40:屋上-➁
ついさっきのことなのに、正次の部屋のドアの木目がもうおぼろげになっている。そういうものなのだろうか? あれだけ気にしてあれだけ緊張してあれだけ悲しくなったのに、かつての親友の顔すらもおぼろげになっているなんて。
もしかしたら薄情者なのかもしれない。
その不安を打ち明ける勇気もなく、奈緒子のことを思い、ワチコのことを考え、目の前の直人を見ているうちに、気づくと世界が滲んで見えていた。
「大丈夫か?」
目の前で、滲む水彩画みたいな直人が、心配そうにしている。
頬に感じる冷たいものを左手で拭って見ると、涙のしずくが陽光にきらめいていた。
「うん……大丈夫だよ…うん…でも、あれ…なんでだろう…止まらないんだけど」
頬をつたう涙を、止めることができなかった。
拭っても拭っても、尽きることなくあふれ出してくる。
なんで泣いているのか、自分でも分からなかった。
悲しい気分じゃない。
それなのに、止まらない。
夏休みに入って、もう何度目の涙だろう?
そのことを思い出していると、なぜだか可笑しくなってきて、気づくと慎吾は泣きながら腹を抱えて笑っていた。
心配する直人に促されて鼻を啜りながら207号室に戻ると、奈緒子の胸に顔を埋めてワチコが泣いていた。
たぶんワチコがあんなに『失恋大樹』にこだわっていたのは、自身も正次の名前を書こうとしていたからなのだろう。結局、ワチコが名前を書くことはなかったけれど、それでもおなじ罪の十字架を背負い続けていたのだ。
正次が学校に来なくなって悲しいだとか寂しいだとかいう、慎吾の憂鬱なんて、ワチコの胸に渦巻く苦悩に比べれば、ヘリウムガスよりも軽いものだったのだ。
「大丈夫?」
鼻をすする慎吾を、心配そうに見つめる奈緒子。
それに曖昧な笑顔で応え、
「ごめん、ちょっと屋上に行ってくる」
と言って、慎吾は207号室をあとにした。
◆◆◆
屋上に着いてアルミ板のドアを開けると、夏だというのに冷たすぎる風が、切ったばかりのオシャレな髪を嘲るようにクシャクシャにしてしまった。外へ出てゆっくりと歩き出すと、中央に青いバケツがあり、その中を見ると、何本ものカラフルな花火の残骸が、ほとんど蒸発しかかった黒い水に、その先を浸からせていた。
「花火、一緒にできなかったね」
振り向くと、吹きつける風に長い黒髪をなびかせて、奈緒子が佇んでいた。
「うん」
「やりたかった?」
「うん……まあね」
「こっち来て」
跳ねるように柵の手前まで走った奈緒子が、なにを思ったのか、それを飛び越えた。




