34:家族ー①
八月二十五日。
慎吾は疲れきっていた――
――五日前、いったん家に戻った慎吾を待ち受けていたのは、鬼の形相をしたお父さんと、いつものようにその横でなにも言わないお母さんだった。
スーパーで奈緒子と一緒にいたのを、近所のオバサンに見られていたらしい。オバサンの家にも、奈緒子と奈緒子のお母さんが訪ねてきていて、そのときの印象的な白いワンピースの少女を覚えていたオバサンは、それをお母さんに告げ口したらしかった。
当然、その話はお父さんの知るところとなり、慎吾が帰ってくる頃には、お湯でも沸かせそうなほどにその怒りは頂点に達していた。
「お前は、まだあの娘と遊んでるのか!」
いきなりの怒鳴り声に慎吾は大きなゲップを一つした。
そしてなにも言えずにうつむく慎吾の頬に、お父さんの大きな平手が炸裂した。脳を揺らすほどの衝撃に朦朧としながらも、この時ばかりは、なにか反論しなければいけない使命感に駆り立てられていた。
「……だ、だって、友だちだもん」
痛む頬をさすりながら抗弁すると、二度目の平手打ちが飛んだ。
「もう二度と、あんな娘と遊ぶんじゃないぞ!」
その大声も、慎吾にとっては十分な凶器だった。耳をとおり抜けて、脳を、心を、胸を、全身を震え上がらせる。
涙が溢れて目の前がぼやけていた。夏だというのに震えてしまってどうしようもなかった。
だけど、この震えは恐怖に対してのものじゃない。
怒りだ。
いくらお父さんでも友だちを選ぶ権利を奪うことなんかできないはずなのに、という心の底からあふれ出す怒り。
慎吾は生まれて初めて憎しみのこもる目をお父さんに向けた。
「ぼくが誰と遊んだっていいでしょ! お父さんには奈緒子のことなんて分からないよ! 奈緒子は、奈緒子が一番そういうので悲しいんだよ! 奈緒子は悪くない!」
はじめて、お父さんに自分の思いをぶつけた。
後先なんて、考えていなかった。
なんでみんな、奈緒子を責めるようなことばかり言うんだ!
なんでみんな、奈緒子が一番辛いということを分かってあげようとしないんだ!
気づくと、目の前のお父さんの顔が、戸惑いでいっぱいになっていた。そして怒りや悲しみでいっぱいになった胸の裡をさらけ出した慎吾は、その堰の壊れた瞳から、何度も何度もこぼれ落ちる涙を拭うこともせず、ぢっとお父さんを睨みつけていた。
鼻からこぼれ落ちた液体が、茶の間の畳に赤い斑点を作る。それを見たお母さんが、ようやく慎吾に近寄って、ティッシュで鼻血を拭き取ろうとした。慎吾はその手をも振り払って茶の間を飛び出し、自室に戻ってベッドにうつぶせに寝転がり、枕に顔を埋めて泣いて泣いて泣いた。




