第26話 はじめてのおつかい⑤
もし次回水曜日に更新がなかったら星渡りになったと思ってください……
楽しい。もう何度目かも分からない魔法の行使。補助具付きとはいえ、疲れていないと言えば嘘になる。だけどそれ以上に、楽しい。繰り返す都度、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。楽しい。もっと遠くまで手を伸ばしてみたい。
むき出しの土が荒野のようにも見える採掘場にゴロゴロと転がる無数の石は、まさに玉石混交。ここでいう玉とは即ち魔石。普通なら玉に入る筈の宝石類は残念ながら今この場においては石扱いだ。
既に日は中天に差し掛かろうかという青空の下、ククルゥは地面に敷いた布の上に座り込み、正面に置いた小振りの魔導書に魔力を込める。開かれたページに描かれた魔法陣が輝き、周囲へと魔力を拡散させていくと、目で見た訳でもないのに魔石が埋まっている場所が手に取るように分かった。
一方で、それ以外の情報も多い。幾度となく使っている内に慣れてきたお陰で、地面や岩といった無機物を除外できている分だけ情報のスリム化はできているが、例えば周囲で動き回っている、或いは身を潜めている野生動物にはじまり、地中にいる虫や時折空を横切る鳥。さらに場所柄数は少ないものの植物も微弱な魔力反応を持っている為に、それら全ての位置が頭の中に濁流となって押し寄せてくるのだ。
初めて使ったときなどは数秒も保たなかった。事前に話を聞いて覚悟を決めたつもりでも容赦なくそれを突き崩してくる物量に抗う術はなく、生まれて初めて経験する圧倒的な情報の奔流を前にあっさりと意識を手放してしまい、強制的に訓練を中断せざるを得なかったほどだ。「目を覚ました際にパニックを起こさなかっただけでも優秀だ」とマキオが褒めたのは世辞や慰めではなく厳然たる事実である。
ククルゥが使用したのは訓練用に作られた不完全な魔導書だからだ。
通常、魔法を魔導書に落とし込む際には、その効果や使い勝手を固定化する為に厳格な定義を行なう。例えば<水生成>なら『使用する魔力量』『生成する水の量』『不純物の許容量』といった基本の部分はもちろん、『魔力供給元の魔力量の走査』『魔力の供給が途中で途切れた場合の処理』『周囲の水分が一定値に達していない場合の処理』といった魔法そのものの起動、または停止条件を魔法陣に組み込み、不測の事態が起きても術者への負担がなるべく少なくなるように出来ている。
マキオが持つ完全版の<魔力探知>の場合はどうか。
『消費魔力量は変数』
『探知範囲は消費魔力量に連動』――これらは該当する魔法陣を複数に分割することで五段階に変動する仕組みだ。
『探知精度は変数。既定値は人間と同程度以上の魔力反応に限定』
『魔力供給元は魔導書に触れている生物』
『供給元の魔力量を常時確認』
『最低限の消費量に不足なら魔法陣への供給を切断』
『供給が途中で途切れた場合は一定時間魔導書に魔力を保持、その後緩やかに放出』
となっている。
ククルゥが使用している訓練用の物との差異は、探知精度の部分を術者自身での制御にしていること。すると当然、意識して除外しなければ空気や地面といった無機物、無生物に含まれる魔力も全て探知する。
その感覚は、ともすれば自分が壁の中にいるとさえ錯覚してしまうだろう。
わざわざそんな不完全な物を使っているのはもちろん訓練の為だ。素の状態では貧弱すぎる魔法適正により魔導書頼りにならざるを得ないマキオとは違い、ククルゥは自前で魔法を使うことができる素養がある。中でも<魔力探知>は魔力放出と魔力感知さえできれば誰にでも使える、原理だけ見れば比較的簡単な魔法といえる。
しかしながら、その簡単な魔法を修得している魔法使いは少ない。その理由は訓練の過酷さにある。
一般的な魔法使いが<魔力探知>を覚えようとするならば、手順として最初に行なうのは低密度の魔力を広範囲に放出する訓練。個人の資質にも左右されるが、ここまでは少し訓練すればそう難しくない。
だが、次に行なう放出した魔力で周囲を完全に知覚する訓練――今まさにククルゥが行なっているのと同様の段階であるが、ここで修得希望者の半数近くが挫折する。
繰り返すが、最初に全てを知覚する際には視えない壁に圧し潰されるかのような情報量が脳に叩き込まれるのだ。それがトラウマとなってこの魔法を使えなくなる者も多い。酷い者では単純な魔力放出にまで影響が出る場合もある。つまり魔法使いとして致命的な瑕疵を負うリスクがあるのだ。
マキオがククルゥの訓練で敢えて魔導書――それも不完全な物を使用しているのは、比較的習得難度が低いとはいえ最初の段階を飛ばして訓練に入れる点、魔法を発動している間の細かな制御は魔導書に任せられる為、感覚訓練に集中でき非常に効率的という点を重視したからだ。
しかし、本来この訓練は短時間の内に何度も繰り返すような荒行ではない。下手をすれば魔法の行使にさえ影響が出るほどの訓練を行なう意味があるかと問われれば、その答えは明白であろう。
事実、魔導書を使わない方法でこの<魔力探知>を修得する場合は予め用意できる無機物の反応をある程度覚えた上で、少なくとも数日から数週間かけてごく狭い範囲の探知から感覚を慣らしていくのが常道。過剰な負荷を避けることで、心身の負担を減らすことは最終的な魔法の修得率向上に繋がるからだ。
ククルゥがこのような無茶を行なっているのは、魔法を覚えることに対する高いモチベーションがあるからこそ。
「ククルゥさん、一旦休憩を入れましょうか」
「もう少し……いえ、分かりました……」
ただし、モチベーションの高さと疲労の蓄積は別問題。元々この訓練方法自体が知覚系への負荷が大きいやり方ということもあり、ククルゥの状態は疲労困憊一歩手前といったところだ。
ここまで、ククルゥのやる気に水を差すべきではないと極力声をかけずにいたマキオだったが、流石に限界と見てストップをかけた。
一度はこれまでと同じように続けようとしたククルゥだったが、マキオの顔を見て即座に撤回する。人間、笑顔だからといって心から笑っているとは限らないということをククルゥは学んだ。
ククルゥは決して不器用な方ではない。むしろ感覚的な分野においては天才的と言っていい。
モチベーションの高さ以外にも、その優れた感覚があるからこそ無茶が効いてしまったと言える。普通であれば、苦しい思いをしながら最終的に除外する為の情報を集めるなどという、いっそ不毛とも思える作業の繰り返しを二時間以上、回数でいえば優に百を超えて実行し続けるのは難しい。
単純に人間の集中力が持続する限界ということもあるが、進捗の分かりづらい作業というのは精神的に疲れるものだ。マキオがククルゥの無茶を止めるタイミングを見失ったのは、ここまで出来てしまうとは思っていなかったというのもある。
「吐き気はしませんか? 目や耳に違和感は?」
「大、丈夫です……ちょっと気持ち悪いですけど……」
「時間も丁度いいですし、昼食がてら少し長めに休憩を取りましょう」
目を瞑って軽いめまいをやり過ごしながら、ククルゥは大きく息を吸い込んだ。故郷ともそう離れていないからか、どこか懐かしく感じる土の香りが鼻腔を満たし、張り詰めていた神経を解していく。大丈夫と強がったところで、疲労が溜まっているのはれっきとした事実なのだ。
そしてその疲労感は「昼食」という言葉で速やかに空腹感へと変換され、盛大な腹の音として出力された。
「あっ……!」
慌てて腹を押さえてももう遅い。何しろ目の前に座っているのだから、聞こえなかったはずもない。
もちろんしっかり聞こえていたマキオだったが、何食わぬ顔で魔導書を開くと大きめのバスケットを一つ、金属製の水筒を一つ、ソーサーとカップを二組取り出して手早く並べ始めた。
無言の気遣いが逆にいたたまれず、ククルゥは話題を探す。
「マキオ先生、前から気になってたんですけど、その魔導書から色んなものが出てくるのってどうなってるんですか?」
「おや、そういえばお教えしていませんでしたか」
偶々目についたというのもあったが、言葉通り前から気になっていた話でもある。過去にククルゥが確認しただけでも、ケーキとティーセット、ナイフ、水瓶、鋤や鍬などの農具、今日のように弁当が出てきたことも幾度かあった。
今までは漠然と「そういう魔法なんだろう」と思っていたのだが、今日の訓練を始める前にしたやり取りで気が付いたことがある。即ち、これはどういう『現象』を起こしているのか。
「これはですね、<空間収納>という<空間歪曲>と<仮想空間>の複合魔法でして」
昼食をとりながらの臨時講義――という名の雑談だ。バスケットの中身はサンドイッチだった。余談だがこの世界にサンドウィッチ伯爵はいないのでサンドイッチという名称はマキオが勝手に呼んでいるだけだったりする。
そもそも空間とは何か。定義によっては非常に難解かつ長大な論文を書かざるを得ない問いだが、ここでは非常に大雑把に『何もない場所』とする。
さて、何もないとは言いつつも目に見えないだけで空間には空気や雑菌が存在することをマキオは知っているし、当然魔力も存在する。マキオが元いた世界において放置した食べ物が腐ったり、金属が錆びたりするのは科学的に説明するならば雑菌の繁殖によるタンパク質の分解・変質や酸化還元反応などの化学変化によるものだが、<仮想空間>はそういったあれこれを一切合切無視する魔力だけで構成された空間を作り出す伝説級魔法の一つだ。詳しい原理は未だに解明されていないが、本来の魔法とは物理や定理などに縛られない超自然的な力であり、原理など追い求める方が間違いだとする説もある。現在主流になっているのは魔力の動きを制御することで現象を制御する方式だが、かつて魔法が奇跡だった頃にはただ人の思い描く力こそが魔法となる時代が確かにあり、空間に属する魔法はほぼ全てがその遺物なのである。
「まあ簡単に言うと見えない部屋なり戸棚なりを作って、その取り出し口をこの魔導書に連結しているんですが……」
「分かったような分からないような……?」
「ですよね。実は僕にも詳しいことは分かりません」
「ええ……」
もちろん雑談程度の話で空間の概念や魔力による物理法則改変の原理を解説しきることなど不可能な為、ごく単純化した概要の説明だったが、やはりというべきかククルゥがそれを理解することは出来なかった。というか、マキオ本人も原理を説明しろと言われれば非常に困る。なにしろこの魔法が再現できたのは元の世界の知識――それも物理学や化学ではなく、フィクション寄りのものに依るところが大きい。かつてマキオが貧弱ながらもなんとか魔法を使えるようになった折に『現実にはない便利なもの』の例としてなんとなく某猫型ロボットのアレを思い描いていたらいつの間にか発動していたものなのだ。
「だからこの魔法については教えようがないんです」
「そもそも伝説級魔法ってそんな簡単に使えるようになるものなんですか……?」
誤魔化すように、力の抜ける顔で笑うマキオだったが、ククルゥとしては感心すべきか呆れるべきか悩ましい結果となった。
昼食が済み、休憩時間である。
魔導書を使った魔法の行使で魔力の消費量が少なく済んでいることに加え、元々の保有魔力量が人並み外れて多いククルゥは訓練を再開したくてウズウズしているが、マキオがそれを許さなかった。疲労回復に効果の高いハーブティーと甘味で足止めしつつ、魔石についての講義をするという体で休ませる作戦に出る。
「魔石の採掘について、『探知採掘』という方法があることはお話しましたね」
「はい、魔力探知を使って魔石を狙って掘るんでしたよね」
数時間前に一度話したきりの内容だったが流石に覚えていたようだ。マキオはククルゥに貸したものとは別の<魔力探知>の魔導書を手元に喚び出して話を続ける。
「そうです。ただ、単純に魔石を探知する訳ではない、とも言いましたね」
「はい……でも場所を探知する以外に<魔力探知>を使う理由があるんですか?」
採掘前の会話を思い出して、ククルゥは首を傾げた。宝石の鉱脈を無差別に掘る通常採掘と、<魔力探知>を使用して魔石を狙って掘る探知採掘、と説明されたがその<魔力探知>は位置を探知する為に使うのではないという。ならば何の為にわざわざ魔法を使うのかという疑問は、ククルゥの中にしこりのように残っていた。
「位置を探る、というのはもちろん完全に間違いという訳ではありませんよ。ただ、魔石の性質を利用するのに非常に都合がいいというのが主な理由です」
「魔石の性質、ですか?」
収納袋から小さな魔石を一粒取り出し、軽く魔力を流してみせれば、ククルゥの目には魔石が淡く魔力を放ち始めたのが視える。
流された元々の魔力含有量が少なかったのか、魔石はすぐに魔力の放出を止めてただの透き通った小石になった。
「既に御存知の通り、魔力を流された魔石は周囲に魔力を放出し始めます。これを魔石の活性化と呼びますが、魔石にはもう一つ『魔力の蓄積』という性質があります」
「……魔石は魔力を溜め込んで放出するってことですよね」
魔石を座った膝の前に置きながら、マキオは言葉を続ける。顔を上げ、向かい合って座るククルゥへと視線を動かすと、確認するようにそう尋ねてきた。
「ええ、その認識で間違いありません。では魔力の蓄積はどのような場合に起こると思いますか?」
「ええと、周りに魔力があるとき?」
「そうですね。詳しく言うと非活性の魔石の周囲に魔力があり、なおかつ魔石が外部と遮断されていることが条件です」
質問と回答を続けつつ、<空間収納>の魔導書から小さな革袋を取り出したマキオは、魔力を使い切ってしまった魔石をその中に仕舞い込むと革袋をぐにぐにと揉んで袋と魔石とを密着させてから口紐を縛った。革袋の僅かな膨らみが、魔石が確かにその中にあることを主張している。
密閉容器でもないただの袋では、厳密な意味での遮断には至らないが、これから行なう実験にはこの程度でも十分だ。
「今、この魔石はほぼ外部と遮断されていますね」
口紐を摘まれ、ククルゥの顔の高さで革袋が微かに揺れる。革袋とマキオを交互に見て、ククルゥは次の言葉、或いは行動を待つ。
「ここに<魔力探知>を使うとどうなるでしょうか」
マキオの質問はシンプルだった。であればその答えも、当然。
「魔力を蓄積すると思います」
「その通りです」
満足気に頷いたマキオが、紐を摘んでいるのとは逆の手で<魔力探知>の魔導書に触れ魔力を流すと、マキオを中心に薄い魔力の幕が広がった。最小範囲に設定された魔力の探知網はすぐにその役割を終え、静かに消えていく。
そしてマキオは革袋の口紐を解く。逆さにした袋を軽く振ると同時、掌の上に零れ落ちるように姿を表した小石は、再び魔石と呼ぶに相応しい淡い魔力の輝きを纏っていた。
ウソ予告:移ろう季節の中で、無数の出会いと別れを繰り返し、少女は大人になった。良き出会いも、悲しい別れもあったが、それら全てがかつて少女だった彼女を成長させるための太陽であり雨だったに違いない。それはとある冬の日に暖炉の傍で語られる、昔々のお話。次回、『物語の最後に年老いた登場人物が孫に話して聞かせていた体の演出が入るだけで名作っぽくなる』お楽しみに。




