第37話 旅は道連れ世は情け
最近は時間が思うように取れずヒイヒイ言いながら書いていますが、なるべく水曜日更新だけは頑張りたいと思います。
ミカ、と名乗った少年の目はクローネの目を真っ直ぐ射抜いていた。謝礼やメリットを提示するでもなく、長々と理由を話して関心を引こうとするでもなく、ただ愚直に自身の求めるところを口にする。
だが、それで十分だった。
彼の目の前に立つお人好しの――否、お人好し達の心を動かすには。
「よかろう。聞いておったな? この小僧は儂が責任を持って預かることにした」
クローネは振り返りもせずにそう宣言する。自身の後に続いて車外へ降りてきた弟子に向けての言葉だ。
後ろに控えていたマキオは「何故」とも「何の為に」とも訊かずに黙って<空間収納>の魔導書を喚び出すと、中から一枚の布を取り出してミカに手招きする。
その間にクローネはふわりと御者台で呆気にとられている御者の隣へ飛び乗り、通常の料金よりも少し多い運賃をその手に取り出した。
「では御者殿、追加料金じゃ」
「ちょ、ちょっと待てよっ!」
それを遮る者が、この場には一人だけいた。他ならぬミカ本人だ。
「なんで見ず知らずのオレを連れて行くんだっ!?」
「何故も何も、そう頼んだのはお主じゃろう」
「そうだけどっ……普通、それで『はいそうですか』とはならねえだろっ!」
ミカの疑念は当然のものだ。どこの世界に見ず知らずの、しかも明らかに貧民の子供の頼みを無条件に聞く大人がいるというのか。
少なくともミカの生きてきた中にそんな大人は一人もいなかった。時々親切にしてくれる者もいたが、それは憐れみだったり同情だったり、若しくは――ちらりと、布を持って手招きしながら胡散臭い笑みを浮かべる男を見る。
「それを言うなら普通は馬車を止めた挙げ句タダで乗せろなどとは言わんぞ。なんじゃ、結局王都には行きたくないのか?」
「い、行きたいけど……そうやって付いて行ったオレを奴隷として売るつもりなんじゃないのかっ!?」
この国において、奴隷は合法である。労働力として、もっと言えば労働に従事させるための道具として、認められている。
そして、子供を奴隷にするというのは貧しい暮らしをしているミカ達のような者にとって縁遠い話ではない。何しろ親が我が子を、或いは昨日まで一緒に遊んだ友が自らを奴隷商に売る光景を何度も見ているのだから。
野生動物のようにこちらを警戒する少年を、クローネは複雑な思いで見つめる。まだ十かそこらであろうに、そんな警戒をしなくてはならない環境で生きてきたのだ。
本来、奴隷商は国への登録制であり、その売買は厳密に管理される。口さがない者は貧しい農村や孤児院を奴隷商の仕入先などと揶揄するが、奴隷というのはいわば最後のセーフティネットなのだ。
満足に教育を受けられず、手に職を付けるよりも先に独りで生きなければならなくなった者、様々な事情で財産を失い、明日の糧を得る術もない者。
ミカが見送ってきた中にもいずれ飢えて死ぬよりは、たとえ道具としてでも生きて欲しいと願って子を託す者や、家族を生かすために自らを差し出した者もいただろう。
だが、そんな悲壮な願いを踏み躙る不届き者も存在する。生活に困った親を騙し、身寄りを喪った子供を攫い、非合法に闇から闇へと売りさばく輩が。
ミカが警戒しているのはそういった者達だ。
「儂は奴隷商ではない、魔法使いじゃ。そこの男は儂の弟子、胡散臭い顔をしておるが危害は加えんよ」
「一言余計ですよ師匠。そして説明は全く足りていません」
「何が足りないと言うんじゃ」
「何もかもです」
呆れた様子でマキオが前に出ると、クローネは任せるとばかりにひらひらと手を振って御者とのやり取りに戻った。左肘の内側に取り出した布を掛け、その先の手には<空間収納>の魔導書を持って、右手を差し出しつつミカの警戒心を解くために笑顔で話しかける。
「ミカさん、とても疑わしいでしょうが、うちの師匠はただ助けられる範囲で人を助けているだけです。あなたを連れて行く理由は、きっとあなたの言葉に何かを感じたからだと思います。こう見えて人を見る目は確かな人ですから」
聞き取りやすいように、そして威圧感を与えないようゆっくりと穏やかに、マキオは語りかけた。
その際、何故かミカの顔が引き攣ったように見えたが、まだ大人を警戒しているのかも知れない。そう判断し、根気よく説明する。
「ただ、申し訳ありませんが馬車に乗るにはミカさんの服は少々汚れすぎています。今この場で洗濯をする訳にもいきませんから、とりあえずこちらのマントを被って頂きたいのです」
危険なものではないことを示す為、マキオは布を広げてみせる。子供一人ならすっぽりと覆い隠せるサイズだが、何の変哲もない厚手の布で出来たマントだ。
「……本当に王都まで連れて行ってくれるのか? オレみたいなガキを、理由も聞かずに?」
「ええ、あなたが望んだ通りに。王都に行きたい理由については話したいというのであれば後ほど聞かせて下さい。ただ、あまり長い時間こうして引き止めるのは他のお客様の迷惑になりますから、まずは馬車に乗っていただけると助かります」
「……分かった」
ここで押し問答をしていても何も始まらないと考え直したのか、それでもまだ完全に信用した訳ではないと言いたげにマキオを一睨みして、ミカはマントを受け取った。サイズが大きすぎるせいで少しもたついたがどうにか被り終わると、裾を引きずらないよう体に巻き付ける。
マントはそれほど上等な物ではないが、それでも今ミカが着ている服よりは随分マシだ。清潔な布の柔らかな手触りを確かめるように、小さな手が表面を撫でていた。
「皆さん、お待たせして申し訳ありません。この子は僕らが責任を持って同行することになりました。ミカさん」
先んじて客室に戻ったマキオは、開口一番そう言ってミカを招き入れる。数人しかいないとはいえ、一斉に大人達の視線に晒された少年は一瞬怯んだ様子だったが、直ぐに負けん気を発揮してぐっと睨み返した。
クローネが降りた時点で既にこの展開を予想していたマキオにより、乗客達には恐らく馬車を止めた子供が同乗することになるだろうと事前に伝えられてはいたが、いざそれが現実のものになればやはり思うところもあるようだ。
しかし、それはミカに対するものではない。否、正直に言えば確かに浮浪児にしか見えない少年が同乗するということにも多少抵抗感があるが、それ以上にマキオ達に対する困惑が勝っていた。いかに乗合馬車が一度に複数人を運ぶことで乗客一人あたりの料金を比較的安く抑えているとはいっても、どこの誰とも知れぬ相手に施しをしてやる義理はない。それがいかにも貧乏そうな子供ともなれば酔狂を通り越して狂人か変人か、さもなくばそれこそ人身売買組織の一員で、少年を騙す為の餌だと言われた方が納得できるだろう。
だが、それを口に出すのもまた憚られる。少なくとも現時点ではマキオ達の行動は見返りを求めない無償の愛ともいえる善行であり、それを非難することは自身の狭量さを露呈することに他ならないからだ。
そうでなくとも彼ら彼女らとマキオ達は偶々同じ馬車に乗り合わせただけの他人。明らかな迷惑行為や犯罪行為をしたならいざしらず、むしろ自腹を切って馬車の進行を妨げた原因を取り除いてくれたとも言えるのだから、とやかく言う権利はない。
車内にそんな微妙な空気を漂わせつつも、馬車は再び王都へ――正確にはその一つ手前の宿場町へ向けて走り出したのだった。
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それから半日ほど過ぎ、沈みかけた太陽が空を赤く染める頃に、馬車は予定通り次の町へと到着した。
乗合馬車はここで一晩馬を休ませ、朝になればまた乗車受付をして、問題がなければ明日の夕方には王都へ到着する予定だ。もっとも、ここまで乗ってきたマキオ達はわざわざ受付をする必要はない。
馬車の運賃は基本的に前払いで、町から町へを一区間として乗車受付の際に何区間乗るのかを申請し、定められた料金を支払う。マキオ達の場合はアンメルから乗車する際に王都までの四区間分を、途中乗車したミカについては本来二区間分が適正料金だが、クローネが心付けとして多めに三区間分を既に支払っている。
朝の乗車受付はあくまでも、この町から初めて乗車し王都へ向かう人達の為のものであり、マキオ達一行は出発までに乗り遅れなければいいだけである。
「さてと、飯も食ったし少しばかりのんびり――」
「なあ」
言いかけたクローネの言葉を遮るのは同行者の少年、ミカだ。
当初、彼はその辺で野宿すると言い張っていたのだが、責任を持つと言ったからには宿泊も食事も全て提供するのが当然、とクローネに宿まで連れて来られた。最初はやはり警戒を顕にしていたものの、空腹のところに温かい食事を目の前に並べられ、その香りに鼻をくすぐられてしまえば抵抗することは出来なかった。
そのまま食事を終え、なし崩しに部屋へと連れてこられて今に至る。
「どうした坊主」
「……ほんとに、オレも泊まっていいのか?」
「何を今更。あれだけがっついておいて遠慮なぞする必要もあるまい」
四人部屋の壁沿いに並んだベッドの内一つに腰掛けてカラカラと笑うクローネに、ミカは立ったまま少しバツの悪そうな顔で視線を逸らす。一心不乱という言葉を体現する勢いで食事を掻き込んでいた手前、反論の余地はなかった。
「悪かったよ……」
「む? ああいや、責めておる訳ではない。食えと言ったのも儂じゃからな」
「その……アンタ――」
「クローネじゃ。クローネお姉さんでもクローネさんでも好きに呼ぶがよい」
「クローネ……さんはさ、なんでオレなんかを連れてきてくれたんだ」
「そりゃお主が連れて行ってくれと頼んだからじゃ」
馬車に乗る前にもした会話が再び繰り返されたかに思えたが、今回はミカも食い下がる。
「クローネさんにとっちゃ大したことないかもしれないけどさ! 馬車の金だけじゃない、飯も、宿も、オレみたいなガキに返せるような金じゃないだろ!」
「それで?」
平坦な声でクローネが言う。恐らく次に来る言葉は「何を企んでいるんだ」とかそんな類のものだろう。
人の厚意を素直に受け取ることのできない人間には二種類いる。
一つは自己中心的な人間。自分自身が誰かに手を差し伸べることがない故に、誰かが差し出す手を信じられない。
もう一つは騙され、虐げられた人間。差し出しされた手で奪われ、隠された手で傷つけられてきた経験が誰かを信じることを許さない。
ミカは明らかに後者だ。自ら望んだことであっても、それが叶うはずがないとどこかで諦めている。このような子供がそんな思考に辿り着いた背景にやるせなさを感じずにはいられないクローネだったが、今ここでそれを言っても詮無きことであるとも理解している。ミカの気が済むまで疑わせてやるしかないだろうと考えていた。
だが、続くミカの反応はクローネの予想とは異なるものだった。
もじもじと服の裾を弄んだかと思えばチラチラとクローネを窺い見る。何かを言い出したいのに決心がつかない、といった様子だ。
クローネが「どうした」と聞く寸前に、ようやくミカは口を開く。
「だからさ、せめてちゃんと――」
「ただいま戻りましたー」
が、最後まで言い切る前に扉の開く音と共に、部屋の中に二人の男女が入ってきた。誰あろうククルゥとマキオである。二人共湯気の立つタライを持っていた。
魔導書屋さんで生活していると忘れがちだが、普通の宿には風呂などという贅沢品はない。タライに張った水かお湯で布を濡らして体を清拭するのが一般的だ。勿論、どちらの場合でも有料である。
「はー、重たかった……あれ、どうかしたんですか?」
床にタライを置いて立ち上がりつつ、無言で固まっているクローネとミカの様子にククルゥは首をひねる。
「いやなに、ちょっと驚いただけじゃよ」
一足早く復帰したクローネが何事もなかったように言い、その声でミカも動きを取り戻した。
タライに汲んだだけのお湯であるから、必然的に時間が経てば冷めてしまう。ミカが何を言い掛けたのか気にならない訳ではないが、優先すべきは制限時間の短いものだろう。
早速お湯を使いたいところだが、いくら師弟関係とはいえ男女混合の場で肌を晒す訳にもいかない。かといって交代で使っては後から使う方はお湯が冷めてしまう。
「マキオ、衝立を」
「はい」
そんなときに備えて、マキオの<空間収納>には折り畳み式の衝立が入っている。同室であることには変わりないが、見えさえしなければ羞恥も薄れるものだ。
ちょうど部屋を二分するような形でテキパキと衝立が設置され、クローネとククルゥ、マキオとミカという組み合わせで分かれる。
「ではミカは頼んだぞ」
「任されました」
「じゃあまた後で!」
「あ、いやオレは――」
「おや、駄目ですよミカさん。いくら子供とはいっても女性の湯浴みを覗いては」
慌てた様子で衝立の向こうへ行こうとしたミカの手を掴んで阻止しながら、空いている片腕を袖から抜いたところでミカの手を掴む手を入れ替え、マキオは器用に服を脱いだ。
シャツの下からは以外に締まった体が現れるが、それを見たミカは一層抵抗を激しくする。
「ミカさん?」
「離せ! オレはいいよ!」
「お静かに。あまり騒いでは宿の方や他のお客様の迷惑になりますよ」
声変わり前の少年の高い声はよく響く。特に夜の宿屋では尚更だ。流石に見過ごすことは出来ずに注意する。
しかし体を拭くだけでこれほど嫌がるのはどういうことだろうか。不審に思ったマキオはミカの両肩を掴んで膝立ちの態勢になり、目線を合わせた。
「ミカさん、答えにくいかも知れませんが正直に答えて下さい。ひょっとして体を見られたくないのですか?」
「……は? な、なんで?」
「例えば大きな傷があるとか」
「あ、ああそういう……いや、うん! じ、実はそうなんだよ! だからオレはあとで――」
「いけません。すぐに傷跡を見せて下さい。治せそうなら僕か師匠が治しますから」
「やだ! ……じゃなくて、いいってば!」
頑なに拒むミカだったが、力では流石にマキオの方が上だ。抵抗虚しく、シャツをたくし上げられ、そのままバンザイのポーズでシャツを剥ぎ取られてしまった。
逃げようとしていた為、マキオに背を向けた状態だったが、背中には傷らしい傷はない。ならばと体の前面を確認しようとして、ようやくマキオは気が付いた。
ミカの顔が真っ赤になっていることに。
ミカが胸元を必死に隠していることに。
異世界人としてのマキオの知識が、こういう場合のお約束を伝えてくる。
ボロボロの服を着た少年。体を見られることを異常なまでに拒む。いざ服を脱がせると顔を赤くして胸を隠す。
まさか、という思いが強い。そんなことがあるだろうか。半信半疑――否、三信七疑くらいの割合で、マキオは恐る恐る懸念を口にする。
「ミカさん……もしかしてですがあなたは……」
「女だよ! 悪いか!」
涙目でこちらを睨む少年改め少女は真っ赤な顔で目を吊り上げて叫んだ。
ウソ予告:魔道具業界のシェア率ナンバーワンを誇るアプフェル工房。だが、大ヒットを続ける携帯式通信端末の魔道具は近年その性能が頭打ちになってきていた。小型化や風景保存魔法の質の向上など、やれる改良は殆どやり尽くしてしまった結果である。だが、ユーザーの期待は高まる一方。どうする、アプフェル工房! 次回、『有名工房の苦悩』お楽しみに。




