16:奈緒子の部屋ー④
「……そうなんだ。よく分かんないけど、ぼくは……ぼくはずっと友だちだからね」
「うん。ありがと……」
「……」
「……」
「……」
「……」
なにも話すことがない。聞きたかったことや聞きたくなかったことを、奈緒子はすべてしゃべってしまった。それに応えるだけの悲しみを背負っていないことが、なぜか恨めしかった。「ぼくも一緒だよ」なんて、口が裂けても言えやしない。
口を開かないのは奈緒子も一緒で、もしかしたら全てをしゃべってしまったことを後悔しているのかな、と思いながらそっと窺うと、うつむいたままの奈緒子は、グラスについた水滴を人差し指でなぞっていた。この家でないどこかから、風鈴の涼やかな鈴音がかすかに聞こえてくる。
「……あ、そうだ。お父さんの写真とか見る?」
奈緒子が立ち上がって机まで行き、そのいちばん上の引き出しを開けた。脳裏を、あの『金田鉄雄の家』の机の引き出しの中の光景が過ぎる。それを振り払って、慎吾も奈緒子のもとへと近寄った。
「ほら、お父さん」
奈緒子が取りだしたのは、アルミ製の写真立てだった。
その中には、まだもっと小さかった頃の奈緒子と一人の太ったオジサンのツーショット写真が飾られていた。オジサンは満面に笑みを浮かべ、そのTシャツの裾を掴むショートヘアーの奈緒子も、あどけない笑みを浮かべながらピースサインをしていた。
「うん……」
それしか言えなかった。
ほかに掛ける言葉が見つからない。
「……あ、そうそう、《都市伝説コレクション》も見る?」
ヤケに明るく言った奈緒子が、一番下の大きい引き出しを開け、目顔でその中を見るように促した。
「う、うん」
中には、薄汚れた聴診器と赤錆びた五寸釘だけが無造作にころがり、奈緒子のこの町での思い出が少ないことが、手に取るように分かった。奈緒子のためにも、この思い出の空間をいっぱいにしてあげたいと思いながらも、果たしてそれをしてやれるのかと、慎吾は不安になった。
「これも今日から仲間入り!」
ポーチから取り出したグレートマンシールを引き出しの中に入れた奈緒子が、
「どう、すごいでしょ?」
と言って、ニッと白い歯を見せた。
キレイに並ぶ純白を見ながら、ふと、奈緒子はもしかしたら自分とおなじで、あの透明な壁のこちら側でみんなを見ているのかもしれない、と慎吾は思う。
「ただいま」
玄関から女の人の声がし、奈緒子が腕時計を見た。
もう七時を回り、よく見ると部屋の中も薄暗くなっていた。
「ごめん、お母さん帰って来ちゃった」
「うん、じゃあもう帰ろうかな」
慎吾は残ったコーラを一気に飲み干した。 ぬるくて気の抜けた液体に「早く帰れ」と言われているような気がして、胸が苦しかった。
引き戸が開き、オバサンになった奈緒子――のように錯覚するほど、よく似た雰囲気の大人の女性――が顔を覗かせた。 長袖の白いブラウスに、白いスラックス、そして頭には、紫色の野球帽。
たまらず目を逸らし、奈緒子が自分のTシャツの裾を掴んでいるのに気づいた。
「あら、お友だち?」
「こ、こんばんわ」
「こんばんわ」
「宮瀨慎吾くん。学校で一緒のクラスなの」
「そう。この娘、ちょっと変わってるけど、よろしくね」
「あ、はい」
「ごはんは、もう食べた?」
「あ、まだです」
「よかったら食べてく?」
「あ、えーと」
「もう帰るから、宮瀨君。ね?」
「うん。そうです。帰るんだったんです。帰ります」
「そう。またいつでも遊びに来てね」
「は、はい」
「行こ」
奈緒子が裾を引っ張って無理矢理に歩かせた。敷居をまたいで奈緒子のお母さんとすれちがうと、かすかに奈緒子と同じバラの香りが鼻をくすぐった。
玄関までやって来た奈緒子と慎吾は、しばらく無言でいて、
「じゃあ、またね」
「うん。また明日」
とだけ言葉を交わして、慎吾は奈緒子の家を後にした。
すっかり夜の帳の降りた細道を歩いていると、雨が降り出してきた。
カサを借りるのを忘れたな、と思いながら夜空を見上げると、そぼ降る雨が街灯に照らされて、バカみたいにキレイだった。
その下で、二匹の蛾が踊っていた。




