17. 義姉と対峙しました
イベリンの姿を見て無意識に手に力が入っていただろうか。
アレン様の肘に添えた私の手の上に、アレン様の手が添えられる。
アレン様を見上げると、アレン様も私を見下ろして優しく微笑んでくれる。
「クラリス。全て私に任せて、君は私の隣でただ微笑んでいればいいからね」
耳元でコソッと囁かれた言葉の意味を呑み込む前に、前方を歩いていたオスカー様の視線がこちらに向き、その直後、オスカー様が進路を変えてこちらに向かって歩いてくる。
もちろん、その傍らにはイベリンが寄り添っている。
体が自然と強張る。
オスカー様の行き先が此処でないことを、アレン様の足が別のところへ向かうことを願ったが、私の願いはどちらも叶わなかった。
「アレン。君が夜会に出るなんて珍しいこともあるものだな」
オスカー様が気安い雰囲気でアレン様に話しかけてくる。
すぐに何かを言われるかと思ったが、意外なことにイベリンの視線は私ではなくアレン様に向いている。
「今日は大切な役割を果たすために参りましたので」
そう言って、アレン様はチラリと私に視線を遣る。
その視線に合わせてオスカー様の視線が私に移ると、驚いたようにそのアイスブルーの瞳が見開かれる。
「君は………クラリス嬢、なのか?」
その言葉を聞いて、先ほどまでうっとりとアレン様を眺めていたイベリンが弾かれるように私に視線を移し、みるみるうちに目の端を吊り上げる。
その形相に恐怖に呑まれそうになるが、アレン様が私の手をポンポンと叩いてハッと我に返る。
「……ご無沙汰しております、ガルドビルド公爵閣下。クラリス・シーヴェルトでございます」
フリージア様に仕込まれたカーテシーで挨拶をすると、「顔を上げて」とオスカー様に声をかけられ、顔を上げる。
「……驚いたな。本当に……「クラリス!」
オスカー様の言葉を遮ってイベリンが大声で私の名を呼ぶ。
セインジャー侯爵家で受けた様々な教育のおかげで、今こうやってイベリンがオスカー様の言葉を遮った行為がどれだけ不躾なことかよく分かる。
「あなた、公爵家を追い出されたくせに子爵家にも帰らないでどこをフラフラしていたの?……しかもそんなに不相応に着飾って。まさか、身体を売って稼いでいたりしないでしょうね?」
王宮という場でのあまりに下品な物言いに、私は目を見開く。
イベリンの隣に立つオスカー様の眉間にグッと皺が寄る。
「……失礼ですが。久しぶりに再会した義妹に対してそのような下品な言葉をかけるのが淑女として正しいマナーなのですか?」
アレン様が言葉を発するとイベリンは視線をアレン様に移し、再び瞳をトロンと蕩けさせる。
「……あなたは?」
「セインジャー侯爵が四男、アレン・セインジャーです」
「アレン様。……クラリスは体が弱く社交の場には出たことがありません。そんな者を伴っていてはアレン様の品位が損なわれてしまいますわ」
イベリンはアレン様の許可なく勝手にアレン様の名を呼んでいる。
チラリとアレン様を見ると、一見穏やかな表情をしているものの顳顬に青筋が立っている。
「ほら、クラリス。アレン様の迷惑になるのだからその手を離しなさい。……ああ、そうだわ。どうせ行く当てがないのでしょう?オスカー様にお願いして、あなたを私の専属侍女として雇うことになっているの。いくら素行が悪いと言っても、あなたは義妹だもの……見捨てられないわ」
まるで義妹のことを思いやる義姉のように慈愛に満ちた表情をしてイベリンが語りかける。
私は先ほどアレン様に言われた言葉を思い出し、静かに微笑みを浮かべてじっとイベリンを見つめる。
「……イベリン嬢。クラリス嬢はちゃんと保護されているから心配は無用と伝えたはずだが」
オスカー様はイベリンを下がらせようと腕を引いたが、イベリンはオスカー様に絡ませた腕を解いてこちらに近づいてきた。
「……クラリスは現在、セインジャー侯爵家の保護下にいます」
私とイベリンの間に立ちはだかるようにしてアレン様が前に出る。
すると何を思ったのか、イベリンはアレン様の手を取って両手で握り締める。
「アレン様。クラリスを助けていただきありがとうございます。躾も何もなっていない義妹ですから、この子の相手をするのも大変でしたでしょう?これからはクラリスは私の侍女としてしっかり教育いたしますから、さあ、こちらにクラリスをお渡しください」
私はアレン様の背中に隠されているから、アレン様の表情は見えない。
イベリンは可憐な容姿を最大限に活かすように健気な表情でアレン様を見上げていたが、次第に顔色を変えて握っていたアレン様の手を離す。
「クラリスはセインジャー侯爵家が責任を持って預かっていますので、あなたの心配には及びません。……ああ、そうそう。クラリスはセインジャー侯爵夫人も認めるほど優秀でね。どこに出しても恥ずかしくないと太鼓判を貰っているのですよ。
それにほら、とても美しくなったでしょう?シーヴェルト子爵家では全く磨いてもらえなかったようですが……少し磨いただけでこの通り、ですよ」
アレン様はそっと私の手を引いて前に導き、腰に手を回して体を寄せる。
突然のことに驚いて躓き、思わずアレン様の躯体にしがみつく格好になる。
アレン様を見上げると、アレン様は変わらず優しい瞳で私を見下ろしていて、私は安心して笑顔を浮かべ、そのままイベリンを見つめる。
イベリンと目が合うと、イベリンの顔がだんだんと怒気を孕んだ表情に変化する。
「クラリスっ!何してるの、早くこちらへ来なさい!」
イベリンは先ほどまでの甘く潤んだような声ではなく、腹から唸るような声を張り上げる。
「残念ながらクラリスは私の大切な人なのでね。公爵邸で働かせるわけにはいかないのですよ。そういう事情ですからオスカー様、何卒ご容赦ください」
『大切な人』という言葉にドギマギしてアレン様を見遣ると、アレン様はじっとオスカー様を見据えている。
オスカー様は黙って首肯する。
「……イベリン嬢。クラリス嬢を侍女にするのは彼女がそれを望むことが条件だと伝えたはずだ。見ての通り、彼女はセインジャー家で大切にされているから心配は要らない」
オスカー様の言葉に、イベリンは目を吊り上げたままフンと鼻を鳴らす。
「……アレン様はセインジャー家の四男と言ったかしら?4人も息子がいればどうせ継ぐ爵位もないのでしょう?じゃあ、結婚したとしても平民じゃないの。……ふふふ、馬鹿なクラリス。私の侍女になれば少なくとも貴族ではいられるのにねえ?」
私たちの会話を多くの人が遠巻きに聞いているのに気づいていないのか、イベリンは遂にとんでもないことを口に出す。
いや、もう既に気分は公爵夫人なのだろう。
そうでなければ、たかだか子爵令嬢が侯爵令息に掛けて良い言葉ではないと気付かないわけがない。
「イベリン嬢。……君は」
オスカー様が眉間の皺を深め、イベリンに声をかけた瞬間。
「国王陛下並びに王妃陛下、王太子スティング殿下、アナベル王女殿下のご入場!」
会場に一際大きな声でアナウンスが響き渡った。
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