19. 騒動 〜第三者視点
「ソールワッツ侯爵でいらっしゃいますか?……初めまして、私はオスカー・ガルドビルドの婚約者のイベリン・シーヴェルトと申します。以後お見知り置きを。……奥様もどうぞこれから仲良くしてくださいね」
イベリンにいきなり声をかけられたソールワッツ侯爵夫妻は振り返るなりピシリと固まった。
驕慢な笑顔を浮かべるイベリンと、ニコニコと媚びるような笑みを浮かべる小太りの男とその妻らしき女、それから不遜な態度でこちらを見ている育ちの悪そうな男。
怪訝な顔で家族をジロジロ見ているソールワッツ侯爵に気付き、イベリンは堂々と紹介を始める。
「こちらは父のシーヴェルト子爵、それから子爵夫人と、後継の兄でございます。これからガルドビルド公爵家と縁続きになりますので、色々とよろしくお願いしますね」
「どうもどうも。シーヴェルト子爵のジョージと申します。公爵夫人の実家として、引き立ててくださるとありがたいですなあ!」
ソールワッツ侯爵は困惑した。
何もかもが間違っているからだ。
仮令イベリンがオスカーの婚約者であったとしても、その身分がまだ子爵令嬢である限り、ソールワッツ侯爵の方が身分が上である。
身分が低い者の方から話しかけるのは社交界では完全なマナー違反になる。
それに、婚約者をお披露目するのであれば普通はガルドビルド公爵が紹介するのが筋ではないか?
婚約者が一人で自ら紹介して回るなど、聞いたことも見たこともない。
なぜなら、そんなことをしても誰も信用しないからだ。
どう対応したものか……しばらくの沈黙のうちに隣の夫人を見ると、夫人もじっと侯爵を見上げていた。
そして2人は小さく頷き合い、何も言わずにくるりと踵を返して別の知り合いに声をかけてにこやかに会話を始めた。
要するに、イベリンたちを無視したのである。
「な……無視ですって!?」
イベリンは憤慨した。
公爵夫人になった暁にはソールワッツ侯爵家を徹底的に懲らしめてやるわ。
そんなことを思いながら、気を取り直して他の貴族たちに次々と声をかける。
しかし、どの貴族たちもソールワッツ侯爵と同じような対応だった。
何もかも思い通りに事が運ばず、苛々を募らせるシーヴェルト子爵家の面々。
貴族たちに声をかけても袖にされ、当てもなく会場を彷徨いていると、遂に体のいい八つ当たり相手を見つける。
───クラリスだ。
「クラリス!ほら、お父様!見て、クラリスよ!」
イベリンが声を上げ指差す方を見た義家族は目を瞠る。
すぐ先にはシーヴェルト子爵家にいた頃の姿とは見違えるほど美しく着飾ったクラリスが立っている。
「あれが……クラリスだって?」
言葉を失った義家族のうち、最初に口を開いたのは兄のアラスタだった。
シーヴェルト子爵家にいた頃のクラリスは碌にご飯も食べられぬまま家の中のあらゆる雑用をさせられ、痩せ細っていつも煤けていた。
だがどうだろう。
すぐ先に立つクラリスは十分な食事のおかげで細いながらも女性らしい肉付きになり、元々白い肌には健康的に赤みが差している。
さらに毎日髪の毛から足の爪までピカピカに磨かれたおかげで、くすんでいると思われていたシルバーグレーの髪は輝きを取り戻し、シャンデリアの光を反射している。
「お父様!聞いておられますの!?」
クラリスに見惚れていたジョージはイベリンの怒声でハッと我を取り戻し、憤った表情を浮かべた。
「……クラリス!!お前、一体どこをほっつき歩いていたんだ!!」
ジョージは大声を上げ、ズカズカと床を踏みしめながらクラリスに近づく。
クラリスの腕を掴もうと手を伸ばした瞬間、ジョージとクラリスの間にスッと大きな体躯が入り込む。
「……随分と無礼な方だな」
ジョージが驚いて目の前に立った人物を見上げると、怒気を孕んだ翡翠の瞳に見下ろされているのに気づき、思わず怯んで後退りする。
「あ、あ、あなたこそ、何なんだ!?そこにいるのは私の義娘だ!今まで行方知れずで、ずっと探していたのだ!さっさと引き渡してくれ!」
ジョージは顔中に冷や汗をかき、唾を飛ばしながらアレンに食ってかかる。
そんな醜態を晒す父を横目に、穏やかな笑みを浮かべたイベリンが一歩前に出る。
「……アレン様。ご覧の通り、父も家族もクラリスのことが心配でずっと探しておりましたのよ。私たち仲良し家族を引き離そうとすることはやめて、クラリスを返してくださらない?」
イベリンは前屈みになり、グッと胸の谷間を寄せる。
そしてその体勢のままアレンの手を握ろうと手を伸ばすと、アレンにバッと払われる。
「……あなたと私は何にも関係がないのだから無闇に触らないでもらえるか?それから、名前を呼ぶことは許可していない。不快だ」
アレンに氷点下の視線を投げられ、イベリンは狼狽した。
想定していた反応と全く違ったからだ。
イベリンの考えでは、アレンは自分の魅力に堕ちてあっさりクラリスを引き渡し、あわよくばそれ以降はイベリンをエスコートするはずであった。
「そ、そんな冷たいことを仰るなんて酷いわ!」
イベリンがじんわり涙を浮かべても、同情したり慰めに来てくれる人はいない。
「……酷いのはどちらかな?」
アレンはイベリンとその家族をゆっくり見回す。
「あなたたちはクラリスを連れ帰り、また虐めるつもりか?」
アレンの発言に、遠巻きにこの様子を見ていた人たちがどよめく。
「碌な食事を与えず、使用人のようにこき使うつもりか?」
ジョージと妻の顔は青ざめ、ワナワナと唇が震え出す。
聴衆は顔を顰め、ヒソヒソと何かを囁き合っている。
その視線はどう見てもイベリンたちに友好的なものではなさそうだ。
「言いがかりです!私たちはそんなことはしていません。……クラリス、あなたまた嘘をついたのね!この子は昔から私のことを羨んで、貶めようとするのです……もう良い加減、止めてちょうだい!」
わぁっと声を上げてイベリンが泣き出す。
まるで子供のような泣き様に、聴衆はますます眉を寄せる。
「……私の誕生日に泣き声を上げるとは何事かな?」
突然聴衆の向こうから声が上がり、聴衆が割れる。
奥から現れたのは、ゆるりとした白金の髪にアイスブルーの瞳、王族の白い正装を纏った王太子スティングであった。
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