第45話 テロリストすぐ死ぬ
今回のお話に吸血鬼は登場しません。
鈍く、重たい音と共に、防音性を高める為に通常よりも分厚く作られた筈のそれが、蹴り飛ばされた空のバケツのように宙を舞う。およそ人間業とは思えない光景に、会議室にいた商人達の約半数が眼を見開いて固まった。視線は吹き飛んだ扉に釘付けになっている。
残り半数は入り口に背を向けて座っていた者達、彼らの視線は扉そのものではなく音の発生源、即ち元々扉があった場所に向けられていたが、その体勢は座ったまま振り向いた不自由な状態。
その場にいた商人達の中に、咄嗟に身を守ったり状況を正確に判断できた者は皆無だった。
人間が五感から得る情報は視覚が八割と言われる。
なまじ目で見える範囲に異常があるせいで、本来なら最も警戒すべき襲撃者への反応が遅れてしまったことを責めるべきだはないだろう。直接的な荒事とは縁遠い商人という職業であれば尚更である。
襲撃を行なった側から見れば、それは仕事を進める上で歓迎すべきことであり、助長してしかるべきことでもあった。
故に、続く一手は場を更なる混乱に陥れることを目的としたもの。
「な、なんだ!? 煙!?」
「火事か!?」
商人の誰かが叫んだ通り、真っ白な煙がもうもうと視界を遮りながら部屋に流れ込んでくる。ただの煙ならば天井へ向けて流れていくところだが、その煙は意思を持ったかのように部屋の外周から回り込む。さながら獲物を絞め殺しにかかる大蛇の如く的確に部屋の中の人間を包み込み、十数秒もすれば隣りにいる人間の顔も分からない程に煙が充満してしまった。
「な、なにごとだ!」
「誰かいないのか!」
ことここに至って、ようやく混乱から立ち直った――というには狼狽していたが――商人の一人が部屋の外にいるはずのギルド職員に向けて声を上げ、堰を切ったように何人もの声が続く。しかし、一向に答えが返ってくる様子はなかった。
不気味な沈黙が広い会議室に横たわる。ゴクリと誰かが唾を飲む音さえも全員に聞こえた。
「み、皆様! 何が起きているかは分かりませぬが、ともかく一旦落ち着きましょう!」
商人の中では比較的若い壮年の男が、恐らく席に着いているであろう他の商人達に向けて発言する。
普段の商談ではその若さ、経験の少なさ故に勢いで動いてしまうことが多く、年輪を重ねた老獪な重鎮達に後塵を拝する彼だったが、緊急事態への対応力という点ではそれが有利に働いた。
こういう場合、複数人が集まる場というのはともすれば混乱のままに非建設的な方向に舵を切りかねない。なんの情報もない状態での犯人探しや責任の所在を問う議論など以ての外。そんなものはことが落ち着いてからゆっくりすればいいのだ。
「まずは窓を開けましょう、少しでも煙を外に出さねば」
「そ、そうですな。見えないとはいえ、窓を開けるくらいなら……」
そんなやり取りがあって、窓に近い数人が立ち上がろうと椅子を動かす音が幾つか聞こえた直後。
「悪ぃがそりゃダメだ」
最初に挨拶をした取りまとめ役、年嵩の商人の後ろから酒焼けしたような嗄れ声が聞こえると同時、立ち上がろうとした商人達の肩に何者かの手が置かれ、首筋には硬く冷たい感触が押し付けられた。
いつの間にか突き付けられていた薄く鋭い凶器の存在に、あちこちで「ヒッ」と息を呑む気配がする。
「喋るな。動くな。一人でも破れば全員殺す」
簡潔で一方的な脅し文句。煙幕により姿は確認出来ないが、肩に乗る手は一様に大きく、体に加えられる力は有無を言わさぬだけの説得力があった。
「オメェらにゃ恨みはねえし、大人しくしてりゃ殺しはしねえ。分かったら両手を椅子の後ろに回せ。ゆっくりだ。一人でも逆らえば全員殺す」
商人達は言われた通り、ゆっくりと腕を後ろに差し出す。元より武力制圧されている状態で逆らうつもりなど毛頭ない。
商人にとって最も大切なのは己の命。その次が財産である。そういう意味では、少なくともこの場において賊の言うことに従う程度でそのどちらも守られるというのなら否やのあろう筈もなかった。
「縛り終わりやした!」
「こっちもです!」
程なくして、商人達の腰と腕を椅子に縛りつけた襲撃者達から七つの報告が上がる。
「おい、あと一人はどうした!」
「頭ァ! この席、誰も座ってやせんぜ!」
「ああ!? どういうこった! 確か八人いるって話だろうが!」
「すいやせん! でもホントに誰も!」
真向かいから聞こえる下っ端の声に、嗄れ声の男はこめかみをひくつかせる。衝動的に右手の凶器を振るいたくなるのを奥歯を噛み締めて堪えた拍子に、目の前の椅子に縛られた老人の肩に置かれた手に力が籠もり、小さく呻き声が上がった。
「おっと、悪ぃな爺さん。ちっ、……煙に乗じて逃げたか? まあいい、入り口は固めてある」
わざとらしく猫撫で声で謝罪した嗄れ声の男は、逃げたらしい一人に聞こえるように、或いは円卓に座る商人達に言い聞かせるように大声で「逃げても無駄だ」と強調する。
わざわざ早朝の、人が少ない商工ギルドを襲撃するなど、計画性のある犯行であることは疑いようがない。
この部屋を制圧した手際を見るに、一般職員のいる一階は当然制圧済みなのだろう。騒ぎに気づいて衛兵が駆けつけるまでは、早くて十分程度、遅ければ三十分はかかるだろうか。
窓を開けさせないのは煙幕を晴らすのを防ぐだけでなく、煙が外に漏れ出ることで事件が発覚するのを遅らせる目的もあるようだ。
「おい、ここはもういい。念の為、逃げた奴を――」
指示を出そうとした襲撃者のリーダー格である男は、不自然に嗄れ声を途切れさせ、それっきり沈黙した。
不審に思った下っ端の一人が「お頭?」と声をかけるも返答はなく、何かが起きたことは明らかだったが、煙幕の向こうに立つ男の影は微動だにしていない。襲撃者達の姿を隠す為の煙幕は、今や白い闇となって彼ら自身を惑わす。持ち場を離れてでも確かめるべきか、それとも指示を待つべきか。
商人達の首筋には相変わらず刃物が向けられていたが、想定外の事態に迷いが生じたことで僅かにその切っ先が離れた瞬間。
「<電撃>」
闇を透かして視ていたかのような絶好のタイミングで、痺れるような衝撃が男たちを襲った。
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あの時のことは今でもはっきり覚えてる。
何か大きな音がしたと思った瞬間、体が竦むより早くアタシは床に転がされていた。何が起こったのか分からなくて、それでもなんとか起き上がろうとしたら全身をぐるぐる巻きにされてテーブルの下に連れ込まれて、悲鳴を上げそうになったところで口を抑えられた。
そこでようやく、アタシをそうしたのがマキオさんだって気が付いて、流石に文句を言ってやろうと顔を向けたんだけど、身振りで「静かに」と言うマキオさんの顔が初めて見る怖いものだったから結局何も言えなかった。
でも変に意固地になって騒がなくてよかったよ。自分のことだから言えるけど、あの頃のアタシは割とそういうところがあったから。
もしそんなことしてたら?
始末されてた……と言いたいところだけど、多分それでもなんとかしてくれたんじゃないかな。それくらい圧倒的だったよ。
これはあとから聞いた話で当時は知らなかったんだけど、マキオさんって普通の魔法はそんなに得意じゃないらしいんだ。
けど、それはあくまで『普通の魔法は』得意じゃないってことで、逆に言えば『普通じゃない魔法』は使えるって意味だったんだよな。
まあ、アタシからしたら魔法自体がそもそも普通じゃないものだから『普通じゃない魔法』ってなんだよって感じだけど。
話を戻すね。
扉が破られてすぐに、煙が入ってきた。けどそのときにはもう、アタシとマキオさんはこっそりテーブルの下にいたんだ。じっとして、動かないように。絶対に声を出さないこと。マキオさんからそう言いつけられたアタシは伏せたまま、とにかく石像みたいに固まってた。
煙は部屋の中を埋めるみたいに入り込んできて、殆ど何も見えないくらいだったけどほんとの足元だけは他に比べて少しだけ薄くなってるのが分かった。
だから気付けたんだ。扉が無くなった入り口から、煙に紛れて忍び足で何人も入ってきてるのが。
最初の一人は扉から真っ直ぐ壁に向かったみたいだった。それに続いて……多分全部で十人くらいかな、こう、一列になって進んでる感じ。
それから壁沿いに進んで、テーブルを通り過ぎたくらいで先頭の人がアタシ達が座ってた椅子の後ろを通って、隣りに座ってたお爺さんの後ろに立った。その人はまるで煙の中でも関係なく見えてるみたいにスイスイ進んでたよ。後ろをついてくる人達はその人の指示で動いていたみたい。
先頭の人が立ち止まると、残りの人がテーブルを囲むように立った。先頭の人を蛇の頭だとすると、とぐろを巻くみたいにぐるっと。
その間ずっと、テーブルに座ってた商人の人達は何かを叫んでたけど、多分そのせいで足音とかに気が付かなかったんじゃないかな。
で、そのときマキオさんは青い本を手に持って目を瞑ってた……と思う。いや、あの人普段から目が開いてるのか分からないからさ。
<魔力探知>っていうんだってね。見なくても誰がどこにいるか分かるようになるって言ってたけど、魔法ってほんとになんでもありだなって思ったよ。
それからしばらく、マキオさんは動かなかった。嗄れ声の人が命令して商人さん達が縛られてる間も、全然。助ける素振りも見せないで。
でもそれは何もしてなかった訳じゃなくて、全員を助ける為の準備をしてたんだ。
マキオさんは魔法使いとしては魔力が少ないんだって。あのときみたいな状況で普通に魔法を使って大勢を一気に助けようとすると魔力が足りない。
そこで普通じゃない方法を採った。
最初に<魔力感知>で自分の魔力を商工ギルドの建物中に薄く広げた。よっぽど感覚の鋭い人が意識していないと見落とすくらいに薄く。
広がった魔力は建物内にいる人達に付着する。普通ならそこで<魔力探知>の効果はおしまい。
でもマキオさんはそのほんの少しだけ残った魔力を起点にして、別の魔法を発動させた。
それは<精査>の魔法。魔力で触ったものを詳しく調べる魔法らしいんだけど、遠く離れるほど情報は曖昧になっていくから、本来は手のひらとかに魔力を纏って使うものなんだって。
どれくらい普通じゃないのか分からない?
うん、アタシも同じことを聞いたよ。マキオさん曰く「指先に貼り付けた糸で触ったものの形や固さを、頭の中で想像するようなもの」だって。
出来る気がしないよね。
ともかく、そうして商工ギルドの職員や商人さんと、そこを襲った襲撃犯達を見分けていったらしいよ。基準にしたのは筋肉の量とかだって言ってたかな。
そして最後に使った<電撃>の魔法。これも<魔力探知>と<精査>で使った薄い魔力を起点にしたんだって。
正確にはそこに向けて伸びている魔力の糸を通じて<電撃>の魔導書から魔法を送り込んだそうだけど。
なんていうか、『普通じゃない魔法の使い方』って言ってた意味がちょっと分かった気がするよね。
本人は「普通に使えないから苦肉の策でそうしているだけ」って言ってたけど。
ああ、そうそう。リーダー格の男だけは別の方法だって言ってたな。「ミカさんは知る必要のない方法です」って教えてくれなかったけど。
どうやったんだろうな?
ウソ予告:退屈な午後の授業中、突然教室にテロリストが! 人質をとって立てこもる犯人達。たまたまトイレに行っていた僕だけが自由に動き回れる唯一の存在。策を練り、罠にはめ、時には体を張ってテロリストを撃退せよ! 次回、『妄想×空想×可哀想』お楽しみに。




