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ホワイト・アウト  作者: ニソシ
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09.グレーコンクルージョン

 災害現場へと向かうヘリコプターの中で、蛎灰谷(かきばや)は心臓の鼓動を高鳴らせていた。他の隊員達は救助活動の手順をおさらいとして話し合ったり、窓から地上の様子を観察したりしていた。黙っている蛎灰谷は緊張がはちきれそうになっている。


「豪雨被害、相当なもんだな」


 隣に座っていた先輩隊員が窓の外を見ながら話しかける。驚いて少し身体を跳ねさせた蛎灰谷は気を取り直して自らも窓へ顔を向けた。


「これは……」

「蛎灰谷、お前は地震と雪崩の救助はしたことあるんだよな? 豪雨被害はまた違った危険がある」

「水の流れが凄まじい……あの中には瓦礫なんかも沢山混じってるんですか?」

「その通り。地震や雪崩が収まってから、埋まった建物の中から人を救い出したりするのとはワケが違う。いつまた建造物が水でぶち壊されるか分からない。泥水には害のある菌なんかも混じってる。俺達にも危険が近いものなんだ、特にな」


 浸水した建造物に取り残された人達を救助するべく、ヘリコプターからロープと共に隊員が垂らされていく。蛎灰谷はその光景を見ながら手に汗を握る。真下にある一軒家は二階建て。屋根に登った住民の男性に隊員が手を差し伸べ、胴体にベルトを巻き付けた。


「まずは観察を怠るな。失敗は許されない」

「……はい! 俺も、ああやって人を助けます!」


 清々しい蛎灰谷を見た先輩隊員は頷きながら口角を上げた。正義感の強い蛎灰谷は職場でも好かれており、関係は良好なものだった。

 ロープが巻き取られ隊員と住民がヘリコプターまで上がってきた。住民はやけに疲弊した様子。それだけならば違和感はないが、彼は涙を流しながら妻と娘の名前を呟いていた。


「愛里……英美里……ごめん、僕だけが生き残ってしまった…………どうして、どうして僕だけが」

「食料や水は用意してあります。今のところは、落ち着いて栄養を摂ってください」

「は、はい…………」


 家族の後を追うため、自死の選択肢を取ろうとする人間は居る。救助活動をしていく中で蛎灰谷も他に同じような事例は見てきた。迂闊な慰めは逆に追い詰めてしまう事も。


「俺達は冠水しきっていない地域に降りて、これ以上被害が広がらないように逃げ遅れた人々の避難誘導、及び避難所での炊き出しの援助を行う。着いてこい」


 先輩隊員に連れられ、蛎灰谷と他数名の隊員は洪水の被害が出ていない道路に下りた。避難所がどこにあるのか分かっていない人を誘導し、怪我をしている場合は所持している消毒液や包帯で対応する。人を助け、お礼の言葉を貰う。これが蛎灰谷の生きがいだった。


「俺はまだここで人を探す。蛎灰谷、お前は先に避難所に行って手伝いをしてこい」

「はい! いってきます!」


 良い返事をしてから蛎灰谷は駆け出した。毛布や食糧が入ったボストンバッグを持ち、転んでしまわないよう足元に気をつけながら。避難所は小学校の体育館だった。出入口に立っている自衛隊員と挨拶を交わし入っていくと、どんよりとした空気が待ち構えていた。

 それもそのはず、住居や財産、中には家族を失った者も居る。暗い話題ばかりがその場を包み込んでいた。蛎灰谷も大人だ。無理に励ますような言葉は発さず、持ってきたバッグから毛布や水の入ったペットボトルを配ろうと考えた。


「何十人もいる……全員に与えられるわけがない。どうするか……」


 体調が優れていない者、まだ幼い子供を優先しようと体育館内を歩き出す。しかしこの状況で体調の優れている人間の方が珍しい。ほぼ全員が疲れきった表情。悩んだ蛎灰谷は子供と女性に毛布を渡すことにした。


「自衛隊です。もうすぐで本格的な支援がやってきます。今こちらから提供できるのはこのくらいのものですが、どうぞ」

「あ、ありがとうございます!」


 幼い息子を隣で寝かせている母親に、蛎灰谷は優しく手を差し伸べた。同じように子供と一緒に逃げてきた親は多い。蛎灰谷が持ってきた支援品はすぐに底をついた。


「こちらで持ってきたものはなくなりました。ですが一時間もしないうちに他の隊員達がやってきますので……」


 あともう少しの辛抱で飢えがしのげる。ブーイングなんてものは起こらず、安心の声と会話で体育館は騒がしくなった。蛎灰谷も安堵のため息を漏らした。


「ふぅ……先輩達が来るまで、ちょっと俺も休憩するか」


 体育館から出た蛎灰谷は自分用の水筒の蓋を開け、冷たい水を体内に流し込んだ。汗を流していた身体によく効く。出入口に立っていた自衛隊員に近づき、状況の説明を求めた。


「重度の怪我人や病人はいたりしませんか?」

「一人一人、身元の確認は済ませています。幸い重傷者はいません。これから運ばれてくるかもしれないですが」

「いえ、それならいいんです。すぐに病院に連れていかなきゃならない人は、いないということで」

「はい、ご苦労様です」


 隊員も疲れている様子。見かねた蛎灰谷は予備の非常食である缶に入ったクラッカーを取り出した。


「それは支援のためのものではないんですか?」

「これは自分達のために用意したものです。救助する側も元気じゃなきゃダメですよ。さ、あなたも」

「そういうことでしたか、いただきます」


 コンクリートで造られた階段に座り、二人は味の薄いクラッカーを噛み砕いて水で流し込んだ。


「味は良くもないし、悪くもないです」

「結構好みは別れますよね」

「今まで食べたレーションの中ではまぁ良い方です」


 初対面ではあったが同業者との会話は弾む。心が安らいでいった。別の地域にある駐屯地に所属している隊員との事で、今までの任務等について雑談が進む。


「蛎灰谷さんは将来の事とかは考えてないんですか? 例えば結婚などは」

「俺はまだ……そういうことに決心がついてないので」


 笑を零した蛎灰谷は残りのクラッカーを口の中に放り込み、水で一気に流し込んだ。蛎灰谷はこうやって他人と話す事も好きだった。互いに信頼し、軽口を叩いたり悩みを相談したり。天性の“人の良さ”というものがあった。

 

 ──しかし。無事に救助活動を終えて駐屯地に戻った蛎灰谷に告げられたのは無慈悲な苦情。先輩隊員が缶コーヒーを飲みながら言った。


「蛎灰谷、お前にクレームが来てた」

「え?」

「“避難所で他の隊員と食事をしながら雑談をしていた”とな」


 言葉も出なかった。自分にやれるべき事はした。たった十五分程度の休憩を気に入らない人間が、クレームを入れるほどの人間が、あの避難所の中にいた。


「まぁなんだ、この程度は相手にしなくていい。ただ次からは人の目が届きにくい場所でやることだ」


 先輩隊員の忠告は優しかった。だが蛎灰谷は、自分が接したあの避難所の人間の中に理不尽なクレームをする者がいた事にショックを受けた。自衛隊員は気軽に休憩もできないのか、と落胆もする。

 半年後、心に曇りを抱えながら地震被害の救助へと向かった。倒壊した建物から人を助け、礼を言われる。以前はこれが生きがいのように嬉しく感じていたのに。


 うわべを繕って、また苦情を言ってくる人がいるかもしれない。


 心から喜べなかった。蛎灰谷の方がうわべを繕い、「大丈夫ですよ」「無事でなによりです」そんなお決まりの台詞を口にする。以前は本心から言えていたのに。


「おい、なんで食事なんかしてるんだ!」


 中年男性が面と向かって叫んできた。軍用車両を避難所から少し離れた公園の駐車場に停め、一人寂しく栄養を摂っていたところだった。その男性は先程蛎灰谷が救助した人物だった。

 後日、そのクレームはニュースサイトに取り上げられた。理不尽なクレームだとしてコメント欄では男性を非難する声が目立つ。蛎灰谷も自分を慰めるためそのコメント欄をぼーっと眺めていた。すると、ほとんどのコメントに返信を送っているアカウントが一つあった。あらゆるコメントに否定的な意見を送る彼の文が目につく。


『応じる必要のない苦情。隊員はこの事を気にせず、これからも職務を全うしてほしい。休憩は必要なのだから例え気に入らなくても口には出さないそれが大人』


 このコメントに対し、


『いや、実際の現場の詳しい状況は説明されていないし、隊員の態度がどうだったのかも書かれていない。腐敗した日本政府の犬である自衛隊員の方に原因がある可能性は否定できないはず』


 過激な文面。このユーザーの返信は的外れなものであったり、単に嫌味を言いたいだけの短いものもあった。逆張りをしたいだけの人間だと蛎灰谷も察する。だが心の傷跡に塩を塗り込まれたような気分にもなってしまった。

 このユーザーは周りに認められたい、見てもらいたいという願望から放火までしてみせた少年──赤沼 悟。彼が蛎灰谷の傷を増やしていった。

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