第四話 天誅、殺
お待たせしました。第四話更新です。
今回、割とグロテスクな描写強めに書いてみましたので苦手な方はご注意ください。
11月8日、追記しました。
――斬、という音が鳴ったかと思うほど、鮮やかな一閃であった。
青年は一尺五寸ほどの脇差を左で逆手に持ち、押し上げるように斬り上げる。
その剣閃は不用意に伸ばされた男の腕を衣ごと断つ。宙に散らされ、舞う腕がわずかに指を動かし、そのまま命尽きた羽虫が如く地に落ちる。
「あ、ぎぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
腕を断たれ、数秒。宙舞う腕が落ちた瞬間、傷口からの出血、痛み、熱。それをやっと理解した男が悲鳴を上げる。
青年は覆面に隠された表情を動かすことなく、脇差を持たない右手で男の腰に差された刀の柄を掴み、男の腹を蹴り、抜刀した。
抜き身となり晒された刃。二尺ほどのそれは刃こぼれに錆びつき、刀としての質は下の下。今左手に持つ脇差は当然として、先ほどの善正の店にあった錆びついた刀堂家の刀の方がまだ切れ味がある。
そう考えていると、腕を無くし倒れ伏した男の仲間が数人、正確に数えれば八人が粗末な刀を抜き、斬りかかってくる。
まず先頭の男は大上段に構え、青年の頭目掛けて先手の一太刀。
――遅い。
青年は構えも取らずに、その動きを見てそう捉えていた。
思い起こすは師との実践式鍛錬。同様に繰り出される、大上段の一撃は構えたと認識した瞬間、すでに振り下ろされ雷が如き衝撃を与え、頭血が雨のように床を濡らしていた。
それに比べれば、目の前に迫る刃は遅い。下ろされたそれを視認しながら、右手の持つ刀を振るい、男の手の甲を斬る。
手応えはたしかにあった。しかし足りない。振り下ろされる刀の軌道をずらし、右肩付近を掠るように鋒が地へ。そしてその衝撃で刀は折れる。
手の甲へと振るった刃を引く。肉は切れども、骨は断てずに削るのみ。しかし、それで男は手に持つ刀を手放した。苦痛の表情を浮かぶ顔に脇差の柄頭を三連叩きこむ。意識を顔面の如く潰し、蹴り飛ばす。
次に来るは左右から二人。左は下段、右は上段に構え斬りかかる。
青年はまず右に持つ刀を斬り上げるように振るい、右の男へ一閃。鋒が左の鼻孔から斜めに裂き、右目をも裂いた。
左は脇差で迫る刀身を弾き、右の刀で男を突く。刺突はとっさに刃を掴まれ防がれた。すぐさま右手を離し、脇差を両手で握りしめ、一歩。確実に間合いに入り込み、相手の左大腿を貫く。
今度は骨を断つ感触を感じた。ならば後は肉を切ると、貫いた脇差に体重を乗せた力を籠め、骨ごと裂く。
大腿を骨ごと裂かれた激痛に悲鳴が上がる。しかし青年は背後からくる殺意と呻き声を察知した。
右目ごと鼻を裂かれた男が呻きながら顔を押さえるように覆い、刀を振り上げる。
――ぶちゅん、と情けない音が鳴った。
同時に小さな肉塊、裂けた鼻が壁に血を撒き、へばりついた。
青年は後ろ蹴りの要領で、背後に迫る相手の顎を蹴り上げ、その勢いで鼻が引き千切れたのだ。
この一撃に男は倒れ、のたうち回る。
残り五人。青年は先ほどの折れた刀を拾い上げ、駆け出す。
一瞬にして三人が戦闘不能に追いやられ、残りは委縮した。
一人は腕が飛び、一人は顔を潰され、一人は左大腿の中身が見えるほどに肉が裂け、一人は右目と鼻をやられ血を流しのたうつ。
自分も次はあのように、と痛みへの恐怖が、身体を蝕み動けなくした。
それが命取りになるとは、すぐさま知る。
青年はまず一人の間合いへと入る。相手はとっさに距離を取ろうとするも、足を踏まれ止められる。どころか、足の甲を踏み砕かれ、大腿を鼠径部付近から脇差を突き立てられ、膝へ向かって切開された。
次。斬りかかってきた刃を弾き、蟹股のところ急所を蹴り上げる。うずくまった相手の両こめかみを挟むよう、砕くよう柄頭で叩く。
次。迫る刃を刀と脇差を交差し受け、鍔迫り合い。相手の間合いに入り、交差を解くよう流し、右の柄頭で相手の刀を持つ指を砕き、脇差を右脇から方へ貫き引き抜く。
次。大振りな一刀を一歩下がり避け、横を流れるように胴を斬り、振り返り背を二刀で切り払う。
最後。残った一人に向かって折れた刀を投げる。相手は投げたそれを刀で弾き、左肩を貫かれた。青年が続いて投げた脇差が刺さり、その隙に右手を掴み、膝蹴りで折る。体勢を崩し倒れたところ、顔を踏み意識を刈り取る。
脇差を引き抜き、血を左の袖で拭い鞘に納める。
「お見事」
血の臭いと呻き声の中、拍手の音が鳴る。
秋水が血まみれの状況を見ながら、その状況を作った張本人に賛辞を贈る。
「しかし、斬りかかってよろしかったのですか?」
「刀堂の名を騙る奴らでしたので。自分は無銘衆ですが、その家名を汚されては困ります」
「ふむ? 何故名を騙っていると?」
「刀堂家にとって、銘在りということは大きな意味を持ちます。だから所属している銘在りは無銘衆や奉公人も知っている、知っておかなければならないんですよ」
青年は、腕を斬り飛ばした男へと目を向ける。右腕の傷口を押さえ、力なく呻いているが未だに意識を保っていた。
「だから銘を尋ねましたが、刀堂家には茂義斗なんて銘在りはいませんからね。だから死なない程度に斬り伏せました」
「そうですか。しかし、もし死んだら?」
「その時は、仮に銘在りだったとしても刀堂家は勝者絶対。師弟の鍛錬以外で無銘衆に負けるようであれば即破門となります」
「おやおや、厳しいですね」
それはさておき、と青年は人数が聞いていた話より少ないことを考えていた。
善正の話ではここに巣食っていた自称刀堂家の輩は十二人。今この場にいるのは九人。
そう考えていると、ガタン、と二階から物音がした。
青年と秋水が階段へと目を向けると、隠れる人影が見えた。
「秋水さん。ここの奴らを拘束しておいてください。これは護身用で」
腰に差した脇差を秋水に手渡し、二階へと向かう。
秋水は拘束するために未だのたうつものを踏みつけ、意識を刈り取ろうとする。うまくいかず、五、六回は続けた。
―――
階段から二階へと昇り、背後に差した小太刀を抜刀する。
二階は先ほどの戦闘を行った広間のようなものはなく、階段を昇れば廊下が続き、突き当りで二手に分かれ、それぞれ三つの個室がある。
廊下を進むと、両角に二人待ち構えていた。
振り下ろしと刺突。刺突を刀身の側面―平地を押し出すように弾き、振り下ろしは斬り上げるように弾く。
振り下ろしを弾かれた男のがら空きになった正面を顔面を三連、喉を三連、柄頭で殴る。
刺突を弾かれた男は体勢を崩したところを後頭部へと峰打ちで振り抜く。
峰打ちを喰らった男はそのまま床に倒れ伏して、顔と喉を殴られた男は喉を押さえ、床にのたうち回る。青年は男の顔面を踏みつけ意識を刈り取った。
意識がないことを確認して、青年は個室の続く廊下を見る。右からは何の気配も感じない。左へ目を向ける。何やら物音がした。耳を澄ませば、微かな息遣いが聞こえる。
左の廊下へと足を進め、耳を澄ませる。一つ目、気配なし。二つ目、気配なし。三つ目――。
「うわあぁぁぁぁああああ!!」
最奥の部屋へとさしかかったところ、突如扉が開き、全裸の男が現れた。手には何も武器を持っておらず、拳を握りしめ殴りかかってくる。
青年は急所を蹴り上げる。
当然男は悶絶し、動きが止まる。
鼻をへし折るように殴り、顎を殴り上げる。そして上を向いた顔面へと踵落としを叩きこむ。
一瞬にして男の意識を落とした。
「……何だこいつ」
倒して、何故全裸なのか、ふと思った。
とりあえずまだ人の気配がする部屋へと入る。
そしてすぐに男が全裸であった理由を察した。
部屋にいたのは一糸纏わぬ女性。古びた洋式の寝具に横たわっていた。
髪が乱れ、目は泣いた後のように腫れ、殴られたような痕も見える。部屋は生臭い異臭に満ち、床には女性のものらしき衣服の残骸が引き裂かれ放られている。
青年の存在に気づき、女性が小さく悲鳴をもらして腕で身体を隠すようにする。
「はぁ……。おい、これで隠せ。ここから出るぞ」
「え……」
外套と上着を脱いで渡し、青年は部屋を出る。
二階で伸びている男たちを一回へと運ぶかと考えていると、秋水が一階から上がってきた。
「無銘殿、大丈夫でしたか?」
「えぇ。そっちは?」
「とりあえず両手両足は縛っておきました。ところで何です、こいつ?」
こいつ、とは全裸男のことである。
青年は部屋から出てきた女を親指で指し示す。女は上着のボタンを全て閉め、外套を腰に巻いている。
床に伸びている男に対して恐怖と怒りを感じさせる、暗い表情が見える。
秋水はそれで察した。
「……お嬢さん、大丈夫、ですか」
「……」
いたたまれず声をかけるが、返事はない。
彼女はここ連続で起こっている行方不明の被害者だろうこともわかった。
「とりあえず、こいつら拘束してさっさと出ましょう」
「え、あ、はい。そうですね……」
青年の言葉に頷く秋水。
青年の言う通り、ここからすぐに出るのが最善だろう。男三人の両手足を縄で縛り、青年が二人、秋水が一人を引きずるように一階へと運び出す。
一階では男たちが縛られ雑に固められている。二人はそこへ適当に放り出す。
青年はとりあえずこの場を後にし、警察を呼ぶことを考え――。
「ん?」
妙な気配を感じた。
階段の横の壁にある扉。収納用の空間かと思っていたが、開けば地下への階段があった。
階段の先は光がなく暗黒。一切の光がない空間となり、そこから異様な空気、気配が漂ってくる。
明かりはないかと扉の横にある棚を開けると手持ちの燭台に使いかけの蝋燭、マッチがあった。
「秋水さん、悪いけどちょっと待っててくれ」
蝋燭に火を付け、地下を調べることにした。
秋水が「え、ちょっと」と止めるが気にせず地下へ降りていく。
階段を下りて、蝋燭の明かりで照らせば石壁に囲まれた地下室の全貌がわずかに見える。
土が掘り抜かれた空間にレンガを床、壁に敷き詰められたような空間。広さは先ほどの広間と大差はない、地下としては広めの空間であった。
その空間には異臭。そして暗闇から肌をなぞる様な不快な空気があった。
床に、一ヵ所、不可解な場所があった。周りに外されたと思わしきレンガが詰まれ、風呂敷が被らされている。その近くには鋸、鉈と数本の鍬があった。
異臭もそこから発しているようであり、近づくたびに息苦しさが強くなる。
風呂敷をめくると、四畳ほどの広さの地面が剥き出しとなっている。
そしてそこは、土が盛り上がり、人骨、それにまだ肉の付いた腕や足が見える。
おそらく、これは行方不明の被害者のものだろうと青年は憶測した。その被害者が解体され、ここに埋められている。
だからか、ここには嫌な空気が満ちている。十四年前の妖気のような、死者の怨念、上にいた無法者たちの欲。それらが渦巻き、暗闇に溶けているような感覚があった。
「ぎゃぁぁあああああああああああ!!」
突然、悲鳴が響いた。
一階から、男の悲鳴。秋水のものではなく、拘束された男の内のものだ。
青年はすぐさま、地下から階段を駆け上がり、一階へと戻る。
そこで目にしたのは、拘束された男たちの内一人が黒い何かにまとわりつかれている様。
黒い、泥と肉が密集したかのような、人の頭ほどの大きさの物体――妖魔。それが男の胴にへばりついている。
否、へばりついているだけではない。その個所から大量の血が滲みだし、骨を砕く音が聞こえてくる。つまりは、異形なる捕食が行われている。
男が必死に引きはがそうと暴れるが、手足を縛られ動けない状況に為す術なく、血を吐いて事切れる。
周りの男たちは逃げ出そうとするが手足が動かない状態では芋虫や尺取虫のようにしか動けない。胴にへばりつき捕食を続ける黒いものが身を変形させ、触手のような管が二本伸びていく。それに一人は足を、一人は頭を捕らえられ捕食されていく。
その様子を、秋水と女は固まって見ていた。秋水は女を庇うように背後にして前に立つが、その光景の異様さに動けないでいる。
青年が駆け寄り二人の前へと立つ。
「秋水さん、大丈夫か?」
「え、えぇ」
「何があったんだ、これは」
「いえ、突然あれが現れまして……」
状況説明を求めるが、突然起きたということに何も言えることはなかった。
その間にも、男たちは一人、また一人と捕食されていく。
ついには、あと一人。全裸男が一人残っていた。
捕食していた妖魔が、胴から離れ地に着く。そして這って、残る一人へと近づき足へと触手が触れる。
「うわぁああああああ! た、助けて助けて助けてくれぇぇ!!」
ぶちん。
「え」
四肢を拘束され、虫のようにのたうちまわり助けを求める男。
首を反らし青年たちに助けを求め叫んでいたが、突如頭が真っ白になった。
嫌な感覚があった。千切れるような音と、一瞬の痛み。
反らしていた首を、目線を足元へ向ける。
足元に這っていた、泥のような妖魔。足首から脛、脛から膝、膝から腿と肉体を這いあがり、巨大な口は肉塊を含んでいる。
さらに目線を進める。
無い。
男であれば必ずあるいちもつが、無い。去勢をしたかのように棒と袋がまるごと。
あった部位は赤塗れ。失禁のように赤く広がっていく。
「ひ、ひぃぁぁぁああああぁあああっ!!?」
男が大声で叫んだ。顔目掛けて、妖魔が飛び掛かる。
男の頭を覆い、ごりっ、と音が鳴る。骨を砕き、肉を潰す咀嚼音が聞こえてくる。
「無銘殿、これは……」
女を背後に庇いながら、秋水が先頭に立つ青年へ問う。
この妖魔は一体何だ、と。
「こいつは――」
~~~~~
刀堂家本屋敷は山頂にあり、二層の地下室がある。
まず一層は地下牢の役割があり、敵対者や破門とされた者が閉じ込められる。現在は一人にしか使われておらず、広さも八畳ほどとなっている。
そこからさらに地下。そこはもとよりあった山の洞窟を利用した場であり、封印された妖魔の残骸が保管されている。
刀堂村雨はそこで十四年前の妖魔の残骸を見ていた。壺や箱といった封魔道具に、鎖や護符といったもので纏われ、動けなくなった物。その中で鎖で全身を巻き、幾重にも護符を重ねられた人型の妖魔を見ていた。
「村雨、何をしている」
彼女の背後より刀堂竜雲が姿を現す。
村雨は顔だけ向け、特に驚いた様子なく口を開いた。
「おや、竜雲殿。どうされましたか?」
「地下牢で様子を見に来たが、こちらへの戸が開いていたのでな。戸締りはしっかりせんか」
「はは、これは失敬」
村雨は目線を戻す。そのまま話を続ける。
「あれから十四年、意外と早いものと感じましてね」
「お前の弟子のことか?」
「えぇ。それでふと思ったのですが……何故あいつを向かわせたのですか?」
「言ったであろう? 銘在りとしての資格を証明させるためと――」
「いえ、何故妖魔が潜んでいると嘘を仰ったのかと」
嘘。
村雨は隣に並んだ竜雲に目を向ける。竜雲はそれに対し、鼻を鳴らすように笑う。
「気付いておったのか?」
「えぇ。無銘衆の監視に結界もあります。報告には刀堂を名乗る輩がいたらしいですが、それが目的ですか?」
「あぁ。とんだ不届き者がいたのでな」
だが、と竜雲は続ける。
「妖魔はいないわけではない。単に外部から入っていなかっただけだ」
「……これの取り逃がしですか?」
これ。と言って封印された十四年前の百鬼夜行の妖魔たちを指す。
問いの答えは、否。
「いないがいる、いるがいない。確実に現れるが、まだ生まれていないのだ」
「……嗚呼、なるほど」
「あの地を管轄としたのも、それを利用するためであったのだがな」
ここにいる封印された妖魔も全ては一つの目的のため。
その骨を、血肉を、妖気を。人でない禍々しき力を刀へと納める。
刀堂家の、宝刀と同等の妖刀を作り上げるために。
「純粋な生まれたばかりの妖魔であれば、何か使えるかと考えていたのだが……不届き者のせいで不純物が混じった。生まれてくるものは役に立たんよ」
「それで、その処理を私の弟子に?」
「そうだ。丁度よかったのでな。実力はあるのだろう?」
「評価していただけて光栄ですよ」
しかし、帰ってくるかはわからない、と村雨は胸中で続ける。
弟子には教える限りのことは教えた。鍛えられる限りまで鍛えた。弟子自身のことも心から信頼している。
だから死なないとは限らない。絶対ということはない。
ましてや、対象となった妖魔は――。
~~~~~
――空亡。
たった今、数人を貪り殺した妖魔。青年はその名を口にした。
百鬼夜行が起こった後に生まれる妖魔である。それについての文献は少なく、退魔士の中でも対峙・遭遇した者も滅多にいない。
僅かにある文献、遭遇した者の証言から空亡の姿は黒い球体のような姿をしていると言われている。青年もまた、師からそう教えられていた。黒い球体であり、それは百鬼夜行により満ちた妖気を吸い、人の怨念、悔恨、慚愧、悪意を取り込み存在を形成していく。
しかし、実際に目にすれば、それは想像していたものよりも禍々しく感じた。
球体、というにはそれは不定形。黒々とした泥が波打ち、辛うじて球体として形成されている。その四方八方へ黒い雫が垂れるように離れ消える。
そして人間を咀嚼した巨大な口。乱杭歯の並ぶ球体を半分に裂けるように開いたそこから黒ずんだ涎がこぼれ、いぼだらけの舌が掬っている。
その浮かび波打つ黒い泥の球体、空亡。全裸男の頭を咀嚼し終え、青年たちの方へと向いている。目が無いためはっきりとしないが、意識は三人へと向いていた。
小太刀を手に青年が、秋水と女を庇うように構える。対し、空亡は動かない。凝視するかのように一切動かない。
三人の人間と一体の妖魔の間に緊張と静寂。
(……仕掛けるか)
青年は先手必勝を取る。
その一撃で仕留めるために左手を背後に回し、秋水に脇差を渡すよう促す。
その一瞬。
空亡から秋水へと意識が向いた瞬間。
泥が爆ぜた。
「ぁがっ」
空亡が爆ぜるように、宙で跳ねた。
それはまるで砲丸のような速度を以て、青年の胴に着弾。
その勢いに、青年は血を吐き吹き飛ぶ。背後の壁を破壊し、乱雑に打ち付けられた廃材が崩れ落ちる。
「無銘殿、」
その一瞬に秋水が気を取られる。
空亡は跳ね、口を開く。秋水ではなく、女の方へ。
「えっ」
迫る大口。
いきなり標的となったことに、女は呆然と――。
――ドンッ
と、空亡が床に叩きつけられる。
秋水が咄嗟に脇差を突き刺し、空亡を押さえつける。
「早く逃げなさい!」
右手でさらに脇差を深く抉りこみ、左手で押さえつけ口を無理矢理閉じさせる。波打つ表面は泥のように手が沈む。その下には生温かい不愉快な弾力を感じさせる肉塊がすぐある。
空亡は縫い付けられるような状態から引きずるように動く。唸るような音が口内から漏れ、涎が流れていく。
女は腰を抜かし、動けていない。捕食の標的にされた恐怖に足がすくみ、未だに捕食しようとする禍々しい球体に恐れ身体が凍てついている。
「逃げなさい! 早く!!」
秋水が逃げるように怒鳴る。
その時、空亡の口が消える。切れ目が薄くなり、傷が癒えるように表面がまっさらとなる。
そして脇差の突き刺さった部位。秋水の掌に接触した部位。その二か所に切れ込みが入る。
「あっ」
秋水が気付いた瞬間切れ込みが――二つの口が開く。
乱杭歯が脇差の刃、左手に噛みついた。
「なっ」
脇差を手放し、左手を引き抜く。
しかし、噛み千切られた。
左手の中指、薬指、小指が根元から千切れ、手の甲の皮膚も剥げる。
「ぐっ」
激痛に呻く。しかしこれ以上ここにいるのはまずいと、すぐに腰を抜かした女の腕を取り、立ち上がらせ出口へと走る。
空亡は球体の状態を崩し、跳ねて入り口の扉にへばりつく。体積を膨張させ、退路を塞ぐ。
二人を見下ろし、指を咀嚼した口を愉悦に歪め、もう片方の口で脇差を噛み砕いた。
(クソ……)
秋水が女を背後に回らせ、空亡の前に立つ。だが武器はなく、打つ手はない。
その様子を嘲笑うように二つの口が歪み、涎まみれの舌が振り子のように動く。
残された道は死しかない。
空亡の二つの口が繋がり、一つの大口となる。飛び掛かろうと、その身を屈め――。
――ザクッ
止まる。
秋水と女の背後から、小太刀が飛んできた。
それは回転しながら空亡へと突き刺さる。
淡く、青く光を放つ刃。突き刺さり、空亡の内部、表面を焦がし始める。
【――■■■■■■■!?】
空亡が初めて声を発した。
苦痛の絶叫。貫かれた刃が内側から焼き、表面へと燃やしていく。
痛みにのたうち、入り口の戸を壊し外へと身を投げる。土埃を起こしながら、不定形の雫を撒き散らし苦しんでいる。
「秋水さん、大丈夫か?」
背後からの声に秋水が振り返る。
廃材の山から脱出した青年が肩で息をしながら近づいてきた。手には左右に死んだ男たちが使っていた粗末な刀が四本。
秋水の指が欠けた左手を確認する。
「大丈夫だな」
「そう見えますか」
「生きていれば安い」
シャツの袖を破いて止血用に渡す。袖の下に着けている鎖籠手が露わになる。
のたうち回る空亡へと目を向け、二人の前に出る。
「秋水さん、あとそこの女。しばらく待ってろ」
空亡を追うように外へ出る。
空亡は体の一部を触手のように伸ばし、小太刀を引き抜き叩き折る。
引き抜いた傷口からは、泥のように赤黒い血が流れている。
唸り声をあげ、青年へと敵意を向ける。
青年は手に持つ刀を地に突き立て、拳と掌を打ちつける。
妖魔への殺意で己を奮い、青年は退魔せんとする。
「いくぞ、この泥肉野郎」
――陰陽五行八卦、
――乾兌一擲。
異能・陰陽五行八卦。
退魔士が駆使する妖魔と戦う術の一つであり最大の武器。
生命や大気に宿る<真気>から発動する超能力。
木、火、土、金、水の五属性。震、巽、離、艮、坤、乾、兌、坎の八作用。
青年もまたその異能術を体得していた。
【■■■■ッ!!】
空亡が吠える。
咆哮とともに、波打つ泥のような表面は飛沫を飛ばしていく。散った泥飛沫は死臭を放ち、霧のように霞んで消えていく。
呪いの如き、泥を撒き散らしながら空亡が青年へと襲い掛かる。
空亡が肥大化した体を右左と跳ねさせ、青年へと向かう。
鈍重に見える異形からは想像できない俊敏に、撹乱し、迫る。先ほど青年を吹き飛ばした突進と同速度。次は同時に喰らいつかんと大口を開ける。
動きと共に、身体の泥と大口からの涎を撒き散らしていく。
青年は右の拳を握りしめ、右肩から肘を絞るように下げて、溜めて、放つ――殴る。
空亡が開いた大口を、無理矢理閉じさせるように下顎へ拳を抉りこむ。
青年の拳にはまず不快感。汚物混じりの泥の塊を殴ったような感触。しかし、その下にある確かな肉体を捉えた手応え。
ドズム、と確実に実態を捉えた重く鈍い拳打の音。
空亡に骨があるかはわからないが、殴りつけた感触に音からしてないのだろう。しかし、今の一撃は骨ある獣が喰らえば衝撃に顎が外れ、その勢いに頭蓋から脊髄が外れるであろう威力であった。
妖魔の俊敏さに返すように叩きこまれた故の反動もあるが、その膂力は人の身から外れていると言える。
これが青年の異能属性。属性は五行の金、八卦の乾兌。
乾は真気で物質を覆い強度を増す。青年の肉体、骨格の強度を上げる真気の鎧を作り出す。
兌は収斂された真気を流し、その身体能力を上げ、膂力を底上げした。
真気による純粋な肉体強化による戦闘。師との修練で、身に着けた異能技であった。
【■■、■■……っ】
青年の強化された拳打に、空亡は跳ねて地に這いつくばる。
青年は突き刺さった刀二本を手に取る。刃こぼれしており、錆びつき、切れ味は見込めない。
しかしその古びた刀を青年が手に取ると刀身が拳同様に、わずかに青く灯る。
【■■■ッッ!!】
対して空亡が襲い掛かる。身体の二か所を触手のように伸ばし、挟み込むように迫る。
触手の先端を、青く灯る真気を流した刀で貫き、地に縫い付ける。そして青年は地に刺した刀を二本手に、駆け出して空亡へと迫る。
空亡がまた二か所、伸ばし触手を振るう。しかし、次は青年が早い。
駆け出す勢いのまま、足を後ろから前へ振り抜く。空亡の顎ではなく、さらに先、腹部を蹴り上げる。その威力に、空亡の身体が浮き上がる。そしてせり上がる。
腹部への衝撃に、空亡は悪臭を放つ屎泥のような血を大口から塊のように吐いた。
青年は蹴り上げた空亡の下を潜り、新たに伸ばされた触手の先端へ刀を突き刺し、地へと貫く。
空亡は四肢のように伸ばした触手を突き刺され、広げられるように磔に拘束された。
身体を伸ばしたことにより、体積が限界となり、口をいたるところから開くも、青年は涎すら届かない。
傍から見れば黒い物体が日干しされているようにしか見えない、あわれな様子である。
青年は突き刺した刀の柄に触れ、真気を流す。
空亡は身に駆ける真気による激痛に、痙攣するように震え、また大量の口から血を吐いた。空亡の全身から肉が焼けているかのように煙が上がる。そして周囲に悪臭を振りまく。その臭いに一部始終を見ていた秋水と女は思わず鼻を覆う。対して、近くで悪臭の最中の青年は表情を歪めることなく、空亡を見る。
このまま真気を流し続け衰弱させいたぶって殺すか。動けないままのところを殴り続けてすぐ殺すか。
その瞬間、空亡に動きがあった。
無数の口を閉じ、ぎりぎりの体積を中央に集中させ、一部を膨らませる。その高密度の身体の一部を飛ばした。
青年へ、ではなく秋水たちに向かって。
「え」
突然のことに秋水が思わず声を漏らす。
青年は突き立てた刀を引き抜き、投げる。
「伏せろ!!」
青年の言葉に咄嗟に秋水と女は屈む。
空亡の身体の一部を貫き、刀は二人の頭上を通過した。
【■■■■ッ】
空亡が叫ぶ。刀を引き抜かれ、磔から解放された部位を伸ばす。
そして、磔にされた部位を叩きつけるように千切った。
空亡が悲鳴を上げる、同時に逃げ出す。青年たちの前から、通りの方へと身を跳ねさせていくように遠のいていく。
「秋水さん、怪我無いな。じゃあ、後でな!」
青年は残された刀を一振り引き抜き、空亡の後を追いかけていく。
―――――
「あー、売れねぇなー」
刀堂街の通りにて、浮浪者たちで軽く賑わいを見せている中、善正は地べたに座りながら売れない商品を忌々しく見ている。
もとよりいつも閑古鳥が鳴いているような状況だが、今日は顔面を蹴られるという軽い暴力沙汰が起こり、一層人は来ない。
「あんのクソ野郎め……」
思い出すはあの若い男――青年である。
蹴られてから鼻が痛く、何か詰まっているような感じがしている。折れたのかもしれないが、医者に診てもらう金は無いので商品を売って作るほかない。
あの野郎が戻れば何かしら売りつけてやる、と青年の向かった廃豪邸の方へと目を向ける。
「あん?」
その目線の先、黒い何かが見えた。通りにいる他の浮浪者も気づいた。
迫ってくる黒い物体、空亡が大口を開き、千切れた部位から泥のような血を流し跳ねてくる。
空亡もまた浮浪者たちを見つけた。餌を見つけた、と迫る速度が上がる。
その様子に危機感を覚えた者たちが一人、一人と逃げ出す。
善正もまた逃げ出そうとする。が、他の浮浪者に突き飛ばされ、倒れる。
「てめ、ひっ」
立ち上がろうとした時、すぐ後ろに空亡が迫り、襲い掛かる。
【■■ッ!?】
しかし空亡は吹き飛ぶ。善正の上を勢いのまま通過し、その身には罅の入った刀が突き刺さっている。
「おい、大丈夫か」
「あ、てめ、あんたは……」
「これ借りるぞ」
「ちょ、それ商品――」
空亡に追いついた青年が善正へと駆け寄る。そして無事であることを確認し、善正の店である茣蓙に並べられた刀を一振り、手に取る。
錆びた刃に真気が流れ、青く灯る。青年が跳ぶように踏み込み、駆ける。
狙うは一点。突き刺した刀の柄。
迫る青年に空亡は残った身体の一部を触手の如く伸ばし、鞭のように叩きつける。青年はその空亡の触手を下段から斬り払い、駆ける。
そして突き刺さった刀の柄へと、峰打ちを叩きこむ。
釘を打ち込むように、罅割れた刃は深く空亡の泥肉を抉り、打ち込みの衝撃で体内で砕ける。
【■■■ッ】
体内に異物が散らばる不快感と痛み。空亡の動きが鈍る。
青年は刀を引き、空亡を突き刺し、貫く。そして真気を流す。
己の身体から手に持つ刃へ、刃から砕けた鉄片へと。そして鉄片から鉄片へと、空亡の内部を根を張るように、毒が蝕むように、真気が巡る。
【■、■■■ッ】
体内から突き破るような激痛に、空亡が限界を迎える。
大口から、屎泥のような血を吐き出した。涎のように、滝が流れるように、吐いていく。
吐き出された血は泥水のように地に落ち、臭気を撒き散らし消えていく。吐き出すたびに、空亡の身体が溶け崩れるように縮んでいく。
球体を形成していた身体は萎み、刃の砕けた刀の柄が落ちる。青年の持つ刀は引き抜くまでもなく、空亡が小さくなり抜けた。
縮む。萎む。崩れる。べちゃり、と吐き出された泥に空亡が落ちる。
人を食い殺すほどの大口の妖魔は、踏みつぶせるほどの球体へとなり果てた。
青年はそのまま、吐き出したものへと踏み込み、空亡を踏みつぶした。
ぶちゅり、と水分を含んだ音が足底で鳴る。微かな悲鳴もないまま、空亡は虫のように潰された。
青年は手にした刀に付着した血を払い、腕で拭う。
――討伐、完了……。
青年は静かに息を吐く。
腰を抜かしている善正へと目を向ける。
「ほら。返すよ」
「え、あ、いや。買えよ」
「いらん」
第四話、読んでいただきありがとうございました。
次回で一旦序章は終わるように考えています。
次回も楽しみに待っていただければ嬉しいです。