第19話 幕間・異世界転移したら美女の弟子になった話①
急に書きたくなったので、突然ですが回想回です。回想回って文字をじっと見てるとメガネを掛けたおじさんに見えてきませんか?
「そこまでじゃ、悪党」
華やかな街並みの広がる王都にあっても、否、むしろ王都だからこそ、光を受けて生み出された影が濃くなるようにその闇は深い。王城を守る高い壁が陽光を遮り昼なお暗い下層街の路地裏は、ましてや雨が降れば容易く人目の届かない暗部となる。そしていつの世も、その暗がりで活動するのは大抵碌でもない輩と相場が決まっていた。
今、何者かによる制止の声に一斉に顔を上げた数人の男達も、ご多分に漏れず荒れた生活を送り、より弱い者から搾取することで日々の糧を得るゴロツキ。とりわけ一番奥で線の細い少年の髪を乱暴に掴んで殴打していたざんばら髪に髭面の男は、下層街においてそれなりに名の知れた悪党である。暴行、恐喝、強請に集り、喧嘩沙汰の果てに殺人も何度か。その度に逃亡し、累積する罪だけでも絞首台の上に届くお尋ね者でもあるのだが、与太者の間ではそれすら箔を付け、おこぼれに与ろうとする下っ端が集まるだけの結果となっていた。
「ンだぁテメェは」
「邪魔すん……お? 見ろ、女だ」
「オイオイ、こんな所に来ちゃあ危ねえぜ? オレたちが保護してやろうか?」
「そりゃあいい! 朝までちゃあんと保護してやるぜ!」
好色な目を隠そうともせず、ゲラゲラと下品に笑う男共。その視線の集まる先、路地の入口に立つ人物は深緑色のローブを目深に被っていて容姿こそ判然としないが、凛としたアルトの声と、何よりローブの上からでも分かる胸元の豊かな膨らみだけで性別を判断するには十分な要素だった。
王都に暮らす者であれば、下層街の路地裏など一人では歩かない。ましてや女性であれば尚更のこと。そこは金品や貞操、運が悪ければ生命にまで害が及ぶことすらある、ならず者の根城。それが常識だからだ。
だが、ローブの女は臆する様子もなく、かといって威圧するでもなく、無言のままでごく自然に、見知った商店へ買い物に行くかのような気安さで悪漢が屯する路地裏へと踏み込んだ。
男共は一様に下卑た笑みを浮かべ、舐めるようにその肢体を視姦しながら道を譲る。勿論、親切心などではなく獲物を包囲し逃さない為に。そんな視線などまるで存在しないかのように、ローブの女は悠然とざんばら髪の男の前、襲いかかられれば逃げ場もない場所まで足を進め、頭二つ以上背の高い相手に向かって堂々と言い放つ。
「そやつを置いて疾く失せるのじゃな」
「このガキの知り合いか?」
「いいや、全く知らん」
「そうかい、とんだお人好しもいたもんだ。お人好しついでに一晩相手をしてくれや」
「やれやれ、まったく破落戸はどいつもこいつも口説き文句に捻りがない……生憎じゃが獣姦の趣味はなくての。他を当たるがよい」
誤解の余地もない拒絶と侮蔑。ざんばら髪の男はぐったりとしている少年を背後に投げ捨てると同時に目の前の女に容赦なく殴りかかった。お楽しみの前に傷物にするのは勿体ないといえば勿体ないが、こういう気の強い女を暴力で従わせるのも男の趣味に合致している。
まずは腹、それで大人しくならなければ顔。生まれ持った体格と筋力に物を言わせた暴力。大抵の相手はそれで心が折れる。そうなれば後は好きに嬲れば良い。地面に転がっている方の獲物から金目の物を奪えば、今夜は酒と女を楽しめるだろう。
そう考えていた。
それが現実になると疑いもしなかった。
だが、男の脳内で作られた想像は妄想に成り果てる。
「本当に……分かりやすくて助かるわい」
強かに腹を打つはずだった拳は体に届いてすらいない。見えない壁でもあるかのように、空中に留まっていた。
男がぎょっと目を見開いたのと、意識と生命が刈り取られたのはどちらが早かっただろうか。あまりにも呆気なく顎を跳ね上げられ、その衝撃で頸骨までも損傷した男は声もなく罪深い生涯を終える。
路地の出入り口を封鎖するようにローブの女の後ろに回り込んでいた男達からは、ざんばら髪の男が殴りかかったかと思えばひとりでに崩れ落ちたようにしか見えなかった。
「な、何をしやがった!?」
「魔法か!?」
「バカ言え! 呪文も無しに……」
完全に浮き足立って口々に喚く男達は、そのせいで貴重な機会を逃したことに気が付いていない。
そこからはあっという間の出来事。
まず、一番女から遠く、路地の入口近くに立っていた痩せぎすの男が上から振ってきた何かに潰され。
次に、自分の後ろで聞こえた「ぐえっ」という声に振り返ろうとしたノッポとデブの二人が何かに足を掴まれ宙に浮いたかと思えば頭から地面に叩きつけられ。
続けて、路地の壁際で女を挟むように立っていた大柄で筋肉質な男が拳を振り上げ、小柄だが引き締まった体の男が抜き放ったナイフを腰だめに構えたところで何かに顔を掴まれて背後の壁で後頭部を砕かれ。
それで終わり。
彼らが生き延びる最後の機会は、永遠に失われてしまった。
「うむ、まあこんなもんじゃろうな」
一歩たりとも動くことなく六人を制圧し、自分以外に動くものがいなくなった路地裏でそう独りごちたローブの女は、足元に倒れているざんばら髪の男を踏み越えて、仰向けに倒れている少年へと歩み寄る。
この辺りでは珍しい黒髪、泥まみれでも上等な仕立てだと分かる黒い服には金色の釦が並び、襟元には所属か身分を示すのであろう何らかの徽章が付いていた。
なるほど、他国から来たお貴族様が世間知らずにも下層街をうろついていて絡まれたといったところか、と大まかな経緯を推察する。
左頬は腫れ、唇の端が切れて僅かに流血しているが見える範囲ではそれ以外の外傷はなし。雨で地面が泥濘んでいたのが幸いしたのか、それとも存外ざんばら髪の男が獲物を殺さないよう配慮でもしたのか、投げ飛ばされた割に頭を打つなどもしていないようだった。
「お主、大丈夫かの?」
返事がない。屍にはなっていないが、どうやら気絶しているようだ。どうしたものか、と思案を巡らせる。
行きがかりとはいえ一度助けた以上、ここに放置していくという選択は既にない。そんなことをすれば別のならず者に食い物にされるだけだろう。
「仕方ない、連れて帰るかの」
溜息と共に吐き出される、聞く者のいない独り言。その直後に、少年の体は宙へ浮く。つい今しがた瞬く間に六人を蹂躙した『見えない何か』の仕業だった。
「とはいえ、このままでは目立つか……」
それはそうだ。人が宙に浮いていたら、どうしたって人目を引く。雨で人通りがないことを加味しても目撃者なしとはいかないだろう。
「まったく、手間を掛けさせてくれる」
ローブの女が出した答えは、シンプルに背負うこと。泥水で汚れるのも構わず、しっかりと担ぐ。もっとも、背負っているように見えるだけで実際に支えているのは『見えない何か』だが。
「せいぜいこの貸しを高く取り立ててやるとするかの」
偽悪的に口の端を持ち上げた女の声を最後に、路地裏には雨の音だけが残された。
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「とまあ、そうやって拾ったのが始まりじゃった」
穏やかな午後の日差しを浴びて開催される優雅なお茶会の席で黒猫が語ったところによると、魔導書屋さんの二人の出会いはそうなるらしい。
翼耳族の少女が訪ねて来てから二週間、魔力の基礎的な扱いを徹底的に訓練する日々は順調に過ぎてゆき、訓練の合間のお茶会も既に恒例となっていた。
そして今日は黒猫にとって特別な日でもある。
長く待ち望み、夜な夜な夢に思い描いては現で悲嘆し、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで迎えた約束の日。
おやつ解禁の日である。
上機嫌な黒猫の口はいつもに増して軽く、ちょっとした雑談から二人の出会いについての話になるや臨場感たっぷりに語り始めたのだった。
「運命的な出会いだったんですね……!」
ティーカップを両手で包んだまま目を輝かせる翼耳族の少女。やはりお年頃なのだろうか、まるで物語のような出会いに興奮を隠しきれないようだ。
対して、苦い顔をしているのは黒猫の一番弟子でもある青年。
冒険譚の始まりを思わせる語り口で綴られたその思い出は、彼にとっても人生の大きな転換点ではあった。大袈裟でなく、生命を助けられたのも事実だが。
「そうですね……そして運命とは残酷なものです。あの日助けられてしまった為に、今こうして横暴な師匠の雑用係になっている訳ですから」
そう言葉では嘆きつつも、一週間分を取り戻すかのように次々と黒猫の口に運ばれていくのは、焼き菓子に始まり小さなケーキ、砂糖菓子、揚げ菓子など種類も豊富なおやつの山だった。作ったのは当然一番弟子である黒髪の青年。こと菓子類に関しては師匠に厳しい彼にしては珍しい大盤振る舞いといえるが、真摯に指導に当たりつつ一週間を過ごした黒猫への文字通りの飴であり、横暴な師匠とだけ思っている訳ではない証でもあった。
既にそのことを承知している少女もクスクスと笑う。
「それにしても、マキオ先生はどこから来たんですか? というか、貴族様なのですか?」
「貴族ではありませんよ。遠いところから来た、というのはその通りではありますが……」
「その辺りは何とも説明が難しいの……」
貴族、という部分はきっぱり否定しつつも歯切れの悪い答えを返すマキオ。
貴族でもないのに上等な仕立ての服を着ていた、というのも不思議ではあるが、ふたりが揃って言葉を濁す様子も珍しいものだった。
瞬時に、聞いてはいけないことだった、と悟るククルゥ。
冒険者同士でもその過去や個人の技能について詮索することは禁忌という風潮がある。それは互いに協力することもあるとはいえ基本的には商売敵であり、手の内を知られたくないという理由もあるが、それ以上に冒険者になる者には訳ありが多いということもあった。
「すみません、詮索するつもりは」
「いえ、秘密にしている訳ではないのですが……その……荒唐無稽な話なので」
頭を下げようとしたククルゥを押し止めるように小さく手を挙げたマキオは、それでも困ったような笑みを浮かべている。
基本的に笑顔でいることが多い彼だが、拒絶する場合はその限りではない。それはまだ長いとは言えないが短くもない付き合いの中で何度か――主に黒猫のおねだりを拒絶するという場面で――目撃している。
そして荒唐無稽というならば、目の前で<魔法使いの腕>を使ってティーカップを操り、ヒョイパクヒョイパクと菓子の山を崩していく黒猫が実は美女であるというだけでも十分だ。
その上で話せないほどの話。
「そう言われると逆に気になりますよ~!」
旺盛な好奇心に煽られるように、少女の耳がバタつく。個人の事情を詮索しないのがマナーではある。だが、それと気になるかどうかは別の問題なのだ。
可愛らしい葛藤を見せる妹弟子に和みつつ、マキオは意を決するまでもなく茶飲み話の延長という気楽さのまま疑問の答えを開示する。
「実はですね……僕はこの世界の人間ではないんですよ」
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眠りから覚めるように意識を取り戻す。
目を覚まして真っ先に目にするものは知らない天井だと相場が決まっているらしい。ぼやけた視界でも、そこが見知らぬ部屋であることだけは理解できた。
……ぼやけた視界?
高校入学と同時に新調し、数ヶ月を共にした眼鏡が無くなっている。
慌てて身を起こし、周囲を探すべく常から細い目を更に細めてなんとかピントを合わせようとするも、薄ぼんやりと輪郭と色が分かるだけの状態でどことも分からない場所を捜索することなどできはしない。
ひとまず眼鏡は諦めて、ベッドらしき柔らかな感触の上で自分の体を確かめる。
服装、変わっていない。着替えなどないから着続けていた学ランのままだ。ただ、直前の記憶では雨の中にいた筈なのに濡れた様子がない。
持ち物。眼鏡はないが、首元に下げた木札はちゃんとあった。今やこの世界で唯一、身分を保証し得るもの。再発行は出来るだろうが、無くなっていればそれなりに手間だったから、あってよかった。その他、こっちに来たときに持っていた小銭入れ、ついでにバッテリーが切れて文鎮と化したスマホと最早何の役にも立たない生徒手帳もポケットの中にある。鞄だけは宿に預けてあるから後で取りに行かないとだ。
体。あの男に殴られた筈のお腹と顔には痛みもない。結構な強さで殴られた筈なんだけど。それにしても街中でイチャモンを付けられて路地裏に連れ込まれて殴られるなんて、一昔前のヤンキー漫画みたいなお約束だったな。
そんなことを考えていると、ギィ、と僅かに軋む音。扉が開いたのだろうか。音の方向へ顔を向けてみると人影らしきものがこちらに近づいてくる。
「目が覚めたか。言葉は分かるか?」
顔はぼやけてしまってよく見えないけれど、声からして多分大人の女性。こちらを覗き込む動きに合わせて肩口で揃えられた黒髪が流れ落ちるのを、かき上げて耳に引っ掛ける仕草が色っぽい。
「あ、はい……ええと、あなたは……それと、ここは何処でしょうか? 僕は何故ここに?」
言葉が通じるのは、数日前に冒険者登録を済ませた際に確認している。現在進行系で相手の言葉も分かっているし。どういう理屈かは知らないけれど、意思疎通に苦労しなくて済むならなんだっていい。どうせなら文字も共通だったらよかったのに、と思ってしまうのは流石に贅沢が過ぎるよね。
「順に答えよう。儂はクローネ・ノワコルツ。ここは儂の家じゃ。お主が下層街の路地裏で悪漢共に襲われておったので儂が助けてここまで連れてきた」
……儂? 大人の女性だとは思ったけれど、ひょっとしてお婆さん?
でも、声の感じは若々しいんだけどな。
気にはなるけれど、女性に年齢の話題は振らない方がいい。それは身に沁みている。沁み過ぎて落ちないレベルで。
「そうでしたか。ノワコルツさん、危ないところを助けて頂きありがとうございました。ただ、お礼が出来るほど持ち合わせもないのですが……」
この世界は、シビアだ。命が軽くて、しょっちゅう人死がある。たった数日しか過ごしていないけれど、それでも何度か目にしてしまった、命が終わる瞬間。だからこそ、その対価はとても重い。
仮に今の全財産を差し出したとしても到底足りないだろう。
そう思っていたのだけれど。
「なに、気まぐれで助けただけじゃ。気にすることはない。ああ、それとクローネでよいぞマキオ」
意外にも目の前の女性(推定)は何ということもなさそうにそう言い切った。
気まぐれでとは言うけれど、お世辞にもガラの良いとは言えない男六人を相手に気まぐれだけで助けてくれるものだろうか?
いや、それよりも。
「あの、クローネさん。何故僕をマキオと?」
「うん? マキオ・ソーマじゃろう? お主の治療をする際に冒険者証を見たからの」
なるほど。
冒険者登録をする際に名前を聞かれて、いつもの癖で「槙尾 総真」と答えた。なまじ言葉が通じているから見落としていたのだ。この国では欧米のように、名の後に姓がくるのだと知ったのはそれから数時間後。それ以降、僕の名前は「マキオ・ソーマ」になった。
一度登録した情報を変更するには、相応の理由が必要になる。
そして残念ながら、名前を変更できるのは結婚・養子縁組などで名が変わったときのみと規約に定められていた。詰みだ。
「どうした? 怪我は全て治っておるはずじゃが、まだどこか痛いか?」
頭を抱える僕をみて、心配してくれているクローネさん。大丈夫です。ただの思い出し落ち込みなので。
ウソ予告:異世界からやってきた黒髪の少年は謎の美女と出会い、世界の命運を賭けた長い長い戦いへ巻き込まれていく。渦巻く陰謀、友との別れ、守るべき人々に裏切られてなお先へ進む少年を優しく見守る美しき師匠は、その体をも投げ打って少年を守り通した。 次回、『異世界って子供一人に命運を託しすぎじゃない?』お楽しみに。




