第33話 閑話・猫の昔話④
いっけな~い! 遅刻遅刻~!
…………すみません、予約投稿するのをすっかり忘れていました。
獣が吠えるのは仲間に何かを伝えるとき。或いは敵対者や獲物を威嚇するとき。
しかし、ドラゴンの咆哮は違う。それはいわば戦場での名乗りであり、誇りをかけるという宣言でもあり。そして――原初の魔法とも言われておる。
ビリビリと空気が震えるのを肌が感じ取った。それ以上に、そこに込められた魔力の強さが儂の中の何かを強く揺さぶった。
巨体が更に一回り大きくなったような錯覚。いや、本当に錯覚だったのかどうかも分からぬ。戦いの場において有り得べからざることじゃがその瞬間、儂はギルドからの依頼も、仲間たちの様子も、自身の命すらも何もかも忘れておった。
荒々しく、単純で、洗練とは真逆でありながらそれ故に『完全』な魔法を解き明かしたいという思いに囚われていた。
人が魔法という現象を観測したのは遥か昔。大地から焔を生み、大海を割り、蒼穹に霹靂を喚ぶ。人の力では決して為し得ぬその奇跡の御業を成したのは他ならぬ竜であるという――人に為し得ぬことを成したのが『人ならざるもの』であるのは道理であるな。
その力に魅せられ、憧れて、自らのものにせんとした輩の末裔。それが魔法使いという存在じゃ。原初の魔法を前に黙っと見ておることなど出来よう筈もない……というのは言い訳に過ぎんが、目の前の圧倒的な魔法に目を奪われた理由は分かって欲しい。
無論、そんな余裕がないのも事実。儂が呆けておったのも実際には一瞬のことじゃった。
が、その一瞬でさえも命取りになるのが戦場。儂が物言わぬ骸に成り果てずに済んだのは、ナックとイアンのお陰だったと言えよう。
怒り心頭で暴れ回るドラゴンは、当初次の餌として狙っておった儂やオクタが眼中にない様子じゃった。その理由は明白じゃな。
そう、目を潰されたことによってドラゴンの敵愾心は全てがナックに向けられておった。自ら爪にかけた筈のナックに対しても一切衰えぬ敵意を向けたまま、しかしドラゴンはその場から動かなかった――否、動けなかった。
ドラゴンをその場に釘付けにしていたのは盾で身を隠し、剣先を突きつけたイアンの気迫じゃ。決して派手な動きをした訳ではない。しかし後ろを見せれば即ち致命に至ると、そう思わせるに足るその気迫は抜身の剣などという生易しいものではなかった。
その剣は既に生命に届く位置にあるのだと、絶対の強者であるドラゴンですらそう思わずにはいられぬほどの気迫。
全身から魔力を立ち昇らせたドラゴンの喉が低く唸りを上げ、隻眼がイアンを睨め付ける。遂にドラゴンの意識が完全にイアンへと向いた。
と同時、イアンが滑るように前へ出る。敵が狙いを切り替えた直後の虚を突く動き。
前面に盾を構えたまま身を低くして走るイアンに、ドラゴンの反応が一瞬遅れる。
イアンが狙うのは必殺の一撃。ただでさえ生物としての基礎的な性能が違うドラゴンがこちらを『敵』と認識した以上、長期戦は望むべくもない。狙うは短期決戦以外にない。
一行の盾役として重装備をしているイアンじゃが、その動きが遅いなどということはない。仲間を守る為にいち早く危険を察知し、先んじてそれを防ぐことこそが盾の本懐だからじゃ。
森の中、不整地じゃということを忘れそうになるほどの速さでイアンはドラゴンに肉薄した。
苦し紛れのように振るわれたドラゴンの右爪は、突進の勢いと巧みな盾の流しで抜ける。ちょうど右目を奪ったときの焼き直しのように。
このときには儂も既に詠唱を始めておった。ナックの安否が不明な現状、戦えるのはイアンと儂の二人だけ。備えるのは<風弾>……覚えとるか分からんが、ククルゥと初めて会ったときにも使ったあれじゃ。まあ、威力で言えばあのときとは比べ物にならんくらい貧弱じゃが、それでも大の大人を吹っ飛ばすくらいの威力はあった。
ではそれがドラゴンに通用するかといえば、答えは否じゃ。強固な鱗に阻まれ、傷一つ付かぬじゃろう。そのままではの。
走り込んだイアンが跳躍する。狙いは右目の傷。このドラゴンに付け入る隙があるとすれば、唯一死角となっておる右側面からの攻め。鱗もなく、既に傷付いている場所ならば刃も通る。迎撃の爪も弾いた。翼は未だに<重圧>から逃れられておらぬ故、風で遮られることもない。
今度こそ仕留める、とイアンは考えておった筈じゃ。実際、当たりさえすればそれで仕留めることが出来たのじゃろう。
爪による迎撃に失敗したドラゴンは、その脅威度を正確に測っていた。それが知能によるものか、それとも右目を失った経験によるものかまでは断言できんが、イアンの狙いが既に機能していない右目にあることも、恐らく気付かれておったように思う。
何故そう思うか?
苦し紛れで振るった爪を弾かれた直後だというのに、イアンが跳んだのと全く同時に――つまりイアンがどうやってもそれ以外の動きが出来なくなった瞬間に合わせて、ドラゴンの尾が横薙ぎに振るわれた。
分かるかの?
たった一度、生涯で初めて傷を受けた攻撃を即座に分析し、対応策を考えた上で誘い出したのじゃ。
ドラゴンが生物の頂点に立つのは肉体の性能だけではなく、この知能と適応力があってこそなのだと思い知らされた。
じゃが、そんなことは儂も織り込み済みよ。
魔法使いは戦闘になったとき、基本的に後衛を務める。それは詠唱するための時間を稼ぐ為でもあり、放った魔法に巻き込まれない為でもあり、そして戦況を俯瞰する為でもある。
ドラゴンというやつは体の動かし方まで合理的じゃ。
右目を潰される前、イアンへ頭突きを繰り出したとき、尾は頭を振るのとは逆の方向へ伸びていた。ナックへと前足を振るったとき、やはりその尾は逆方向へと伸びていた。儂らが歩くとき、踏み出す足とは逆の手を前に出すように。
ところがイアンへ爪を振るったときには、尾は同じ方向へ伸びていた。
些細な違いじゃが、儂はそこに違和感を覚えずにいられんかった。じゃからこそ<風弾>を詠唱していたのじゃ。
果たして、ドラゴンはイアンの不意を突いて尾での薙ぎ払いを繰り出してきた。それもイアンの盾による受け流しで態勢が崩れるのを利用して初動を消し、予め尾を引きつけておくことで十分な加速を付けて。
空中で身動きの取れぬイアンにドラゴンの尾が迫る。当たれば装備を固めたイアンといえども戦闘復帰は絶望的な一撃。まさにそれが現実になる直前。
儂はイアンの背に<風弾>を撃ち込んだ。
着弾地と同時に圧縮された風が解放され、イアンを前へと弾き飛ばす。着地のときにやったような優しいものではない。攻撃用の魔法であるからには当然のことじゃが、当たりどころが悪ければ大怪我をしてもおかしくないものじゃ。
代わりにその勢いは保証できる。ナックの全身全霊をかけた一撃にも劣らぬ速度でイアンは飛んだ。
攻撃の威力は重いほど、速いほど、硬いほどに上がっていく。そして当たる面積が小さいほど貫通力は大きい。
イアンはナックに比べて重い。装備の差も含めれば倍近いじゃろう。駆け込んだ勢いは跳躍したことで多少減衰しているが、<風弾>による加速はその減衰を補って余りある。その上で剣の切っ先を突き込めば――いかなドラゴンの鱗といえど防ぎきれるものではない。まして幼体の未成熟な鱗では。
狙ってやった……と言いたいところじゃが、正直に言えば分の悪い賭けじゃったよ。
最上はドラゴンの右目、次善は左目、大幅に落ちてドラゴンの体のどこか。最悪地面や木に激突する可能性も十分にあった。
イアンが剣を突き刺したのはドラゴンの首元、肩との境目付近じゃ。殆どの生物にとっての急所になり得る場所じゃが、ドラゴンの場合は鱗と筋肉で守られているせいか致命傷とまではいかんかったらしい。
戦況は儂らの方が圧倒的に不利じゃった。ドラゴンが形振り構わず暴れでもしようものなら儂らが生き残る道筋は無いに等しい。
ナックは安否不明、オクタは魔力切れ直前、イアンは剣を手放した上に満身創痍、儂は魔力にも体力にも余裕があるが暴れるドラゴンと単独で戦えるような技術はない。
ほぼ詰んでおる状況じゃ。
それでも、イアンの一撃に意味はあった。
短い間に二度も手傷を負ったことで、ドラゴンに躊躇いが生まれたのじゃ。『この敵からは逃げるべきかもしれない』とな。
このドラゴンが幼体で経験が浅かったことも大きな要因じゃろう。往々にして、勝ち続けてきた者は逆境に弱い。実際には自分が有利な状況にもかかわらず、少しの傷で判断を誤る。
人間同士でもそうじゃが、必要以上の警戒や慎重過ぎる立ち回りは判断を鈍らせ、勝機を逃す結果に繋がりやすい。
怒りに任せて攻撃してくるでも、即座に撤退するでもなく、ドラゴンは儂らの動きを見るという選択をした。
傷を負った右目を庇うように半身を引き、立ち上がったイアンと、魔法を放った儂、未だに姿を見せぬナックにまで警戒して落ち着きなく視線を彷徨わせる様からは迷っていることが手に取るように分かった。
攻めるには絶好の機会、しかし儂らには手札が残っておらん。生半可な魔法ではドラゴンの鱗を貫くことは出来ず、かといってイアンやナックの回復は望めぬ。
そしてこちらが手詰まりじゃと分かれば、今度こそドラゴンは完全に攻勢に回るじゃろう。そうなれば終わりじゃ。
焦燥ばかりが募り、思考は出口のない回廊に閉じ込められた。どう足掻いても打開策が見つからぬという絶望に諦めかけたとき。
ガサリと枝葉の擦れる音がした。反射的に音のした方へ注意を向け、音の主を確かめるよりも早く。
――小さく風切り音が聞こえた。
儂らにとっては福音、ドラゴンにとっては死を告げる晩鐘。
木々の隙間を縫って飛来したのは一本の矢。
それを放ったのはティピィじゃと、姿を見ずとも……むしろ姿が見えなかったからこそ分かった。
それほどの遠間からドラゴンの左目を射抜くなどという芸当ができる者が、今この場に都合よく通り掛かる筈がない。
突如として光を喪失したドラゴンの混乱具合は、それはもう酷い有様じゃった。
僅かな物音にも過敏に反応しては文字通り盲滅法に爪を、尾を振り回し。空振りに終われば苛立たしげに地面を踏み鳴らし。
癇癪を起こした子供のようじゃった。
そんな暴れ方をしておれば当然体力を消耗する。いくらドラゴンと言っても生物である以上永久に動き続けることは出来ぬ。そして、ティピィの矢には獲物を弱らせる為の毒が仕込んであった。
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「そこからはひたすら耐久戦じゃよ。ティピィが鏑矢で音を出してドラゴンを暴れさせ、その間に儂が魔法を詠唱、動きが止まれば魔法を発動して拘束。そこへティピィが毒矢を撃ち込む。その繰り返しじゃ。結局一晩中相手をすることになったわい」
「ドラゴンと一晩中……」
依頼の内容によっては長時間動き続けなければならないという場面もあるが、それにしても一晩中戦い続けるということは殆どない。あったとしてもそれは撤退前提の一時的な籠城や、人数が十分にいる場合に分担して行なうものだ。
「あれは二度とやりたくないの……」
「あ……それで……」
ククルゥの中で、採石場でマキオから聞いた話と繋がった瞬間である。あのクロをして「やれるものならやっている」と言わしめる素材。そしてその入手に至る経緯。
なるほど、これを大量に手に入れようと思えば手間などという言葉では到底済まされない。
「とまあ、時間は掛かったが儂らは無事にドラゴンを倒し、幾ばくかの素材を得て依頼を完遂した訳じゃ」
「あの、クロ師匠。ナックさんやオクタさんも無事だったんですよね?」
「うむ。ナックは危ないところじゃったが、爪の一撃が当たる瞬間に槍で受けたらしい。流石に飛ばされた勢いまでは殺しきれずに木にぶつかって気絶しておったそうじゃが。オクタはイアンの左腕を治した後、ナックの安否確認に向かっておった。気絶したナックを見つけて少しずつ戦闘域から離脱を始めていたそうじゃ」
「よかった……」
「因みにイアンのやつは全身に打ち身と両腕の骨折があったが生命に別状はなし、儂とティピィは最後まで無傷じゃ。遠距離攻撃に特化したお陰じゃな」
そう言ってカラカラと笑うクロの目には懐かしそうな色が浮かんでいた。ククルゥに話して聞かせることで記憶がより鮮明になっているのかもしれない。
「ところでクロ師匠、ドラゴンの素材ってことは……その……」
「うむ。高く売れた。暫く療養と休暇に当てても困らんくらいにはの。惜しむらくは毒矢を使ったことで血肉や内臓といった素材が使い物にならなかったことじゃの」
死ぬよりはマシじゃがな、と付け加えて、クロはゆっくりとお茶を口に運ぶ。
「僕が拾われたとき、師匠が住んでいた王都の家もそのときのお金で買ったものらしいですよ」
「へえー……あれ? そういえばそのお家は今どうしてるんですか?」
「売った。持ち続けても意味がなくなったからの。そのお陰でこうして魔道具に金を注ぎ込んだ家が建ち、売上の殆どない魔導書屋などという道楽が出来ておる訳じゃ」
「まあ、魔導書を欲しがる人なんて限られてますからね」
今明かされる衝撃の事実。魔導書屋さんは魔導書の売上で生活している訳ではなかった。
それでいいのだろうか、とククルゥは思ったが、当人たちは全く気にしていない様子であり、そもそもただの魔導書屋であればククルゥがこうして魔法使いの弟子をすることもなかったのだ。
であれば、きっとこれで良かったのだろうと無理やり自分を納得させて、ククルゥはお茶菓子を楽しむことにした。
ウソ予告:王都、魔法学校。魔法使いを育成する唯一にして最高の学舎。入学できるだけでもその才能の証明であり、卒業できれば魔法使いとしての輝かしい未来が保証されたも同然。それだけに入試の壁は高く、毎年数多のドラマが生まれる。今年もまた、その扉を敲く少年が一人。次回、『異世界転生したらとりあえず魔法学校編はお約束』お楽しみに。




