34:家族ー➁
涙の海に沈み、鼻腔に広がる血の臭いにむせびながら、ふと、失恋大樹に自分の名前が書かれていたことを思い出す。
今のこととか最近のツイてないこととかは、もしかしたらそのせいかもしれない。
直人の身に降りかかりそうになった不幸を考えると、自分の身に起こっている出来事はまだまだ甘いものなのかもしれないが、しかし《神罰》というものが本当に起こるものだとするならば、どう考えてもそうとしか考えられなかった。
でも、でも、そんなことはどうでもよかった。
自分がどんなに痛めつけられようが、辛い目にあおうが、底の底まで不幸になろうが、そんなことはどうでもいい。
奈緒子が今とてもつらい状況に立たされていて、それをどうすることもできない自分の無力がただ歯がゆかった。
夏休みが終わって、奈緒子は学校にちゃんと来られるのだろうか? 前の学校では、そのことが原因でイジメられていたと奈緒子は言っていた。そのときの奈緒子の顔が、いまでも忘れられない。
あんなに哀しい顔をする人間に出会ったことがなかった。
だから、ずっと友だちでいようと決めたのだ。
そのためなら、世界中を敵に回してもかまわない………
◆◆◆
………ハッとして目を開けると、部屋が暗かった。
いつの間にか眠りこけてしまったようだ。
しまったと思いながら、枕元にある目覚まし時計を見ると、すでに夜九時を回っていた。
花火の約束。
そのことを思い出して起き上がり、アタフタと部屋を抜け出す準備をはじめると、
「慎吾」
と、ドア越しにお父さんに呼びかけられた。
騒がしくしたのが聞こえたようだ。
「な、なに?」
恐る恐るドアを開けると、いつもの威厳をどこかに忘れてきたかのような、ぎこちない笑みを浮かべたお父さんが立っていた。
「すまなかったな、さっきは」
「う、ううん。ぼくも、ごめんなさい」
「ゴハン、食べなさい」
「う、うん」
お父さんに促されるままに食卓へと向かった慎吾を、茶碗にゴハンをよそぐお母さんが笑顔で迎えた。
むず痒い。とても。
だが目の前の豚カツを見ると、とても空腹だということに否が応でも気づかされる。
慎吾はイスに座り、「いただきます」を言うのも忘れて、それを口いっぱいに頬張った。美味しい。本当に、本当に久しぶりのお母さんの手料理に舌鼓を打つ慎吾に、対座する両親が、不気味にも感じるほどの微笑を浮かべて暖かい眼差しを向けていた。その意味するところは分からなかったが、三杯目のおかわりを平らげる頃には、すっかりそんなことは気にもならなくなっていた。
「どうだ、今日は久しぶりにお父さんと風呂に入るか?」
「え?」
「イヤか?」
「イヤ、じゃないけど」
壁掛け時計が、電子音のチャイムで十時を告げた。
奈緒子たちは、まだ待っててくれているだろうか?
早く行かないと怒られてしまう。
今はただ、奈緒子のそばにちょっとでも長くいたいのに、それを、眼前の見慣れない笑顔のお父さんには口が裂けても言えない。
風呂に入り、どこか気まずく上滑りしてゆく会話を、筋骨隆々のお父さんと交わしてようようのことで出ると、今度はお母さんが、
「今日は一緒に寝る?」
と、ほがらかに笑んだ。
逃げられない。
きっと両親は、夕方のあの口論を激しく悔いて、今まで忙しさにかまけて失ってしまっていた、一家団欒というやつを取り戻そうとしているのだ。




