30:金魚ー➁
そして今日は十九日。
仕事が休みのお父さんが、茶の間で転がって、甲子園で爽やかな汗をかきながら青春のすべてを白球に込める高校球児たちの姿を、テレビ越しに応援する声が部屋まで聞こえてくる。
慎吾は起き上がり、勉強机の上の開いたままの宿題に目をやった。苦手な算数の数式がバカにして踊っているようにしか見えない。
しばらく宿題と不毛なにらめっこをしていると、玄関から来客を告げるチャイムが鳴り響いた。
居間の襖が開く音が聞こえ、廊下をドタドタと踏みならすお父さんの足音が響き、続いて、玄関の引き戸をガラガラと開く音が聞こえた。そして、玄関からすぐの所にある慎吾の部屋に、なにを言っているのかまでは分からないが、女性のものであるのはたしかな声が聞こえてきた。
お父さんがその声に応えて、なにかを話している。
その言葉も不明瞭で、慎吾はなんとはなしに耳をそばだてた。
「……いや、そ……のは……ませんから……」
お父さんの声が少しだけ分かったが、やはりその全体を捉えることはできなかった。もともと宿題に身が入らない上に、部屋のそばでそんなことをやられていては集中できない、と胸の裡で言い訳をして、慎吾はそっと部屋のドアまで近寄り、耳を押し当てた。
「いい加減にして下さい! わたしは、そんなものに興味はないんだよ!」
急にがなり立てたお父さんの大声に驚いて、慎吾はすぐに、ドアから身をのけ反らせた。
「わたしは地域の皆さんに不幸になってほしくないだけです!」
女性のヒステリックな怒鳴り声が、お父さんを攻撃する。
不安や恐怖を覚えながらも、それらより数倍も大きな好奇心に負けて、ドアを開いて玄関をのぞき見た。
仁王立ちするお父さんの背中越しに、熱心に何事かを言い続ける女性の姿が見えた。
白いブラウスに白いスラックス。
奈緒子のお母さんだった。
そしてそのとなりには、プリントの束を胸に抱えた、白いワンピースに身を包んだ麦わら帽子の少女の姿。うつむいて麦わら帽子に隠れたその表情は、分からなかった。
「あら、あなたは」
ドアから顔をのぞかせた慎吾を目敏く見つけた奈緒子のお母さんが、不気味に笑んだ。振り向いたお父さんの顔が紅潮している。その怒りの形相が大の苦手で、思わず胸の奥から大きなゲップが漏れた。
それに気づいて顔を上げた奈緒子の、か細い腕から力が抜け、舞い落ちたプリントの束が三和土のタイルを覆い隠した。
思わず駆け寄って、それらを拾いはじめた慎吾の背に、
「慎吾、なにをやっているんだ?」
と、お父さんの地獄の鬼のような声が浴びせかけられた。




