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第2話 黒猫印の魔導書屋さんへようこそ②

なんとか続きました。

 室内中央に据えられた丸テーブルを挟んで、二人は対峙していた。青年マキオはにこやかに。少女ククルゥは困惑した表情で。ククルゥの右手は腰の後ろに備えた護身用ナイフに伸ばされているが、未だ柄に手をかけることはされていない。

 ククルゥは考えていた。先ほど目の前の青年は、自分に薬を盛ったという趣旨の発言をした、はずである。しかし一貫して柔らかな態度を崩さず、自己紹介までしてみせたマキオの態度には、どうしても悪意や敵意を感じられない。ならば――


「ええと、マキオ・ソーマさん……?」

「はい、なんでしょう」


 おそるおそる、といった風情でククルゥが問えば、微笑んだままマキオが応じる。笑顔の理由を問えば「接客の基本は笑顔ですから」とか言い出しそうなほどの、お手本のような笑顔である。


「ソーマさんは――」

「マキオで結構ですよ」

「……マキオさんは、わたしに薬を盛ったんですよね? さっきのお茶に混ぜて」

「ええ、盛りました。薬の効果や副作用については先ほどご説明したとおりです」


 改めて確認してみても、答えは同じだった。というか、ひょっとしたら「お茶に仕掛けがある」というのが何かの魔道具によるものか、あるいはお茶自体が特殊な物であるという可能性を完全に否定された。

 それはそれで怖いが。

 通常「薬を盛る」という行為には、少なからず悪意や敵意が伴うはずである。だというのに目の前の青年からは一切それが感じられない。頼りになる()も、全く反応していない。

 生まれて初めての事態に、ククルゥの混乱は加速していた。


「あなたは……あなたは何なんですか!?」


 ついに堪えきれず叫んでしまった彼女を責めることなど、誰にできようか。


「『黒猫印の魔導書屋さん』店主です」

「そうじゃなくて!!」


 ――責めることなど、誰にできようか。もはやナイフに手を伸ばすことも忘れて頭を抱えてしまうククルゥを前に、その元凶はといえば、心底不思議そうな顔をして首をかしげるばかりである。


「マキオ、その辺にしておけ。どうしてお主はそうボケボケなのじゃ」


 唐突に割って入ったのは、妙齢の女性と思しき声であった。

 反射的に顔を上げて周囲を見回すククルゥの目が捉えたのは、マキオの背後、カウンター内の本棚横に設置された階段である。この場にいるのがマキオと自分だけである以上、第三者が来るとすれば入り口である扉か、あるいはその階段のみ。扉は依然閉まったままだし、何より声が聞こえたのはマキオの方向から。

 咄嗟にそう判断して階段を注視するが、数度の瞬きを経ても一向に誰かが現れる気配はない。


「娘……ククルゥじゃったか。どこを見ておるのじゃ」


 再び聞こえる女性の声。心なしか呆れたようなそれは、階段よりも手前、ちょうど目の前のマキオから聞こえたように思えて、ククルゥは再び視線をさまよわせた。

 が、やはり目の前にいるのはマキオだけであるし、カウンターの向こうにも人影はなし。

 まさかこの店主、死霊の類を使役して……!? などと疑い始めた矢先、三度(みたび)声がかけられた。


「ここじゃ。ここにキュートな黒猫ちゃんがおるじゃろう?」

「……え?」

「ようやく見つけたか」


 マキオの肩で、黒猫が喋っていた。クリっとした目を、今は横の青年と同じく弧を描くまでに細めている様子は紛れもなく笑顔であり、その仕草は妙に人間臭さを感じさせた。


「しゃ――」

「「しゃ?」」


 たっぷり三秒は沈黙していたククルゥが次に発する言葉やいかに、と興味を惹かれた様子で聞き返す一人と一匹。リアクションは息ピッタリである。

 果たして、ククルゥの発した言葉は――


「喋ったアアアアアアアアアアアアア!?」


 端的な驚きの言葉であった。


 ▼


 少女によるその日一番の叫びを、両手で耳を塞ぐことでやり過ごした魔導書屋さんの一人と一匹。黒猫クロは、器用にも耳を後ろに倒した上で前足を使って耳を抑えるというリアクション芸を見せた。

 余談ではあるが、無駄に人間臭いクロのその仕草は、見ようによっては少し前のククルゥと同じく頭を抱えているようにも見え、可愛らしい黒猫の容姿も相まってククルゥに僅かな落ち着きを取り戻させたのであった。

 そして現在、なんとか平静を取り戻したククルゥは叫んでしまったこと、椅子を倒してしまったことを詫び、その原因を作ったマキオは当然これを受け入れた。

 二人は――もとい、二人と一匹は再び席についたのである。

 テーブルには新しいティーセットが置かれている。あたかもククルゥが入店した時に戻ったかのような光景がそこにはあった。違いといえば、窓から差し込む日差しがその角度を浅くし、店の奥まで入り込んでいることと、テーブルの一角に加熱の魔法陣が広げられ、蒸気を上げるポットと茶葉の缶が置かれていることくらいだろう。

 これはクロが気を利かせて、マキオにククルゥの目の前で茶を入れるよう指示した結果である。

 実を言えば、このクロの対応にククルゥは大層感謝していた。実害がなかったとはいえ、一度は薬を盛られているという事実はやはり警戒するに十分な理由となっていたが、流石に「お茶を入れ直してきましょう」と申し出る相手に「怪しいから目の前で入れてくれ」などと注文するのも(はばか)られたからだ。

 いや、実際のところマキオはその程度の注文ならばいくつ付けられても文句を言えないほどのことはやらかしているのだが。


「さて、それでは改めてお話をさせていただきます」

「よろしくお願いします」


 しばしのティータイムを挟んで、ククルゥが混乱から立ち直った頃合いを見計らっての再開である。

 律儀に頭を下げて返事をする辺り、育ちの良さがわかるというものだ。


「念の為に確認させていただきますが、ククルゥさんの希望としては王都で暮らし、可能であれば魔法を覚えたい、という認識でよろしいでしょうか?」

「は、はい」


 ククルゥが面接に望む就活生のように背筋を伸ばし、緊張した面持ちでマキオをみるのとは対象的に、マキオはティーカップ片手にのほほんと、クロに至っては丸テーブルの片隅で毛づくろいをするリラックスぶりであった。


「ククルゥ嬢ちゃん、そう身構えずともよい。別にとって食ったりはせぬ」

「ええと、はい……」


 クロが気遣いの言葉をかけてくれるが、ククルゥはつい微妙な顔をしてしまった。

 まだ猫が喋るという現象に慣れていないのである。


「続けますね。具体的にどのように魔法を使うかは未定ということでよろしいですか?」

「あ、あの……今の所は王都で冒険者として暮らしていこうかと……」


 先の問いかけではどうしても言えなかったはずの言葉が、今はするりと出てきた。これに驚いたのは、他ならぬククルゥ自身である。

 お茶の効果が切れたからだろうか、と首を傾げたところにマキオが言う。


「なるほど。あくまで冒険者生活を豊かにする為の手段として魔法を覚えたい、と?」

「そう、ですね。はい、その通りです」


 重ねての問いかけに答えるククルゥが、一瞬言い淀んだのをマキオは見逃さない。


「先ほども申し上げましたが、冒険者として生きるだけであれば魔法は必須ではありません。もちろん使える手札が多いにこしたことはありませんから、覚えることには大変意義があるでしょう。しかし、魔法学校に入学するほどのことはないかと。それこそ下位の魔導書を一冊買って、自己流で簡単な魔法を一つ覚えるだけでも事足りると思いますよ」

「そ、それは……」

「うむ。魔法学校の入学金は高額じゃ。一人で稼ぎ出すとすれば並々ならぬ努力がいる程度にはの。そもそもククルゥ嬢ちゃんは既に冒険者として王都で生活できておる。つまり、わざわざ魔法学校に行くまでもなく目標を達成しておることになると思うがの?」


 二人がかり、もとい一人と一匹がかりで事実を突きつけられ、ククルゥは再び押し黙ってしまう。

 そう、お茶の効果は「嘘をつけなくなる」であり、その定義は「言葉を発する人物が心からそう思っているかどうか」なのだ。逆説的に、ククルゥが「魔法を冒険者としての生活に使う」と言い切れなかったのは、心のどこかでそれに疑問を抱いていたからということになる。

 本当は気付いていた。故郷を飛び出して数年、がむしゃらに働いて、働いて。確かに初めは大変だったし、今でも決して楽な生活はしていない。それでも毎日が充実していたし、近頃は冒険者生活を楽しむ余裕もできた。

 どこかでこのままの生活が続けばいいと思い始めていて、魔法学校に入学するという目標が、いつからかすっかりお金を貯める為の目的にすり替わっていることを薄々自覚しながらも、その事実から目を背けて来たのだ。

 毎日毎日、同じことを繰り返す故郷の暮らしを「惰性で生きている」と嫌悪し、自分はそんな生活は嫌だと飛び出した。

 その結果がこれだ。今の自分こそ惰性で生きているのではないか。

 ククルゥは自分を恥じた。


(穴があったら入りたい。むしろ穴を掘ってでも入りたい。ああ、なぜスコップも携帯していないのわたし! 冒険者たるものあらゆる状況を想定して準備をすべきなのに。これでは魔法を覚えたところで冒険者として失格なのでは……)


 恥じていたが、少々方向を見失いかけていた。

 そんなククルゥの内心はさておき、見た目にはものすごく落ち込んでいるように見えている為、一人と一匹は小声で相談を交わす。

 

「……マキオよ、少しいじめすぎたのではないか?」

「そんなつもりはなかったのですが……根が真面目な方なのでしょうね……」

「放っておくと一人でどんどん落ち込んでいくタイプじゃの。早いとこ話を進めてやるがよい」


 テーブルの上の猫に頬ずりしようとしているようにしか見えないひそひそ話を終え、マキオは姿勢を戻し、ククルゥへ呼びかけた。


「すみませんククルゥさん、よろしいでしょうか」

「は、はい!」


 名前を呼ばれたククルゥは自省の沼から緊急浮上して姿勢を正す。


「ここからが本題、と申しますか先ほどの続きになるのですが、もしククルゥさんさえよければ、探してみませんか?」

「探す……?」

「はい。元々魔法を学ぶ意欲があったとのことですから、この機会に『なぜ魔法を学びたいのか』というところまで掘り下げてみるのはいかがでしょう。微力ながら我々もお手伝いします」


 それはククルゥにとって魅力的な提案に思えた。

 しかし今のククルゥには――


「あの、とても嬉しいご提案なんですが……その、わたし……」

「本当に魔法を学びたいのか分からなくなってしまった、かの?」


 言い淀むククルゥの言葉を途中から引き受けるようにクロが言うと、ククルゥは目を丸くした。


「な、なぜ」

「なぜわたしの言いたいことを、かの。ククルゥ嬢ちゃんは考えが顔にでやすいから分かりやすいのじゃ」


 再度の先回り。クロは後ろ足で耳を掻き終わるとまっすぐに座り直した。得意げな表情に見えるのは気のせいではないだろう。どや猫である。

 ぺたぺたと自分の顔を触りだすククルゥを微笑ましげに見て、マキオはさらに続ける。


「大丈夫です。学びたいというきっかけは確かにあったのですから。それはひょっとしたら些細なことかもしれません。ですが大事なものだと思います。きっと――ククルゥさんが数年間頑張れるくらいには」


 嘘のない言葉だった。ククルゥ自慢の()も反応していないし、何よりもその細い目の奥に見えるのはどこまでも真摯で誠実な思いだと、自然とそう思えた。


「なぜ……そんなに良くしてくれるんですか?」


 ぽつりと溢れた言葉は、ありふれた疑問だった。しかし一度溢れた言葉は止まらない。決壊した堤防が崩れるように、ククルゥのぐちゃぐちゃになった心の声が、心からの言葉が次々と溢れ出し、勢いを増していく。


「わたし、まだ何もできてないただの小娘です。故郷を退屈で惰性で生きてる場所だって馬鹿にして、飛び出して、結局自分も惰性で生きているような、そんな愚か者です。冒険者になったのだっていきあたりばったりで、他に子供でもできそうな仕事が見つからなかったからでした。きっと魔法を学びたいと思ったのだって、つまらない理由に決まって――」


 ぷにょん、とした感触がククルゥの言葉を遮った。それはククルゥの左頬。小さくて、丸くて、硬いような柔らかいような絶妙な感触だ。

 視線を送れば後ろ足で立ち上がったクロがいて、右の前足をククルゥの頬に伸ばしていた。

 必殺、ねこぱんち(にくきゅうばーじょん)である。命名クロ。

 唐突な攻撃(?)に固まっているククルゥの頬になおも追撃ぷにぷにを与えながら、クロは言う。


「嬢ちゃん、反省できるのはよいことじゃ。じゃが反省するのと自分を卑下するのは違う。マキオも言ったじゃろう? 些細なことかもしれんが、大事なものじゃと」

「で、でも……」

「たわけ。まだ儂が喋っとるじゃろうが」


 反論を口にしかけたククルゥの右頬に、ねこぱんち・まぼろしのひだり(にくきゅうばーじょん)がぷにょんと突き刺さる。右のねこぱんちも離されていはいない為、ちょうど前足で顔を挟む形だ。

 厳しい言葉とは裏腹に、その声音は両頬に当たる肉球と同じように優しく、柔らかく、温かい。


「目標を立てて始めたことが、いつの間にか惰性で進むだけのものに成り下がる。よくある話じゃ。じゃが、ククルゥ嬢ちゃんはここへ来た。惰性だったとしても、目標を捨てきらずに。王都で魔導書の値段を見て諦めることもできたはずじゃ。それでもどうにかしようとここへ来た。その事実が大切なんじゃ」


 一言一言、噛んで含めるように言い聞かせるクロ。次第にククルゥの目が潤みだし、喉からは嗚咽が漏れ始める。ただしそれは悲しみではない。怒りでもない。先ほどまでのように情けなさから泣いているわけでもなかった。


「いいんでしょうか……わたし、頼ってしまっても」

「良い良い。儂らはさっきからそう言っておる」

「よく考えたら、本当にちっぽけなきっかけかもしれません。散々ご迷惑をおかけするだけで終わってしまうかも」


 なおも言い募ろうとするククルゥ。しかし黒猫は動じない。目の前の小娘とは猫生経験が違うのだ。

 ぷにっ、と肉球を押し付ける力を強めて言葉を遮った。


「さっき言った通りじゃ。それに――」

「それに?」


 グスグスと鼻をすすりながら聞き返すククルゥに、クロは目を細めて続ける。


「きっかけが些細でない方が珍しいじゃろ?」


 満面の笑みを浮かべる黒猫を、しばしキョトンとした顔で眺めていたククルゥは、あとに続くように笑った。窓から差し込む柔らかな光が、少女の頬に零れ落ちた一雫の跡を照らしたが、それさえも黒猫がすぐに舐め取ってしまえばそこには――晴れやかな笑顔だけが残った。


 一方、少女と黒猫の心温まる交流から完全に置いてけぼりを食らった青年がいた。 

 本猫は至って真剣だったし、聞いているククルゥも言わずもがなではあったのだが、今の一連を傍から見れば、泣いていた美少女が猫に肉球で顔を挟まれて慰められ、今は笑顔で戯れているという微笑ましいもので。


(絵になるなあ)


 益体もないことを思いながら、マキオはどうやってこの会話に混ざるべきか、いやむしろ見守るべきかと頭を悩ませながら、小さくため息をつくのだった。

2021/01/06 本文一部改稿しました。大筋に変化はありません。

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