39:瀬戸正次ー➁
「ワチコ、知ってる? セト君がもうすぐ引っ越しちゃうんだって」
「え、あ、そうなの?」
さらに戸惑うワチコに、「一緒に会いにこうよ」と言っていいものかどうか逡巡してそのとなりを見ると、奈緒子が頷いて、
「二人で行ってくれば?」
と、助け船を出してくれた。
「え、いま?」
「そう」
「でもだって……迷惑じゃないかな?」
「そ、そうかもしれないけど、ワチコとぼくはセト君と仲良かったから、会っておいたほうがいいと思うんだ」
「そうかな?」
「そうだよ。最後に友だちに会っておきたいと思うと思うよ、普通は」
二人の説得を聞いても、まだ決心がつかないといった表情のワチコが、不意に立ち上がり、窓から顔を出して、空を見上げた。
「……じゃあ、行くか」
「う、うん」
曇り空を見て、ワチコがなにを思ったのかは分からない。
二人の背を押してくれた奈緒子が、哀しそうにその背を見つめていた。
慎吾には、それがなぜなのかも分からなかった。
◆◆◆
昔はよくとおった、正次の家へと続く道。
そこをワチコと連れだって歩いていると、妙な気持ちになる。
そのモヤモヤがなんなのか分からない慎吾は、
「でも、やっぱり会いに行っても大丈夫なのかな?」
と、何気なく不安を漏らした。
となりのワチコがため息を吐いて、
「ひとりなら行けない。デブが帰るなら、あたしも帰るよ」
と、おなじように心細さを吐露した。
それから無言のうちに歩き、気づいたときには、すぐそこに正次の家が見えるところまで来ていた。ゆっくりとうねる曇天までが、その一帯を重い悲しみで押さえつけているように見える。
玄関の前に立ってチャイムを見つめながら深呼吸をし、
「じゃあ、押すよ」
と、となりで同様に深呼吸をしているワチコに言って、汗で湿る指先でゆっくりと押した。
思った以上に響く、ジーッという音がここにまで聞こえる。
ノドがカラカラだった。言いようのない不安と苦痛に苛まれながら、目を落として足元を横切っていくアリの行列をボウッと眺めていると、パタパタ、というスリッパの音が近づいてきて、ドアの鍵がガチャリと開く音が聞こえた。
さっきから色んな音がいちいち大きい。となりのワチコの、鼻をすする音すら、鼓膜に痛いほど響いていた。
ドアがゆっくりと開き、正次のお母さんがそっと顔を出した。
「……慎吾君、どうしたの?」
しばらく作ったことがなかったのか、その顔に浮き出た笑みが引きつっているようにも見えた。目の下のクマが、ウソのように黒い。
「あ、あの、セ……正次君に会いに来ました」
「正次に?」
一瞬にして正次のお母さんの顔に陰りが差し、暗に拒絶されているように見えた。
「ぼく、聞いたんですけど、その、もうすぐ引っ越しちゃうんですか?」
「そうね。明後日には」
「だ、だから会いに来ました。友だちだから」
「そう……ありがとう。でもあの子、だれとも会いたがらないのよ」
「部屋のドアの前まででいいんです。あたし、マサツグくんが会いたくないんなら、すぐに帰ります」
そう言ったワチコに視線を移して、怪訝な顔を作る正次のお母さん。




