室に到着する。
扉を開けると、満面の笑みのお父様が早く早くと手招きするので、そのままソファに腰掛ける。
「喜べ、イベリン!来たぞ、縁談が!!」
お父様は興奮し切っていてなぜか片言になっている。
「お父様落ち着いて。どこからの縁談なのです?」
「聞いて驚くな!……何とあの、ガルドビルド公爵からだ!!」
その瞬間、執務室に沈黙が流れる。
ガルドビルド公爵といえば、クラリスに求婚してきた人じゃないの。
「お父様、何を仰っているのですか?……まさか、私を第二夫人に、という話ではないでしょうね?」
私がお父様を睨め付けると、お父様は狼狽したようにあわあわと手足を忙しなく動かす。
お父様のこういう貴族らしくないところが嫌なのよね。
「ああ!違う、説明の順序を間違えた!いいか、よく聞け。……クラリスとの婚約は破棄された!」
「……どういうことですの?」
「公爵閣下はやはり求婚相手を間違えたのだ!あの縁談は最初からイベリンに来たものだった!!」
お父様の話が呑み込めた瞬間、私の苛立ちがサァッと霧散していくのを感じた。
そして腹の奥からふつふつと、悦びや快感、優越感や嗜虐心が湧き上がってきた。
「まあ……それで。私に求婚状が?……ふふっ、クラリスが婚約破棄?……ふふふっ……あっはははは!」
私が突然大声を上げて笑い出したので、お父様は吃驚して肩を震わせる。
「可笑しくて堪らないわぁ!!あの見窄らしい女に縁談なんかくるはずないもの!クラリスったら惨めねえ!?……それで?クラリスは今どこに?」
そう尋ねると、お父様ははたと動きを止める。
「……そういえば……こっちには戻っていないな」
「うふふ……きっと身一つで追い出されたのでしょうね?その辺で野垂れ死んで……いえ、いけないわ!家族とは思っていないけれど、戸籍上は義妹だものね?」
私の言葉に、お父様は顔を引き攣らせる。
「あ、ああ。そうだな。どこかで倒れでもしては可哀想だ。すぐに捜索させよう!」
「ええ、そうしてちょうだい。……クラリスが戻ったら、私の侍女として雇うから公爵邸に連れて来てくださる?私が公爵様にお願いすればきっと大丈夫だわ。……クラリスには、これからも私の手足として働いてもらわなきゃね?」
「……その通りだな!」
お父様はすっかりその気になって、騎士団に捜索を要請すると言って執務室を飛び出して行った。
執務室に一人きりになってからも、私は笑いが止まらなかった。
ああ、こんなに愉しい事ばかりで良いのかしら?
物語のヒロインのように、世の中は私中心に回っているのかもしれないわ!
公爵夫人になって権力を振りかざし社交界を思うままにする想像を膨らませるあまり、どうして公爵様が求婚相手を間違えたのかなど疑問に思うことを忘れてしまっていた。
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