第36話 馬車に揺られて
お待たせしました。書いている内に当初考えていた話の流れがまるっきり変わることってあるんですね……
「よかったらウチで飯食っていけよ。馬車が出るまでまだ少し時間があるだろ」
ニカッと人懐こく笑うダンからの提案を、三人はありがたく受けることにした。厚意を無下にするのはしのびないというのもあったし、朝早くの出発に加え、徒歩での移動で空腹だったのもある。
「宿屋っつってもな、元々はそんなに大げさにするつもりはなかったんだ。人もそんなに来ねえしな。だからたまに来る奴らには俺の家を貸してやってたんだよ」
道すがら、ダンが話すのはマキオと知り合った経緯について。きっかけはクローネとの世間話の中でククルゥが弟子入りした顛末が語られたことだ。
といっても、それほど詳細なものではなく、魔法を習いたい一心で故郷を飛び出してお金を貯め、紆余曲折あって魔導書屋さんに辿り着いて弟子入りした、という程度の大雑把なものだが、ダンにとってはそれだけで大凡事態を把握するのに不足はなかったらしい。
要するにマキオの人の好さを知っている人間からすれば「ああ、またか」という程度のことなのである。なお、実際はクローネも相当のお人好しであり、彼女の発案で人助けが行なわれることも少なくないのだが、如何せん猫姿のときは人前で喋らない為にそのことは知られていない。
結果、ここアンメルの町では『黒猫印の魔導書屋さん』は『猫を連れたお人好し』或いは『人助けが趣味の変わり者』と認識されている。
「最初の内はそれでも良かったんだが、あるときから段々数が増えてきてな。俺の家だけじゃなく他にも何人かで手分けして泊めてたんだがそれも限界ってんで、どうしたもんかと悩んでるところにふらっと現れたのがあんちゃんって訳よ」
辺境とは言わないまでも、それなりに王都から遠いアンメルに外からの客が来るのは非常に珍しいことではあるが、全く無い訳ではない。その殆どがアンメルの先、霊峰へ向かう巡礼者であり、年に数回程度だが複数の客人が訪れるのだ。
当初は民泊のような形で対応していたものの、やはり見ず知らずの人間を受け入れられる家ばかりではなく、人数が増えるにつれて対応しきれなくなっていた。また客側も一晩泊まって翌日には出発する関係上、馬車の発着所からあまり離れた場所に行きたがらないという事情もあって、やはり宿屋の整備が必要という結論に達したのである。
「最初はみんな何かウラがあるんじゃねえかと疑ってたんだけどな」
恩を着せるでもなく、過度な報酬を要求するでもなく、むしろ報酬額を増やそうとしたときにはどうにかして辞退しようとする。聞けば東の丘に家を建てて住んでいるというが、辺鄙な町のさらに外れにわざわざ住み着いている変わり者、という印象だったとダンは語る。
「いや驚いたぜ。話にゃ聞いたことがあったが魔法使いってのはすげえもんだな。俺の家があっという間にこの通りよ」
立ち止まったダンが親指で指した先には、他の家と比べて明らかに大きな建物があった。話している間に到着していたらしい。
外観は町との調和を崩さない民家風でありながら頭一つ抜けている印象を受けるのは、平屋の多い中で二階建てだからというだけではない。
窓枠や扉といった細かいところにさりげなく掘られた意匠や、建物全体のバランスが洗練されているのもその理由の一つだが、何より他と比べて明らかに綺麗なのだ。
数年前に建てたという話だったが、新築だと言われても信じただろう。
「勿論、俺も毎日掃除はしてるけどな。あんちゃんが作った魔道具で勝手に綺麗になるんだよ。そんな訳で、普段は畑仕事をしながら客が増えた時だけ宿屋も兼任してるのさ。建物の手入れに人を使わなくて済むから楽なもんだぜ。料理も魔道具のお陰で簡単にできるしな」
お陰でやることがなくてよ、とダンは腕を組んで宿屋を見上げた。わざとらしく困ったような顔を作っているが、口元にはニマニマと笑みが滲んでいる。言葉とは反対に自慢の宿を紹介できたことが嬉しいようだ。
「実は僕がやったのは中に置いてある魔道具だけで、外観を保っているのは師匠がそういう魔法を組んだからなんですけどね」
ククルゥの耳元に顔を寄せて、マキオが小声で補足した。宿を改装した際もクローネは猫姿だった為、魔法を使った仕掛けは全てマキオが作ったことになっているのだ。
「なに、些細な違いじゃろ。この宿を使う者にとってはどちらでも関係あるまいて」
同じく小声でそう言い残すと、クローネは素知らぬ顔でダンの話に乗って宿を褒めながら一足早く宿の中へ足を進めた。傍目には弟子の仕事を褒める師匠にしか見えないが、実質的には自画自讃なので事情を知るマキオは苦笑いだ。
そうして、馬車が出るまでの隙間時間をおいしい食事で満たした三人は予定通りに王都行の馬車へのりこんだのだった。
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物語などでは馬車を襲う盗賊というのが一つの定番となっているが、実際のところはそれほど頻繁に起こることではない。
特に不特定多数が乗り合わせる辻馬車や乗合馬車は、いうなれば開けてみるまで何が入っているか分からない宝箱のようなものである。上手く行けば大金が手に入るかも知れないが、致死性の罠が仕掛けられていたり、或いは金目の物が殆ど無かったりするかも知れない。
よほど追い詰められているかギャンブル依存症でもない限り、仕事の成果は安定している方がいいと考えるのは自然なことだろう。ギャンブルとは得てして胴元が勝つように出来ているものだし、追い詰められた人間が自棄になって起こした行動は概ね失敗するものと相場が決まっている。
つまりは街道を走る乗合馬車は比較的安全な移動手段だということだ。
「いやあ、思わぬ収穫じゃったな!」
馬車の中、他の乗客に配慮して声量こそ抑えられているものの、喜色を前面に押し出したクローネの声がで上がった。
アンメルの町を発って三日目。黒猫印の魔導書屋さん一行を乗せた馬車は、王都への街道をのんびりと進んでいた。これといって問題も起きず、予定に遅れもない平和な道程である。
「まさかスーリエ・ドゥ・アンジュが支店を出しておるとは。やはりたまには外に出てみるもんじゃの!」
ご満悦でかぶりつくのは王都の老舗菓子店の看板メニュー。発売から今日まで根強い人気を誇る、大きなスポンジにたっぷりのクリームとフルーツを挟み込んだその菓子は王都在住時代から変わらず彼女のお気に入りであったが、その購入経路が限られていたことから年に一度、王都魔法学校へ足を運んだときのお楽しみだった。
しかし、今年はなんとその支店が出来ていたのだ。これまで王都内でしか買えなかったあの味が、王都の外でも手に入る。菓子界を震撼させる歴史的出来事――クローネの中では――だった。
暖簾分けされたらしい菓子職人が支店長を兼任していたが、その腕は確かであり、本店のものと比べても遜色ない出来栄えだ。
「惜しむらくは立地じゃな。何しろ王都から二日の位置では王都と儂らの家のちょうど中間点。気軽に買いに行くことが出来んという点では現状とさして変わりない。とはいえ、支店を出したという事実が大切じゃ。見たところしっかり繁盛しているようじゃったし、これでさらに支店が増えればいつかはアンメルの町にも――いや、いっそのこと資金援助を条件に誘致してしまう方が手っ取り早いか?」
などとクリームまみれの口で熱く語るクローネの横では、ククルゥが幸せそうに菓子を頬張っていた。
長期の野外活動を行なうことも多い冒険者生活では、その間の食事を保存食に頼ることもしばしばである。その為、食べ物の味については期待値の下限が低いククルゥではあるが、それは美味しいものを楽しめないということではない。むしろ偶にしか食べられない分だけ美味しいものは大好きだ。
弟子入りしてからというもの、食事の水準が飛躍的に上がっているせいで、粗末な食事に戻れなくなったらどうしようかと真剣に悩んでいるのだが、今この瞬間においては余計なことを考える余裕はない。
甘味とは合法的に摂取できる麻薬のようなものなのだから。
マキオはといえば無言のまま真剣な顔で一口齧っては目を瞑り、王都最高とも言われる菓子の味をじっくりと確かめていた。既に何度も味わってきた筈なのに、食べる度にその美味しさに打ちのめされる。
事ある毎に菓子を要求する師匠のお陰で、菓子作りの腕はちょっとしたものだと自負しているマキオだが、未だにこの味を再現できたことがないのだ。
しっとりとしたスポンジの食感、固すぎず柔らかすぎないクリームの絶妙な立て具合、数種類のフルーツが使われているというのに互いの味が喧嘩せず引き立て合う神がかった配合。
美味という一言で表すしかないのが悔やまれるほどに完成された味であった。
師匠が金に物を言わせてアンメルにも誘致しようなどと妄言を吐いているが、この味の為ならそれもやむ無しなのかもしれない。
そんな具合で三者三様に舌鼓を打ちながら馬車に揺られていると、不意に馬車が停止した。まだ街を出て間もない場所である。
車輪の上に箱型の客室が乗っている形状の為、乗客からは前方が見えづらい。乗り合わせた他の乗客達も何事かと訝しんでいた。
クローネは密かに魔法を展開する。外の状況が分からない時点ではあまり派手に動いて客室全体を制圧対象にする訳にはいかないが、万が一馬車が襲撃されているのであれば迅速な対応が求められる。
二人の弟子へ視線を送れば、マキオはさり気なく<束縛>の魔導書を手元に喚び出し、フードを目深に被ったククルゥは扉に手を掛けいつでも飛び出せるようにしていた。マントに隠れて分かりづらいが、もう片方の手は既にナイフの柄に置かれている。
以心伝心の弟子達を頼もしく思いながら、クローネは<魔力探知>を発動した。
仮に盗賊が乗合馬車を襲撃するとすれば、絶対に満たすべき条件が一つだけ存在する。襲撃の目撃者を残さないこと――即ち、皆殺しである。
「……囲まれてはおらんな。馬車の前に一人。魔力は弱い。魔法を使ってくることはほぼ無いじゃろうが、魔道具ならその限りではないからの。念の為注意しておけ」
小声で伝えるクローネ。同時にフードの下で羽毛に覆われた耳を小さく動かしていたククルゥが、外の音を拾って実況する。
「今、御者さんが話しています――『お金を払ってない人を乗せる訳にはいかないんだよ』『頼むよ! どうしても王都に行きたいんだ』『ダメダメ。そんなに行きたいなら歩いていけばいい』『急ぎなんだよ!』――どうやら誰かが途中乗車の交渉をしている、というかタダ乗りさせて欲しいと言っているみたいです。声からして子供でしょうか」
ククルゥの言葉に、客室内にはにわかに弛緩した空気が流れた。乗合馬車において、発着所以外での乗り降り自体は合法である。ただし、当然のことだが正規の料金を払うなら、という条件が付く。
馬車を止めた何者かもそれを知らない筈はないが、随分と無茶な要求をするものだと乗客達の顔には呆れが浮かんでいた。
「ふむ……『釣り』の可能性も無さそうじゃな。どれ、事情くらいは聞いてやるとするかの」
そう言って、クローネは徐に客室の扉を開ける。
扉の開く音で御者の男が振り返ったが、中から出てきたのが乗客の一人だと気が付くと申し訳無さそうに頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません、直ぐに動かしますので。ほら、そこをどかないか!」
「待つがよい御者殿」
馬車の前方に向き直り、声を荒げて立ち塞がる人物を追い立てようとする御者を片手を上げて制止したクローネは前に出る。
そこには、二頭の馬に向き合うように一人の少年が立っていた。
伸びるのに任せているのだろうボサボサの茶髪、所々擦り切れ襟元が伸びたぶかぶかのシャツに薄汚れた半ズボン、裸足に粗末な布の靴を履いた少年だ。その目は涙で滲んでいる。
クローネの視線が目元に止まったのを感じたのだろうか、少年はシャツの袖で乱暴に涙を拭うとキッと睨むように見返してきた。
「小僧、訳ありのようじゃな。話くらいは聞いてやろう。じゃが長々と馬車を止める訳には行かぬ。手短に話すが良い」
「……誰だよアンタ」
「人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るものじゃ。話したくないと言うなら別に構わんぞ。捨て置くだけじゃ」
冷たく言い放つクローネの迫力に圧されたように、少年は押し黙る。その胸中には疑念と混乱と、そして僅かな期待が渦巻いていた。
俯いていたのはそう長い時間ではなかったが、その間に何か折り合いをつけたのだろう。
「……ミカだ。なあアンタ、頼みがある。オレを王都に連れてってくれ」
再び顔を上げたとき、その瞳には確かに決意の輝きが宿っていた。
ウソ予告:王都の大人気スイーツ店。その味を受け継ぐ栄誉は並大抵の努力では掴めない。味を追い求めるだけでは決して辿り着くことの出来ない頂に、初めて手を掛けた男がいた。これは、そんな男の物語。次回、『愛なき甘さに天使は微笑まない』お楽しみに。




