第43話 王都魔法学校・特別編入試験
ようやく王都魔法学校の話が書ける……!
ついつい寄り道してしまうのが僕の悪い癖。
その日、若きメルテル女史は運命に出会った。
後にして思えば朝から予兆はあったのだ。日頃から丹精込めて世話をしていた希少な薬草の鉢植えが、今朝遂に発芽したこと。懇意にしている魔石商から、近日中に入荷ありという速報が届いていたこと。出勤前に立ち寄ったパン屋で、一番人気故に即売り切れが当たり前の『黒の三日月』が買えたこと。
一つ一つは些細な出来事でも、それが一度にやってくるなんて。今日はなんて良い日なのだろう。
気持ちが明るくなれば自然と足取りは軽くなる。軽くなった足取りで気分が弾む。鼻歌の一つも出ようというものだ。彼女がいつも近道に使っているこの路地から見上げる王都の狭い空も、なんだか輝いて見える。
そんな風に浮かれていたのが悪かった。
メルテルの横合いから大きな影が迫る。
路地から大通りへ出るときは、左右を確認する。王都暮らしがそれなりに長ければ子供でも知っている常識。法律で決まっているからではなく、自身の安全確保にそれが必要だから。
王都の交通量は多い。人だけでなく馬車も含めて。一応車道と歩道に分かれてはいるものの、それは慣習的に道路中央寄りを馬車が、端寄りを人が使っているというだけで、ガードレールや段差による明確な区分がある訳ではない。
「うわっ!?」
焦ったような男の声と、複数の嘶き。ちょうど大通り沿いの店舗へ荷を下ろしたばかりだったのであろう馬車が動き出したところへ、彼女が不用意に飛び出した形だ。
しまった――と考えるより早く、メルテルは身を固くした。
恐怖で動けなくなった、という意味ではない。文字通りに身体を硬化したのである。厳密には肉体を硬くしたのではなく、密度の高い魔力で覆うことで防御能力を上げる――いわば魔力の鎧を纏ったようなものだ。
咄嗟のことで十分な密度は確保できなかったが、少なくとも全身を覆うことはできた。打ちどころさえ悪くなければ、生身で馬車と衝突するよりは遥かに軽い怪我で済むはずだ。
しかし、ぶつかったことで馬の方に怪我をさせてしまったり、馬車がバランスを崩して倒れてしまうかもしれない。そうなれば事故の処理にきた衛兵への説明や馬車の持ち主との賠償金交渉で時間がかかることになる。職場には遅刻していくしかない。また小言を言われるネタが増えるのか――と、危機に直面したことで一時的に処理が高速化された脳でそこまでを思考したとき、身体に軽い浮遊感をおぼえた。
覚悟していた衝撃はない。反射的に目を瞑ってしまったから、今自分がどうなっているかは分からないが、周囲が騒然とする様子もない。馬車との衝突事故など目にすれば誰かしらが騒ぐだろうから、この感じなら大きな怪我はないのではないだろうか。
そう判断してそっと目を開けた彼女が最初に見たのは、深い緑色の布だった。繊細な織りと手触りが上等な物だと伝えてくる。
続けて顔を上げればメルテルを見下ろす男性と目が合った。王都では珍しい黒髪。温和そうな笑顔を浮かべているが、心配そうに眉根が寄っている。
「お怪我はありませんか」
声をかけられ、轢かれかけた自分をこの男性が助けてくれたのだと分かってお礼を言おうとしたところで、メルテルはようやく男性に抱きとめられていることに気が付いた。
馬車とぶつかる前に引き寄せてくれたのだろう。
「あ、ああ。怪我はない。助かった。」
慌てて離れつつそう答えてから、助けてくれた恩人に対していつもの調子で返してしまったことを少し後悔する。
昔から男勝りな性格で、ぶっきらぼうにも聞こえる話し方をしてしまう。短く刈り揃えた髪型もあって、学生時代はオトコオンナなどとからかわれたりもしたものだ。からかってきた相手は例外なく実力で黙らせたが。
大人になり、母校に勤める新米教師となった今でもその基本的な性格は変わらない。実力主義の社会では性別や生まれなど関係ないという信念の下、全ての生徒に平等に教え、先輩教諭であっても間違っていることは指摘する――そんな真っ直ぐな生き方を貫いていることに誇りを持っているし、この言葉遣いも自分らしさの一つだと思っている。
まあ、自身が学生として在籍していた当時からいる一部の古株教諭らからは言葉遣いについて頻繁にお小言やらを頂いているのだが、それを面倒とは思っても苦と思ったことはない。
だが、恩人に感謝を伝えるのにはやはり不適切であろう。ここは社会人として礼節を以て接する場面だ。
思わぬ事故に驚いたせいか、未だドキドキと音を立てる心臓を深呼吸で鎮めながら背筋を伸ばし、離れた相手に改めて向き直ると相手の全身が視界に収まる。
身長は平均的。女性としては身長の高い自分と同じか少し高いくらいか。
服装は新緑色のフード付きローブ。全身、頭から足元までをすっぽりと覆い隠すデザインだ。ただし、フードは首の後に降りていて顔ははっきり見える。
ありふれたデザインだが、使われている布は高級品。つまり、それなりに地位の高い人物か、そうでなくとも相応の財力がある人間ということになる。
ローブで隠れた体付きも一見すればやや細身だが、意外と筋肉質だったのは先程抱きしめられ――もとい、抱きとめられている間に確認していた。
これらの情報から、メルテルは男性の正体を冒険者になった魔法使いあたりだろうと推測する。であれば――
「失礼した。改めて礼を言わせて頂こう。私はメルテル。王都魔法学校で教師をしている。先程は危ないところを助けて頂き、感謝する。できれば貴方の……名前だけでも教えて頂けないだろうか」
魔法学校の教師という肩書はきっと興味を引く一助となるはずだ。
助けて貰った礼をするならば相手の喜びそうなものや興味を持ちそうなものを贈るのは当たり前のことであり、それならば魔法使いらしき彼には同じく魔法使いであることを明かすのが最も手っ取り早いのは自明であり、名前を聞いたのだって礼を言う相手の名前も知らないなどというのは流石に失礼だろうと考えただけで決して――そう、決して他意はないのだ。
そんな風に無意識の言い訳を自分に言い聞かせているメルテルであるが、その眼差しを見ればよほど色恋に疎い物でもなければその真意に気が付いただろう。
一方で男性はといえば「魔法学校の教師」と聞いた瞬間にほんの少し驚いた様子を見せた以外は特にこれといった反応を見せることもなく。
「名乗るほどの者ではありません。そんなことより、メルテルさんに怪我がなくて何よりです」
そう言うと「ではこれで」と断りをいれ、引き止める間もなく連れの――恐らく従者見習いか奴隷であろう茶色い髪の小さな少女と共に立ち去ってしまった。
助けたことを恩に着せるでもなく、最初から最後まで紳士的な対応。それはまるで、先日読んだ恋物語の始まり――運命の出会いのようで。
残されたメルテルはその後ろ姿を熱に浮かされたようにぼうっと見送っていたが、荷馬車から降りてきた商人が話しかけてきたことで我に返り、そちらへの対応を行なう。
メルテルに怪我もなく、商人の馬車も無事だったということで互いに謝罪を行なってこの件は一段落と相成った。
「それにしても、よくぶつからずに済んだものだ」
改めて状況を思い返すと、奇跡的なことだ。そう考えながらメルテルは周囲を見る。
少し先に彼女が出てきた路地が見えた。なるほど、路地からこれだけ離れていれば馬車に当たらないのも道理――
「……何?」
違和感をおぼえる。その理由はすぐに分かった。位置関係がおかしいのだ。
今、メルテルがいるのは男性に抱きとめられていた場所。そしてここは馬車が来たのとは逆方向にある。路地まではおよそ五歩といったところ。
例えば、メルテルが路地から出てきた瞬間に偶々馬車と逆側にいて、彼女を抱いて跳んだとしたらどうだろうか。彼の正体が予想したとおりに魔法使いならば可能ではあるだろう。しかし、それには十分な準備があればという前置きが付く。自身も魔法使いであるからこそ、メルテルはその仮定を難しいと結論付ける。新人とはいえ魔法学校で教鞭を執る自分ですら不完全な身体強化を纏うのが精一杯だったあの一瞬で、在野の魔法使いがそれほどのことができるとはとても思えなかった。
「しかし……ならばどうやって……?」
思考の海に沈みかけるメルテルだったが――
「はっ! いかん、遅刻する!」
通勤中だったということを思い出し、大急ぎで王都魔法学校へと向かうのだった。
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王都魔法学校。正式名称を『王立魔法研究所付属 王都魔法学校』といい、その役目は魔法使いの後進を育成することである。主体である王立魔法研究所は国営機関であり、王国中から優秀な魔法使い達が集い、日夜研究に勤しんでいる。
元来、魔法使いには気になった事柄をとことんまで究明したいと考える者が多い。
しかし、魔法の研究には希少な動植物、鉱石、入手困難な魔物の素材などを大量に消費する。それも消費量に応じて成果が上がるかと問われれば否と答えざるを得ない。個人でできる研究は早い段階で資金や設備の壁にぶつかってしまうのである。
これを憂いた『魔法使いの父』ことアルバトール・ノワコルツが私財を投じて共同研究所を立ち上げ、幾つもの実績を重ねて出資者を増やし、遂には国営化に漕ぎ着けたというのがその沿革。
しかしながら、共同研究ができるほどの優秀な魔法使いは数が少なかった。そして魔法使いといえども寿命はある。研究者の年齢が上がれば徐々に人手が足りなくなり、研究に支障が出ることは避けようがない未来。
「数が少ないなら一から育てればいいじゃない」
そんな風に言ったかどうかはともかく、魔法使いの弟子を広く公募することになったのはこの研究所が出来てからである。
それまでは一子相伝や一族の秘術といった形でしか継承されなかった『魔法』という奇跡を、誰もが手にする機会がある。それは当時の魔法使い達から賛否両論を受けつつも、貴族階級の人間から徐々に支持者が現れ、魔法使い達も弟子の育成に取られる時間が少なくなることで研究を進められると見るや積極的に協力し始め、更に入学試験の厳しさからいつしか魔法学校へ入学することそのものが才能の証明と考えられるようになり、今ではすっかり魔法使いの登竜門となったのだった。
そんな学校であるから内部はガチガチの実力主義。年齢、性別、身分、人種に関係なく、全ての生徒が実力の下に平等だ。
当然、金を積もうが、権力をちらつかせようが、不正入学など一切許されない。例えそれが、毎年臨時講師を務める大魔法使いの紹介であってもだ。
「ま、ククルゥの実力ならばまかり間違っても入学試験程度で落とされることはない。安心して行って来るが良い」
「は、はい……!」
魔法学校にやって来たクローネとククルゥは、当初の予定通り校長への挨拶を済ませた。禿頭の男性は自身の半分程度の年齢であるクローネと新入生でもおかしくない年齢のククルゥを大いに歓迎し、その場で短期編入について話を切り出した。
無論これは当日突然決まった話ではなく、事前にクローネから短期編入させたい者がいると打診してある。クローネが自ら大魔法使いと名乗り、それに違わぬ実力を持っていることは魔法学校の関係者であれば殆ど全員が知っている。だが、それを差し引いても校長からククルゥへの期待は非常に高かった。
その理由はクローネからの手紙に記されたククルゥの評価である。
曰く、百年に一度の天才。
曰く、大魔法使いの後継者に相応しい器。
曰く、彼女が魔法学校の卒業生でないなど学校側の損失。
等々、他の人間が言ったのであれば一笑に付されるような手放しでの大絶賛だ。
クローネが特別講師を行なうようになってから今日まで、彼女が生徒の才能について褒めたのは数えるほど。何しろ本人が飛び抜けた才能と発想力を持ち、その上努力も欠かさない魔法の申し子である。そんじょそこらの若造では太刀打ちしようという方が烏滸がましいというものだ。
そのクローネをしてこうまで絶賛させるククルゥという少女は一体何者か。校長の興味が惹かれるのは当然の帰結であった。
因みに、ククルゥ本人はこの手紙の内容を全く知らない。クローネからは「特別講師の誼で一人編入試験を受けさせて欲しいと依頼した」と説明されている。
嘘は言っていない。そこに大絶賛が加わっているだけである。
現在、三人がいるのは魔法学校の地下に作られた訓練場。普段はここで学生達が魔法の実技を行なっているのだが、この時間はちょうど空きコマとなっている為、三人の他には誰もいない。
「では、これより編入試験を開始します。正規の入学試験と全く同じ内容ですが、宜しいですな」
「はい! よろしくお願いします!」
校長が最終確認をするように問えば、若干緊張した面持ちでククルゥが答える。
顔に出ている緊張とは逆に、少女の内心は非常に落ち着いていた。王都行きが決まってからの二ヶ月間。長いようで短い時間に、やれるだけのことはしてきたという自負がある。何より、自分を教え導いてくれた二人の師――クローネとマキオが揃ってやれると言うのなら、間違いなくやれるはずだと信じている。
「では最初の試験です。こちらの装置に手を置いてください」
校長自ら先導するのは化粧台のような形の装置だ。顔の高さには横長の鏡のようなものがあり、腹くらいの位置に突き出した四角い板には、白線で指を揃えた手の形が描かれている。
「こ、こうですね」
「結構。ではその状態で魔力を流してください」
指示されるままに、ククルゥは右手を置く。
静かに息を吸って、吐く。
体の奥、自分の魔力にそっと触れて。右手まで繋がる魔力の通り道に少しずつ魔力を通していく。
何度も、数えるのも難しいくらい何度も繰り返した工程。
流された魔力に反応して、薄っすらと装置に光が灯る。
――魔道具にとって最適な入力というものがあります。
思い出すのは、何度目かの魔力放出訓練で教わった言葉。
――ククルゥさんの場合、体内の魔力が膨大です。そして、訓練を続ける内に放出量も増えていくでしょう。そうなったとき、魔道具側がククルゥさんの魔力放出に耐えられないことが出てくる筈です。魔道具というのは基本的に高価ですから、どこかの誰かさんのように余計なトラブルを起こさない為にも初めて触る魔道具では必ずどの程度の魔力放出が最適かを確認する癖を付けましょう。
初めは小さく、細く。徐々に栓を開けるように大きく、太く。抵抗なく流れるように、無駄な魔力を溢さないように。
――最適な入力を続けられれば、魔道具はとても長持ちします。勿論、魔法を使うときにも魔力の放出量を細かく放出できることで無駄を少なく、効率的に発動させられるようになるでしょう。
ピタリと嵌るような感覚。魔力の最適な入力を見つけた手応えを感じて、ククルゥは魔力を流し込むことに集中する。
目の前の装置が、目を開けているのが辛いほど強い光を放ち始めた。
そういえばいつまで魔力を流せばいいのか聞いていなかったな、とククルゥが考えたとき。
「ま、待った!! 魔力を止めてくれ!!」
校長の必死な声が訓練場に響き渡った。
ウソ予告:諸君、こんな噂を知っているだろう。ある日、魔法学校の図書室で一冊の古い文献が見つかった。失われた古代文字なのか、誰にも読むことができないその本は、解読に挑む数々の挑戦者を返り討ちにし、魔法学校七不思議の一つに数えられるようになったという。我々『不思議研究会』はこれを調査し、あわよくば解読し、さらにあわよくばその情報を売って大儲けしようと思う! さあやろう! ……あれ? みんないつの間に帰ったのだ? うん? この本、なんだかさっきと位置が変わっているような……次回、『七不思議最後の謎は、七つめの不思議は誰も知らないという不思議』お楽しみに。




