17:キャッチボールー①
秘密基地は、正確には廃病院の207号室だけで、四人はその他の場所にほとんど立ち入ることはなかった。五階建ての建物は、ロの字型で、真ん中に空いたスペースは中庭になっており、今では膝丈ほどの雑草がまばらに群生する、荒れ果てた様相を呈している。
そこで、慎吾は直人とキャッチボールをしていた。
ジローが楽しそうに走り回って、行きつ戻りつするボールを追いかけている。
意地悪にも高く投げられたボールを、うしろ向きで追った慎吾は、足をぬかるみに取られてそのままあおむけに倒れ、緑の敷布が、その巨体を優しく受け止めた。
捕り手を失ったボールが地面に二度跳ねて草むらに消え、夏草の香りで充満する四角い空が、ひどく窮屈なものに見えた。屋上の塗料が剥がれたまだら模様の鉄柵に「お前のいる世界はこんなに狭いんだ」と笑われているようで、ふと胸に言いようのない虚しさを覚える。
「いてて」
痛む右手を見ると、擦りむいて少し皮がむけていた。
「大丈夫か?」
直人がやって来て、呑気な声をかけてきた。
逆光で影になり、その表情はよく分からなかった。
差し出された直人の手を掴んで立ち上がった慎吾は、無言で擦りむいた右手を見せた。
「あー、ごめん。でもそんくらい大丈夫だろ」
直人の、心のこもらない言葉。
ボールをくわえたジローがやって来て、尾を振りながら直人にくわえたボールを渡した。ちょうど慎吾に尻を向けるようにしたその小型犬の黒ずんだ肛門が丸見えで、それがさらに、いらつきに火をくべる。
「ちゃんと謝ってよ」
「え? それくらいのケガで怒ってんの?」
「そうじゃなくてさ、直人の謝り方がおかしいって言ってんの! あんなボール捕れるわけないでしょ!」
「なんだよそれ。言っとくけどさ、チャーのボールだって、ぜんぜんおれのところに投げれてないぜ。お前、ジローとキャッチボールしてるのかよ?」
「う……」
一仕事を終えたジローが、舌を出してつぶらな瞳で慎吾を見つめている。
「それはどうなの?」
「……ごめん」
「べつにいいけど」
直人がもとの位置にもどり、今度は、慎吾に向けて一直線でボールを投げた。慌てながらそれを受け止め、そのコントロールの良さと自分の運動神経の無さを恨めしく思った。
「ここ。ちゃんと狙って投げてみろよ」
直人がしゃがんで、グローブを慎吾に向けた。
「無理だよ」
「無理じゃねえよ。お前、手で投げようとするから、ヘンな方向に行くんだぜ。肩とか、まあ全身を使って投げるイメージを持てば、誰だって投げれるんだって」
「でも無理だよ、ぼく、運動神経とかないし」
「あー、もう! ムリムリムリムリムリムリムリムリ! 無理とか言ってるからいつもなんでも無理なんだよ! やってみろって! ホントは器用なんだから、絶対できるって!」
直人ってこんな熱血人間だったっけ? と思いながら、慎吾は大きく深呼吸をして目標のグローブを見つめた。
遠くと思うな近くに感じろ。ぼくにはできるぼくにはできる。ほら、このボールだってまるで自分の体の一部。意志が通じてるような気がする。いや、通じている。ぼくの体はハガネだ。あ、ちがうハガネだと体が動かない。えっと……そうバネだ、バネ。ぼくの体はバネ。肩も腕も足も全部バネ。いける気がしてきた。ほら、直人のグローブだってそんなに遠くに見えないぞ。あそこにズバッと決まって煙とか出るような気がしてきた。そして奈緒子に「チャーすごい!」とか言われるんだ。デヘヘ。いけ! いくんだ宮瀨慎吾!
一瞬間に思考が渦巻き、慎吾の目はギラついた男のそれへと変貌していた。




