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バラバラ女【改稿版】  作者: ノコギリマン
153/159

46:ありがとうー➁

◆◆◆


 アルミ板のドアを開くと、雨がコンクリートの床をすっかり濡らしていた。


 外へ出て雨に濡れるのもかまわずに辺りを照らすと、いつか一緒に超えた柵の向こう側で、奈緒子がこっちを向いて佇んでいた。


 手には包丁を持ち、なぜか《バラバラ女の血みどろワンピース》を着た奈緒子が、


「やっぱり、来てくれると思ってた」


 と、何事もなかったかのように、優しく笑った。


「な、奈緒子、なにやってるの?」

「殺しちゃった」


 耳が、痛かった。


「殺した……の?」


 慎吾は柵の前までゆっくりと近寄り、奈緒子を見つめた。


 赤黒いワンピース。


 絵の具の赤色なんかじゃなかった。


 柵の向こうがわの赤い少女が、雨でどんどん濡れていく。


「ど、どうして?」

「言えないし、言いたくないから、言わない」

「う、うん分かった。こっち来てよ、危ないから」

「行けないよ」


 笑う奈緒子。


 声が死んだように冷たかった。


 雨がその勢いを増して、ワンピースに着いた赤色をすすぎ落としていく。


「これさ、ぜんぶあのヒトの血。すごいでしょ」


 笑う奈緒子。


 赤黒いワンピースから伝ったのであろう血が、その裾から垂れ落ち、内股からは赤い筋が、蛇みたいにつたい落ちていた。


「いいからさ、こっち来てよ」


 それしか言えなかった。


「ダメだって。もう《《そっち》》へは行けない」


 笑う奈緒子。


「あーあ、なんでこうなるんだろうね、今日はずっと楽しいままで終わるはずだったのに」


 笑う奈緒子。


「お願いだから、こっち来てよ」


 それしか言えなかった。


「……最後にひとつだけ、聞いていいかな?」

「最後とか、言わないでよ」

「チャーは、わたしのこと……」


 奈緒子は言い淀み、そして、


「……わたしが死ぬことが、チャーの最大の不幸なのかな?」


 と、言った。


 なぜ奈緒子がそんなことを訊くのか、分からなかった。


「うん、うん、絶対にそうだよ、だ、だから死なないで」


 言葉に詰まりながら言うと、それを聞いた奈緒子が笑い、


「……そっか」


 と言って、また笑った。


「それが聞けてよかった……さよなら」


 奈緒子の手が、柵から離れた。


 その腕を、慎吾は咄嗟に掴んだ。


「……痛い、離して、お願い」


 ほとんど中空に身を傾けた奈緒子が、二重の瞳で慎吾を見つめていた。


 雷鳴が轟き、稲妻が日常にヒビを入れてゆく。


 ――この世に前触れのない事件はない。すべて偶然の積み重ねで起きる必然だ。


 目羅博士の言葉が、悪魔みたいに笑っていた。


「イヤだよ、死なないで!」

「……チャーさ、わたしのお願い、聞いてくれる?」

「うん、うん、なんでも聞くから、だから死なないでよ!」

「……『バラバラ女』さ、この町に溶かして。そうすればみんな、ワチコちゃんも直人君も、それにチャーもわたしのこと忘れないでしょ?」

「やめてよ、そういうこと言うの、死なないでよ!」


 右手が、痺れていた。


 柵を掴んで体を支える左手も、悲鳴を上げ始めている。


 なんで、こんなことが起きるんだ?

 

 なにが起こったんだ?


「ありがとう」


 それが奈緒子の最期の言葉で、


 その笑顔は、いつもの笑顔だった。


 そして――


 ――宮瀨慎吾は、山下奈緒子の腕を掴む手を、離した。


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