32:鼻血-①
登校日とはいっても昼前には終わり、慎吾と直人とワチコ、それにうち沈む奈緒子は、廃病院へ向かって、横並びに歩いていた。
奈緒子になんと声をかけていいのか分からない。昨日のできごとがその焦燥を煽る。気にしていないというとウソになるけれど、それでもそのことを気にするつもりはなかった。
以前、奈緒子の家に行ったときに言った「ずっと友だちだからね」という言葉をもういちど心に誓った慎吾は、意を決して奈緒子にしゃべりかけた。
「やっぱさ、奈緒子がいないとダメだね」
「……」
無言の奈緒子。
その沈む横顔が痛くて、額に汗がポツリポツリと噴き出していた。
「なんでだよ、おれたちだけじゃ、面白くないのかよ」
「そ、そういう意味じゃなくて、奈緒子がいたほうが、もっと楽しいって意味だよ」
「たしかにね。直人とデブ、ちっともあたしの言うこと聞かないからな」
それはこっちの台詞だ、と思いながら奈緒子を窺うと、少しだけ顔を綻ばせているようだった。
◆◆◆
廃病院に着くと、ランドセルを無雑作に放り投げた直人がグローブとボールを手に取り、慎吾に「やるぞ」と言って、ひとり勝手に中庭へと向かった。慎吾は久しぶりに奈緒子と話せる機会を奪われたような気がして、あまりいい気はしなかったが、ここで奈緒子になにを言っても困らせるような気がして、グローブを手に取り、直人のあとを追った。
「今日はチャーからな」
いつもの場所に立つ直人が、慎吾にボールを投げてよこした。
「う、うん」
慎吾もいつもの位置について、勢いよく直人へボールを投げた。それがいつものように直人から遠く離れた壁に当たり、いつものように直人がため息を吐いた。
「いつになったらできるようになるんだよ」
「ご、ごめん」
「べつに謝らなくてもいいけど、チャーさ、ミオカさんに石を投げた時ってさ、あれは顔を狙ったわけ?」
「うん」
「ああいうときはちゃんと上手く投げれるんだな。なんでだよ」
「さ、さあ。あ、でも知ってる直人? ミオカさん逮捕されたんだって」
「ホントかよ?」
「うん。やっぱり変質者だったらしいよ、危なかったね」
「まあ、でもチャーのお陰だな。アレがなかったら、どんな目にあってたか分からないしな。それに、もう失恋大樹には×印をつけたから大丈夫だろ」
「直人、そういうの信じてないんじゃなかったっけ?」
「……どっちにしろ、もう大丈夫だろ」
「ねえ、わたしもやりたいんだけど」
気づくと、眩しそうに手を目の上にかざした奈緒子が、入り口に佇んでいた。
「じゃ、これ」
グローブを奈緒子に渡して、拾い上げたボールを、意地悪く慎吾に思い切り投げつける直人。慌てて胸にかまえたグローブに、パシンと音を鳴らしてボールが収まった。グローブ越しの手がジンジンと痛む。
「はい」
奈緒子がグローブをかまえて微笑んだ。
その笑顔が、精一杯がんばって顔に浮かび上がらせたものにしか見えない。
「じゃあ、いくよ」
そのグローブだけを見つめながら、奈緒子の前で恥をかきたくないという思いを胸にボールを放ち、慎吾は祈るように目をつむった。
その祈りに、グローブの革の乾いた音が応えた。




