第29話 はじめてのおつかい⑧
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「ミス……リル……? すみません、何ですかそれ?」
「有名所だと『英雄ディグ』の剣に使われたと言われる魔法の金属ですね」
「『英雄ディグ・プログレスの冒険』の!? あれって本当にあったんですか……!!」
ミスリル。魔法銀とも呼ばれる、ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの作品に登場する架空の金属――だったのはマキオの元いた世界での話。魔法などという非科学的エネルギーが当たり前に存在し、物理現象にまで干渉するこの世界では、やはりというべきかそれら架空の物質とされてきたものも存在した。
原典に登場するミスリルは、曰く『銅のように延び、ガラスのように磨け、銀の輝きは曇ることなく、ドワーフが鍛えれば鋼よりも強く軽い』とされ、たった一つの産地でしか採れないとされていたが、こちらの世界のミスリルは少々事情が異なる。
というのも、そもそもマキオの世界にはミスリルが実在しなかった為に、この金属が厳密にミスリルと同じ物質であることを証明する術はなく、そう呼称される理由も『銀色を呈する、魔力を含有した金属である』という以上の根拠は無いからだ。
なお、ミスリルという呼称自体はマキオがやって来る以前から既にあり、少なくとも過去にミスリルと呼ばれる金属が存在したことは確かなようだ。
ファンタジーに触れたことのある異世界人(マキオの世界の人々)なら誰でも知っているミスリルであるが、この世界での一般認知度は低い。マキオのいた世界ですら、マニアでもなければレアメタルが幾つ存在するかだとかその名称だとか用途だとかには興味も関心もないのが普通であり、加えて言うならばこの世界において人間種は未だその版図を広げきっておらず、日常生活で使うことのないようなものについてはなおさら認知度は低くなって当然とも言える。
冒険者が好む英雄譚にはそういった『伝説の金属』も登場するが、その金属の名まで出るのは王侯貴族などの教養を育む必要と余裕のある層に向けたもので、庶民向けには大筋を残してより娯楽に特化したものが好まれた。ククルゥが初めにピンとこなかったのはそういう事情からである。
「本当に同じものだ、と断言することは出来ませんが恐らくは」
「なんだかクロ師匠とマキオ先生にかかると、おとぎ話をおとぎ話だと思えなくなっちゃいそうですね……」
「どういう意味じゃそれは」
「だって<転移>といいミスリルといい……って、えっクロ師匠!?」
ごく当たり前のように会話に割り込んできた、この場にいなかった筈の黒猫の声に音がしそうなほどの勢いで振り向いたククルゥの後ろにはいつの間にやって来たのかクロが座り込んでおり、不敵な笑みで尻尾を揺らしていた。
「思ったより早く済んだんですね」
「まあの。儂にかかれば昼飯前というやつよ」
「それを言うなら朝飯前ですし、昼飯前にも間に合ってませんよ」
「何っ! ま、まさか儂の分まで……」
「それは残してありますからご安心を」
何故ここにクロがいるのか、というククルゥの疑問と驚きを綺麗に置き去りにして、元祖魔導書屋さん師弟コンビはいつもの様に軽口の応酬を始める。彼らにとってはそれが挨拶代わりなのだ。
これまたいつも通りに食い気を覗かせたクロがマキオの回答を聞いて心底安心したように大きく息を吐いて、改めてククルゥに顔を向ける。
「さて、ククルゥよ。おつかいの進捗はどうじゃな?」
「あ、はい。魔石の採掘は終わってます」
「ふむ……その様子では順調に終わったようじゃな。訓練の方はどうじゃ?」
現在時刻は昼を一時間ほど過ぎた辺りだ。この採掘場にやって来たのが朝それなりに早い時間である事を考えると昼食に費やした時間を除外しても数時間は経過しているが、普段どおり適切に休憩を挟みながら訓練をしているならばなんらおかしなところはない。
クロとしては採掘の進捗と同様に順調だったという返事が返ってくることを想定していたのだが。
「え、ええと……」
「師匠、それなんですが」
「なんじゃ、上手く行かんかったのか? ククルゥにしては珍しい――いや、なるほど。やりすぎたな?」
途端に歯切れの悪くなる二番弟子と、付き合いの長さがなければ分からない程度にだが表情を固くした一番弟子を見て、何かしらの問題が発生したらしいことを察しつつもからからと笑いながら慰めようとしたクロだったが、金色の眼を一瞬だけ光らせ、ククルゥに殆ど魔力が残っていないことを見抜いて言を翻す。
もちろん普段の訓練でも魔力を限界近くまで使用することはある。
ただし、それはクロやマキオが想定した訓練計画に沿って行なうものであり、予めどのタイミングで休憩を入れるか、最終的にどこまで魔力を使うかを決めてあるものだ。
今回、ククルゥは初めて本格的に自力で『魔法』を使うことになり、楽しさ故に自身の限界がどこにあるかなど考えず魔力を使った結果、うっかり枯渇しかけた。これは傍に付いていながら止め時を見失ったマキオの失態であるが、ククルゥ自身は自分が調子に乗ってしまったせいと認識している。
この微妙な認識のズレが両者とも口が重くなった要因だったりするが、それ自体は些細なことである。問題の本質は、魔法使いとして基本中の基本である魔力の管理が疎かになったということ。
「僕が付いていながら、申し訳ありません……」
「いえ、わたしが勝手に……すみません……」
「ふむ……」
揃って頭を下げる二人の弟子を前に、クロは少々考えるそぶりをしながら<魔力探知>を発動させる。地下深くまでを知覚してみれば、埋まっている魔石群はどれもこれも大量の魔力を浴びて飽和しかけていた。先んじて確認したククルゥの魔力残量から考えてもほぼ休憩なしで魔力放出を続けたのであろうことは疑いようがない。<魔力探知>の訓練である以上、当然あの情報過多による頭の割れそうな思いをした筈であるにもかかわらずだ。
マラソン選手がスタミナやペース配分を管理できなければ大成しないように、一人暮らしが給料や貯金を管理できなければ成立しないように。限りあるリソースをどう配分するかを考えるというのは、概ねどの分野においても根幹に携わる重要な能力である。どのような魔法使いになるにせよ、魔力管理ができないようでは先はない。
一般的にはそう考えられているし、大魔法使いを自称しそれに相応しい実力を備えるクロもその意見には同意する。マキオを鍛える際にも口酸っぱく伝えてきた。
考えをまとめたクロが鼻を鳴らせば弟子二人もそれぞれに反応する。ククルゥはビクリと肩を震わせ、マキオは不動のまま沙汰を待つように目を瞑った。
「ま、ククルゥが魔法にのめり込むことは最初から予想がついておったわ。ここまでの無茶がきいてしまうのはちと想定外じゃったが」
「え?」
「次からは、きちんと休憩もとることじゃな。今回はマキオが止めたのじゃろうが、自分で自分の限界を知っておくというのも大切じゃ」
「は、はい……」
「マキオ。お目付け役という訳ではないが、これからもククルゥが暴走しないように見ておいてやれ」
「……はい」
お咎めなし。それがクロの出した結論であった。
ククルゥが魔法を修得することに対して並々ならぬ情熱を燃やしていることは分かっていたことであるし、新しく覚えた魔法の試し撃ちに夢中になる気持ちは他ならぬクロが誰よりも理解できる。マキオの監督責任という点においても、ククルゥがピンピンしていることから致命的な失態というほどではない。むしろ一線を越える前に止めたことを評価すべきだろう。
この結果に細い目を瞠るマキオの内心は驚き七割、納得三割といったところ。なにせ自分が訓練を受けていた当時からは考えられないほど寛大で穏当な処置だ。丸くなった師匠に感慨深いものがあるが、決して口には出さない。災いの元を自ら開く愚を犯す必要はないのだ。
「して、今日の訓練は終わりにするとして、何の話をしておったのじゃ? ミスリルがどうとか言っておったが」
手を打ち鳴らす代わりにポフポフと肉球を打ち合わせ、これ以上追求することはないと示すようにクロが話を戻す。
この採掘場でミスリルが採れることはないというのは当然調査済みであるから、話題に登るとしたら講義の一環としてということになる。だが、<魔力探知>には関係がないし、魔石の話題から派生したのだとしてもどのような流れでそうなったのかは気になるところだった。
「実は――」
マキオによる概要説明の間にクロはちゃっかり昼食を確保して、三者三様に地面に敷いた防水布の上で寛ぐ。単純な耐久性にも優れ、汚れにも強いこの布は『冒険者なら誰でも買っておくべき』とまで言われる超ベストセラー品である。唯一の難点はその防汚性により染色さえできない為にどうあがいても鼠色の布にしか見えず、非常に地味という点だろうか。
「なるほどのう、懐かしい話じゃ」
「あ、あの……クロ師匠は本当にドラゴンを討伐したんですか? いえ、疑うわけじゃないですけど……!」
「分かっておる。そもそもドラゴン自体、出遭うことすら稀じゃからの」
改めて本人から話を聞く機会を得て、ククルゥは興奮を抑えられずにいた。
伝説の英雄に比肩する偉業を達成した人物が身近に、どころか一つ屋根の下で生活していたのだ。一冒険者としても弟子としても、気にするなというのが無理な話である。
ドラゴンという生物はその怒りを買えば国家を揺るがすとさえ言われる、力と災いの象徴でもある。古い物語で英雄が竜を倒すのが一種の通過儀礼として描かれるのはそれ自体が『災いに打ち克ち、希望をもたらす者』という暗喩を含むからだ。
ところが、クロは暢気なものだ。無論のこと、ドラゴンがどのような存在か知らぬ筈もない。
「出遭うことが、っていうか遭ったら終わりとまで言われてるじゃないですか……」
「うむ。まあ既に聞いておるじゃろうが、ドラゴンとは言っても幼体じゃったからな。それでもかなり手強かったが」
「今更ですけど、どうしてドラゴンと遭遇することになったんですか?」
ドラゴンの生息地はその殆どが人間の生息地から遠く離れた場所にある。正確にはドラゴンの棲み着いた場所を避けて人類が生活圏を広げたと言うべきだろうか。しかし、ドラゴンも生物であるからには繁殖する。寿命の長さと天敵不在という条件が重なり、その間隔は数十年に一度とも数百年に一度とも言われているが、極稀に親元を離れた若いドラゴンが新たに巣を構えることがあり、不幸にもそれが人間の生活圏と重なってしまった場合は討伐隊が組まれたり、或いは逆にドラゴン側が人間を追い出して定住したりするのだ。
かつてクロたちが遭遇したのも、そういう個体だったのだと推測される。
「ま、出会い頭の不幸な事故というやつじゃな。儂らにとって幸いだったのは別の魔物を狩るつもりで完全武装しとったことじゃ。もっとも、その獲物がドラゴンの餌になっとった訳じゃが」
「ドラゴンって何を食べるんです?」
「時と場合によるが、あのドラゴンに限って言えば魔物化した獣を好んで食っておったようじゃな」
野生動物が魔物化する例は比較的多い。その土地自体が豊富な魔力を蓄えていたり、若しくは強大な魔物が棲み着いて周囲に影響を与えるといった外的要因によって変性する場合と、長く生きた個体が徐々に体内に魔力を蓄積させて魔物に変じる場合とがある。
「今にして思えば猪が魔物化した原因もドラゴンじゃろうな。なにせ最強の生物であり魔物でもある訳じゃから、生きておるだけで周囲に魔力を撒き散らしていると言っても過言ではない」
クロたち一行が受けた依頼は魔物化した猪の駆除であった。
きっかけは近頃村の周囲で巨大な猪が目撃されている、という相談が冒険者ギルドに持ち込まれたこと。現地調査を行なった結果、野生の猪が魔物化していると結論付けられ、これの討伐依頼が出された。
魔物化した動物の皮や牙は、通常の動物のそれに比べて高値で取引される。冒険者達にとっては大きく稼ぐチャンスということで歓迎されるのが常だ。
「儂らの前に何組かの冒険者が向かったが、それっきりだという話での。猪相手に不覚を取ったか、と皆が噂しておった」
「現地調査をしたのにドラゴンがいるという情報はなかったんですか……」
ククルゥが眉をひそめる。
冒険者ギルドによる調査というのは非常に綿密に行なわれるものだ。周囲の環境、対象の脅威度、討伐にかかる装備や人員などから依頼料を算定している。冒険者の生命に関わる情報であるから、手を抜くことは許されない。
特に、事前調査が不十分で魔物の脅威度を見誤っていた場合などは冒険者からの信用を失うことはもちろん、調査能力に疑いありと判断されれば上から下まで全員の首が物理的に飛びかねないのだ。
ただまあ、それを立証するには生きた証人が必要であり、こういったケースでは殆どの場合全滅してしまうことから、単に冒険者自身の力量不足だったのかそれとも調査不足だったのかは後になってみないと分からないのが実情だったりするが。
「そう云うでない。件の村の周囲に影響が出た……要は猪の魔物が目撃されるようになった時点でギルドは素早く状況を確認したのじゃ。じゃが、その素早い対応が仇となった。ドラゴンの縄張りは広い。ギルドが調査した時点では、別の場所を狩場にしておったのじゃ」
「そんな……」
「不運は重なるものじゃ。村の連中は猪の魔物が出てから森に入ることを控えておったそうじゃが、そのせいでドラゴンの目撃情報はなく、またドラゴン自体も幼体じゃった故、遠くからでは飛んでいる姿が目立たなかったことも裏目に出た」
「……先に向かった人たちは運が悪かったんですね……」
「少なからずそういうことは起こる。誰よりも早く手柄を上げ、儲けを出す為には早く動かねばならんが、それには情報の精査を犠牲にする必要があるからの」
冒険者という職業は基本的に何があっても自己責任である。前述のように、明確にギルドの調査不足が原因という例は非常に少なく、逆に功を焦り準備不足で突入した冒険者が怪我をしたり命を落とすことは非常に多い。
そして、その中にはクロたちが経験したような誰が悪いわけでもなく、強いて言うなら運が悪かったとしか言いようのない場合も含まれるのだ。
「そんな訳で、意図せずして伝説の魔物 と一戦交えることとなった訳じゃが……」
「聞きたいです! どうやって戦ったのかとか、詳しく!」
「う、うむ。ちゃんと話すから落ち着け」
見かけは線の細い美少女でもこういうところで物怖じしないのは、やはり数年間の冒険者生活で鍛えられているのだろう。ずずい、とにじり寄るククルゥに気圧されてクロの尻尾がモップのように広がった。
暫く黙って聞いていたマキオもこれには失笑してしまう。
「しかしそうじゃな、折角なら腰を落ち着けて話すとするか。続きは家に帰ってからに――」
「クロ師匠、マキオ先生、早く帰りましょう! さあ!」
クロが言い終わるより先に、ククルゥは猛烈な勢いで食器や籠を纏め終えると、鼻息荒く二人を急かすのだった。
ウソ予告:平和な魔導書屋さんに嵐を巻き起こしたのは一枚のパンツだった。突然届いた新品の下着は果たして誰が、何の為に送ってきたのか!? 謎の組織、P.T.Aの正体とは!? 次回、『ズボンをパンツと呼ばれるとパンツをなんと呼んでいいか分からなくなる』お楽しみに。




