2 つくづく恐ろしい女
第二話です。
どうぞ
――それから二十分後。
駅から歩いて数分に位置する高校に。
光星は辿り着いて校門をくぐった。
グラウンドやテニスコートから部活生の活気ある掛け声が聞こえてくる。
――偏差値が五十越えという高い値。
市内でも「青春を愉しむならこの学校ッ」と言わしめるほど滋賀県一人気を博している。
学校行事が多く、文化祭や体育祭は勿論、三か月から半年に一回は行われる課外活動や遠足に、生徒たちは皆大いに楽しみにしているのだ。
校舎を歩いて、一階の一番奥の教室、一年F組の黒板側の扉へ赴き、ガラガラッと、馴染み深い開閉音を響かせて入室した。
廊下に漂う蒸し暑い空気とは程遠い、冷たくて気持ちの良い空気が全身を撫でる。
本来なら夏休みで鍵が閉められているのに、こうして開けられるわけは――教卓に座って無線イヤホンで音楽を聴く、華弓姫によるものだからだ。
「はあ」
我慢もへったくれもなく冷房をガンガンにいれた教室の、華弓姫の目の前の席について窓の方を見た。
止められた自動車の上でフンをした鳩が、光星の視線を感じてパタパタと飛んで行ったのを適当に眺めながら。
「何してんだか」
と呟いた。
「私を無視するなんていい度胸をしているじゃない」
ぶっ殺す。
と、唐突に。
何の前触れもなく、私服のスカートを捲し上げて腿のホルスターからコンパクトスタンガンを引き抜いた。まるで西武劇のガンマンの早打ちさながらに。
普通なら悲鳴を上げて椅子から転げ落ちるだろうが。
光星はむしろ涼しい顔で言った。
「それならまずスマホを仕舞えよ」
もう片方の手に握られた彼女のスマホ。
入室時にチラッと見えたミュージックビデオを真剣に見ていたからこそ、何も言わなかったにもかかわらず。
だがそれよりも。
「まだ持ってたのかよ、それ」
突き出されたコンパクトスタンガン。
ごく当たり前に構えてはいるが、非常時で無いこの状況で出す代物ではない。
しかもかなり強力な型番で――『マグナム―Xゼータ 百三十万ボルト S-三一四』
コンパクトタイプでは最強のスタンガンである。
というか普通に犯罪である。
「言ったでしょう。無視するな、と」
女子とは思えないとんでもない殺気を放ちながら、ボタンを押してバリバリッと電気を弾けさせる。大の大人ならその音だけで怯むはずなのに光星は平然としていた。
「それはわるーござんした。気を付けりゃいいんだろ」
謝る気なんてさらさらないかのような態度で。
だが、華弓姫は器用にくるくると回してホルスターに収める。
「私は気が長いタイプではないの。理解しているわよね?」
「解ってるっての。つか下手すりゃ逮捕だからな?」
と、スカートを指して言った。
「わざわざスカートの中まで確認する警察はいないわ」
「女性警官はできるからな?」
「要は見つからなければいいだけのことよ」
と、淡々と語る華弓姫。
その冷ややかな視線。
今はそんなことはどうでもいいと言いたげな視線。
「こうでもしておかないと不安なのよ」
という華弓姫の様子を見て。
光星は肘をついて窓に向き直り。
小さく息を吐く。
「わざわざ夏休みに学校に来いってことは、人に言えない何か、人に見せられない何かだと思うが、まあお前の表情を見る限り、そっち絡みじゃなさそうだな」
と、中学卒業間近の出来事を思い出す。
華弓姫は小さく俯いて、頬を緩めていた。
「あなたってほんとデリカシーがないのね」
と、髪をいじる。
毛先が外側へ反った短髪。
背は光星よりも少しだけ低い。
今はこうして光星に怒りや不満をぶつけているが、クラスでは結構温厚な態度でクラスメートと接していた。
運動よりも勉強が好き。
何かを創ることが好き。
自立芯の強い性格をしている。
「俺は構わねえけど、上から目線は下品に見えるぞ?」
「あら、上から目線は否定しないけど下品は失礼ね。言葉遣いに繊細さを欠いているあなたこそ下品よ。私と違って友達が少ないのだから、円滑なコミュニケーションを図る上での指導をしてあげようかしら?」
「必要ねえよ」
光星とはこんな感じでいつも言いたい放題である。
出会って半年程しか経っていない二人。
だが険呑な雰囲気が漂っているわけではない。
これが二人にとっては円滑なコミュニケーションというだけだ。
「あら、せっかく善意で言ってあげているのに」
「悪意しか感じられねえよ」
華弓姫に両足をその机にトンと置かれた。
ミディ丈のスカートが跳ねるも、組まれた脚によって死守されている。
だがここで言っておくと、その席は二人の席では全くない。
「それより用件は何だ? こんな無駄話をするために電車で来たわけじゃねえだろ?」
頭に手を組む光星。
息を吐く華弓姫。
「無駄話を無駄に楽しんでこその人間じゃない。それなら人間はみんな死んでしまった方がいい」
こんな馬鹿話を、光星を馬鹿みたいに煽ることを――心底楽しむ様子で。
佇まいを正し、教卓の天板下の棚から小さな紙袋を取り出した。
「これ」
光星に渡す。
「、、、、、、ああ、俺の誕生日――」
「勘違いしないで。両親から定評のある物をあなたにあげるだけよ」
受け取って中から箱を取り出し、確認するように音を確かめた。
カサカサと軽い音が聞こえる。
甘い香りも漂っていた。
「開けてもいいか?」
「当り前じゃない、何か問題でも?」
「いや」
赤い無地のラッピングビニールを丁寧に剥がす。それはもう丁寧に。
ここで下手にビリビリ破いてしまったら何を言われるか分かったものではないからだ。
妹から過去に受け取ったプレゼントに比べて全く異なる重みがあったからだ。
背後に鬼を携えて腕を組んで、光星を見張っている。面倒さがより増していたからだ。
透明のプラスチックの箱が出てきた。中には、色とりどりの花がいっぱいに詰め込まれ、その真ん中には固形物が一つ設置されている。真円を描いて満月のように煌めく綺麗な固形物だ。
「やっぱ石鹸か」
「わたしの手作りよ。菊アネモネチューリップ――そこに飾ってある花のアロマオイルをふんだんに使用した特性の石鹸よ」
「へえ」
「今日から使うことね、使い終わったら言いなさい、また作ってあげるわ」
「、、、また?」
「ええ、また」
アロマオイルや精油は本格的な物だとかなり値が張るはずだ。
百円ショップで買ってもこれだけの種類を入れるとなると。
「別に無理しなくても」
「いいのよ、無病息災って言うじゃない。ほらうちのお父さん、仕事柄ね?」
「まあ、木材でも十分可能性はあるしな」
「ええ」
と互いに頷く。
「ま、改めて感想言うよ」
と、プラ箱に入った石鹸を再度丁寧に包んで紙袋に入れた。
どこか不満げな華弓姫。
「、、、じゃあ帰るとするわ。渡したいものも渡せたし、あなたとも話ができたから」
と、教卓を下りる。
「、、、用件ってマジでこれだけなんだな。他にもあるんじゃねって身構えてたわ」
「あら、そうなの。なら他にも用意してあげればよかったわね。例えば、包丁とか?」
「昼ドラかよ」
席を離れ、教室から出ていこうとする光星の背中を、華弓姫は蛇の如く鋭い視線を送った。
「まあどうせ暇だし、どっか行くか?」
という言葉に、一気に目元を緩めた。
「あなたから誘いが来るなんて、天変地異でも起こる前触れかしら」
すべての電気を消して扉に鍵を閉めた。
入り口で待っていた光星と並んで歩く。
「羽月がパーティーの準備するんだーって息巻いててな」
サプライズの意味も込めて。
光星の妹――羽月が光星をしめだしたのである。
これまで静かに行ってきた小さな誕生日パーティーではない。
豪勢なパーティーに仕上げるために、一人で作業に取り掛かろうという魂胆で、事前準備として共同のクローゼットに風船や張り紙などが大量に置かれているのと、冷蔵庫の材料が普段とは明らかに違う品ぞろえだ。
開かれるパーティーはおそらく、海外のようにモリモリだろう、と。
光星はスマホを取り出して時間を確認した。
まだ九時過ぎ。
夏休みに溺れて惰性に過ごす者にとっては早すぎる時間であるが、早起きが身に染みている二人にはもはや遅い。
スマホをのぞき込む華弓姫。
猫のロック画面を見てくすくす笑っていた。
「モーニングなんてどうかしら? もう済ましたなら別に構わないけど」
「いやいいぞ。今日は朝飯が抜きだったんだ。羽月に結構持たされてな、甲斐性を身に付けて来いって」
と、財布を取り出すと、万札が六七枚ほど入っていた。
高校生にしては、否、中学生にしては渡す額がおかしい。
「いいんじゃないかしら」
「?」
「私に奢ってやれ、って言っているのよ、羽月ちゃん」
「ああ、なるほど」
「、、、あなた、そういうところはほんとに頓着ね」
「んー別に良くね?」
「そう言うと思った、、、ええ、あなたほど愚直な人を知らないわ」
「それ貶してんの? 褒めてんの?」
「どっちでもいいでしょう。それより、冷たい物でも食べたいわ」
と、職員室に鍵を返却し、校舎から出る。
太陽光が二人の皮膚をヒリヒリと照り付けた。
「あー、それなら冷麺とか、冷やしパスタとか?」
「驚いたわ、まさかそんなことを思いつくなんて」
「いや、普通だろ」
「そんな安直で、一般的な料理しか思い浮かばない貴方に失望したところよ」
「そっちかよ、ならお前は何がいいんだ?」
校門を出る。
「そうねえ、わたしが提案したいものは、この国にはないわ」
「どこへ行かせる気だ」
「カルパッチョよ、直接イタリアへ飛んで買ってくるの。あなたが」
「無理じゃん」
「それを可能にするのがあなたの役目でしょう?」
何の示し合わせもなく、右手のコンビニを曲がりときめき坂を北上していく。
「だったらカルパッチョでいいか?」
「わたしは一言も、カルパッチョが食べたいとは言っていないわ。バカなの?」
「理不尽だ」
と。
ときめき坂の二又道路を右手に進む。
「単純よ、私が今食べたいのは――正武百貨店大津店の七階の喫茶ミレーユのアマロティラミスだもの」
カルパッチョの話は何処へやら。
まったくの的外れな提案に光星はため息。
「、、、ティラミスなら、そこの米谷珈琲に寄ればいいじゃん」
「はい?」
即答した。
怒気。
「私が甘い物が嫌いだってこと、知ってるわよね?」
「まあな」
「よくもまあそんなハキハキと答えられるわね?」
ぶち切れ華弓姫再降臨。
笑顔と、笑っていない目が何とも恐ろしい。
「あそこのティラミスは甘さ控えめで苦みの強い大人な味をしているの。奥の深い、コクのある苦み。そして濃くも焙煎された味わい深いコーヒー。ローストを極めたイタリアン。焙煎方法も豆の種類も好みに合わせてくれるなんて、最高じゃない――それを、大衆向けに大量生産されただけの最寄りのコーヒー店で済ませようですって? 万死に値するわ」
怨嗟の込められた言葉。
「米谷の信号を渡ってすぐそこじゃない――何が不満なわけ? 言ってみなさい?」
と、重低音。
まるでヤクザだ。
「、、、移動がなあ」
「エレベーターで上がればいいじゃない? ん?」
「そう意味じゃねえよ」
「じゃあ何? 次にくだらないことを言ったら殺すわよ」
と、スタンガンに手を伸ばす華弓姫。
察して、光星はチラリと周囲に視線を向けて深いため息。
「、、、ティラミスにするか」
その一言で。
華弓姫の笑顔が一転、飛び跳ねるような笑顔になった。
「それがいいわ。あなたって賢いのね」
「、、、そうだなあ」
と、さっさと諦めて進むことにした。
譲れないものは徹底して譲らない。
芯のある性格、もとい短気で頑固者。
それが葛葉 華弓姫という人物。
――なぜこうもそんな面倒女が周りに多いのか、と。
光星は頭を掻いた。
左手の米谷珈琲を横目に横断歩道を渡って、面倒くさそうに目の前の正武百貨店大津店へ赴いていった。
次回更新は、1月23日です。
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