17:キャッチボールー③
一階から運んできた古びた車イスに座り、ベッドに丸い蓋つきのガラス瓶を置いて、その中にいるクモの姿をノートに写生していたワチコが、慎吾に気づく。
「なんだよデブ、もう帰るのか?」
「まだ帰らないけどさ、ちょっと直人に謝りたくて」
「あ……そう、ナオちゃんは下にいるのか?」
「うん」
ワチコが部屋を出て行った。
ワチコってあんな風に人に気を遣える娘だったっけ? と思いながら、慎吾は直人に近寄った。
「なんだよ?」
目をつぶったままの直人がぶっきらぼうに言う。
「あの、ごめん」
「なにが?」
「さっきのこと、全部」
「いいよもう。べつに友だちじゃないんだろ?」
「ちがうよ、その、よく分かんないけど、さっきのは……」
そのあとに続く言葉が浮かばない。
直人になんて言えばいいんだろう?
「……ごめんな、おれいつもあんなだから」
「え?」
直人が、いつの間にか半身を起こして、慎吾を見ていた。
「分かってるんだよ、そういうのがおれの悪いとこだってさ」
視線を落とした直人が、つぶやき加減に独りごちる。
慎吾はそれを黙って聞いていた。
ここで一緒に遊ぶようになって、直人の色んな一面を見るようになった。つきあい始めるまでは本当にただのイヤなヤツでしかなかった直人が、少しだけいいヤツに思えてきていたのも事実。それにさっきの言葉だって本音なんだと思う。顔もかっこよくてオシャレでアタマもいい直人に、慎吾は、いや、クラス中の男子が嫉妬していたんじゃないかと思う。実際、直人のことが好きなんだろうなと思わせる女子がいっぱいいて、いくら鈍感な慎吾でも、そのことはひしひしと感じていた。
だからこその嫌悪感だったのかもしれない。
自分の卑屈と嫉妬心が今さらながらに恥ずかしかった。
たぶん、ここに直人が来るようになって、奈緒子とのあいだに、かないようもない強敵がズカズカと割って入ってきたような気になっていたのかもしれない。だがそれはきっと、間違っていたのだ。直人は本当にただ友だちが欲しかっただけなんだろうな、と今は思える。
自分と対極にいるはずの少年が感じる孤独は、実際のところ自分のそれとまったく同じものなのかもしれない。
「分かんないけどさ、ぼく、キャッチボール、がんばるよ」
「は? なんで急に……いや、いいや。やる気あんの?」
「あるよ。さっきのはほら、ちょっと恥ずかしくなっちゃったっていうか」
「ああ、奈緒子がいたからな」
「ち、ちがうよ。そんなんじゃないよ」
「いいよいいよ、分かってるから」
「だから、そういうとこ反省してたんじゃないの?」
「あ、そっか、そうだよな」
笑う直人。
慎吾もなぜだかおかしくなって、気づくと笑っていた。
ガラス瓶の中のクモがせっせと作る幾何学模様の巣が、夏の日差しに照らされてきらめいている。
直人が立ち上がり、窓から中庭を見下ろした。それに続いて中庭を見ると、奈緒子とワチコが、キャッキャと楽しそうにキャッチボールをしていた。
「……どっか行こうぜ」
「え?」
「またさ、都市伝説のあるとこに」
「う、うん。でもどこにする?」
「ほら言ってたじゃん、前。バケモノネズミが出るとかって場所」
「あ、『のいず川のドクロネズミ』のこと?」
「そうそうそれそれ」
直人が言う『のいず川のドクロネズミ』は、都市伝説と言うよりも、ただの目撃談だった。
そんなところに行っても、あのUFOを見たときのような不思議な体験をするとはとても思えない――
◆◆
『のいず川のドクロネズミ』
この町にある野伊豆川。
最近そこで、猫ほどの大きさのネズミがたびたび目撃されているという。
そのネズミの背中には、ドクロ状の模様があるとかないとか言われている。
◆◆
――直人が眼下の奈緒子たちに、
「おーい、今からのいず川に行こうぜ!」
と呼びかけた。
「なんでー?」
奈緒子が大声でそれに応える。
「ドクロネズミを捕まえに!」
奈緒子が慎吾を見た。
慎吾は笑顔でうなずいて、胸の前で握り拳を作った。
それを見て奈緒子もおなじく握り拳を作った。
そして、直人もワチコも。
慎吾は空を見上げた。
四角く切り取られた空が、いまはもう窮屈には見えなかった。




