30:金魚ー③
かまわずに無言でプリントを拾い集めていると、奈緒子がそのそばにしゃがみ、
「ごめんね」
と、耳元で囁いたが、それがなにに対する「ごめんね」なのかは分からなかった。
「やっぱり、慎吾君ね」
無思慮に放たれた奈緒子のお母さんの声が、心に突き刺さる。
「あんた、慎吾を知ってるのか?」
「ええ、この娘のクラスメイトなんです。それに友だちだそうでよく一緒に遊んでいるようですよ。自由研究なんかも、一緒にやってくれてるみたいですし」
「本当、なのか?」
マグマよりも熱く煮えたぎるお父さんの怒りに、返す言葉がなかった。
こんなことがあっていいのだろうか。
自分が怒られるだけならばそれに越したことはないが、その怒りの矛先が奈緒子に向けられるのだけは、どうしてもイヤだった。
そっと見やった奈緒子の瞳からこぼれ落ちる大粒の涙が、文字どおりの水玉模様をプリントに滲ませていた。
慎吾は意を決して立ち上がり、
「と、友だちだよ」
と、明日死ぬとしても譲れない誓いを、お父さんに告げた。
「こ、こんなところの娘と……お前は……」
握りしめた拳をワナワナと震わせながら、お父さんが言葉を失う。
「こんなところのって、あなたそんなこと」
「うるさい、あんたは黙っててくれ!」
抗弁しようとした奈緒子のお母さんを一喝したお父さんが、慎吾を睨みつけた。もう何度となく見てきた怒りの顔を遙かに凌駕する、赤鬼みたいな形相に、股間が縮み上がる。
「な……奈緒子はいい子だよ」
刹那、怒りの込もる平手に頬をぶたれ、乾いた音が鼓膜を揺らした。
ぼやける視界の隅に映る、水槽の中の金魚たちが、いつもより赤く揺らめいていた。
「な、なにをするんですか、あなた!」
「うるさい! あんたには関係ないことだ!」
「でも、でもですね」
「出て行け! 二度と来るな!」
頬を押さえて呆然とする慎吾を押しのけたお父さんが、無理矢理に奈緒子と奈緒子のお母さんを家から追い出した。背にガラガラという引き戸の閉まる音を聞きながら、三和土に散らばるプリントに目を落とすと、そこにはいつの日にか見た、奈緒子の机にあったのとおなじ不気味な文章が書かれていた。
――奈緒子は大丈夫だろうか?
こんな時だというのに、それだけが心配でしょうがなかった。




