39:瀬戸正次ー③
「このコは、あの、学校で正次君と仲の良かった、高島さんって言います」
「そう……」
しばらく押し黙っていた正次のお母さんが、スッと体をずらして中へ入るように言った。
階段を上がってすぐのところにある、昔はよく遊びに来ていた正次の部屋が、今はアメリカよりも遠くに感じ、階段がギロチン台への十三階段のように見えた。
だけど、と慎吾は思う。
だけど、ここまで来て帰るワケにはいかない、と慎吾は思う。
「正次、慎吾君と高島さんが会いに来てくれたわよ」
部屋のドアを優しくノックした正次のお母さんが、目顔で二人をドアの前まで来るよう促し、「下にいるから」と、か細く言って、そこを離れた。
ドアの前に立つと、なにを言っていいものか分からなかった。
「マサツグ……」
さきに口を開いたのは、ワチコだった。
それでもドアの向こうからは、なにも聞こえない。
「……元気でね」
ワチコの声が、少し震えているようだった。
その時、ドアの向こうから、ギッ、という床を踏み鳴らす音が漏れ聞こえた。声は出してくれないけれど、たしかに正次はワチコの言葉を聞いてくれている。
「……ごめんな…なにも…してあげられなくて」
途切れ途切れのワチコの言葉が、胸をギュッと締めつける。
「……もう、これが最後だから、ぜんぶ言うよ。あたしさ……四月に……『失恋大樹』にマサツグの名前を書きに行ったことがあるんだ」
初耳の告白に、口を挟むことはできなかった。
「……書いたの?」
不意にドア越しに聞こえた、久しぶりの正次の声は、かつての快活な少年のそれとおなじものだとは思えないほど、悲しみにうち沈んでいた。
「……書いていないよ。書きに行ったとき、もう誰かがマサツグの名前を書いたあとだったんだ。だから…あたしは……」
涙に邪魔されて、ワチコがそのさきを続けることは、もうできそうもなかった。
「……ワチコは関係ないよ。だから謝らないでよ」
「うん…うん……」
すすり泣くワチコに、直人から借りっぱなしのポケットティッシュを渡すことしかできなかった。
「……ねえ、セト君、なにがあったの?」
「……言えないし、言いたくないから、言わない」
「う、うん、そうだよね、ごめん……」
「……」
「…げ、元気でね」
「……無理だよ、たぶん」
「うん、でも、ぼくにはそれしか言えないから」
「……分かってる……ありがとう……ふたりも……元気でね」
「…うん」
それっきり、正次の声は聞こえなかった。
ドア越しに、鼻をすする音だけが聞こえていた。
慎吾は、なぜだか泣けなかった。




