41:線香花火-③
「じゃあ、帰る?」
そう言った慎吾を見て、奈緒子がかすかに笑い、
「わたしは帰らないよ」
と、言った。
「え、どういうこと?」
「やっぱね、血塗れナースに会いたいから、今日と明日はここに泊まろうと思うの。家には帰らないつもり」
「えー、でもそれマズいよ。家出ってことじゃん」
「大丈夫だよ、二日くらい。どうせ、心配するヒトなんていないんだから」
「でも、ゴハンとかどうするの? お風呂とか着替えとかは?」
「ゴハンはどこかで買えばいいじゃん。お風呂も二日くらいなら大丈夫でしょ。それに着替えは、もうここに準備してるからね」
そう言って、奈緒子がボストンバッグを指さした。その顔には「なにを言っても無駄だ」という固い意志が、ありありと浮かんでいる。
こういうとき、慎吾は奈緒子に何も言えない。
「ぼくは、帰らなきゃ」
「うん」
「……『一緒に残って』って言わないんだね」
「強制はわたしの趣味じゃないから。夜につきあってもらってるだけで十分だよ」
「それを《命令》にすればよかったのに」
「アハハ、そうだね。でもそしたら、チャーが彫刻家にならないじゃん。だからいいよ」
「でも」
「でもとか言わないで。知らないの? 女子にはね、ひとりになりたいときがあるんだよ」
「それは男子もおなじだよ」
「いいから。もう帰っていいよ」
「……うん、分かった」
207号室にもどり、恥ずかしげもなく大きなあくびをした奈緒子が、眠たそうにベッドへ腰を下ろし、名残惜しくたたずむ慎吾へ、意地の悪い笑みを浮かべて手を振った。
「……じゃあ、もう帰るよ。気をつけてね」
「うん。また明日」
外に出て、暗い夜道を歩いていると、今までに感じたことの無いほどの寂しさが芽生え、慎吾は振り返って、遠くに見える廃病院の大きな黒い影を見上げた。
あの大きな黒い影が、いつもみんなで遊んでいる秘密基地だとはとても思えなかった。




