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第17話 師匠と、先生と

魔力操作の訓練をするお話になるはずでした。

 一夜明けて。


「これじゃあ外には行けませんね……」


 昨晩はまさに満天の星空だったが夜半に雲がやってきたらしい。シトシトと降る雨は屋根を伝い落ちてタパタパと音を立てている。

 朝食を終えて窓から外を眺めるククルゥの表情は空模様と同じく曇っていた。ここまでほぼ毎日晴れ続きで、訓練時には毎回外に出ていた為だろう。しかし、生憎の天気となった本日の訓練メニューは魔力操作。


「大丈夫ですよ、家の中でも出来る訓練はあります。むしろ魔法使いとしてはそちらが主流ですから」


 そう、普通の魔法使い志望は毎日走り込んで肉体を追い詰めたりはしない。むしろ先人の遺した魔法教本を読み込んで知識を深め、或いは完全に独学で独自の魔法を開発しようと躍起になるあまり寝食を忘れて倒れた挙げ句、偶発的に魔力覚醒を経て魔法使いとなるパターンが殆どだ。

 そういう意味では、クロの行なった訓練方法は効率的に死を意識できるという意味ではシステマチックとも言えるが。


「とりあえず今日は儂の番じゃな」

「はい、よろしくお願いします!」


 因みに、昨夜のククルゥ持ち上げ(物理)事件に関しては、マキオの耳目には入っていない。仮に入っていたとしたらおやつ抜きの期間が延長されたことは間違いないだろう。


「僕も同席しますよ。この雨ではお客様も来ないでしょうし」

「ふむ、客が来んのはいつものことじゃと思うが……まあそれも良いか」


 魔法の訓練に置いて、純粋に一つの技能を高める、というのは事実上不可能に近い。何故なら魔力を扱う以上、『放出・操作・制御』の三つを切り離すことは出来ないからだ。それ故に、大抵の魔法使いはこれらを無意識的に――クロに言わせれば雑なままに――行なっており、結果として複雑で繊細な魔力の扱いを求められる高位魔法の習得や開発に手が届かなくなるのだという。

 逆説的に、これらを個別に理解し鍛錬することで最終的な魔力の扱いは熟達し、高度な魔法の使用にも堪えられるようになる、という訳だ。


 なお、魔道書を使用した魔力放出訓練などというものは普通行われない。魔道書とは「誰が使っても魔法が一定の効果を発揮する」というものであり、言い換えれば「意識的にだろうと無意識的にだろうと魔力さえ流れれば魔法が発動する道具」である。

 当然、魔力放出の感覚を知覚するという初歩中の初歩を学ぶ為に魔力の操作、制御を魔道書に肩代わりさせるなどという使用方法は想定されていないし、仮に思いついたとしてもコストパフォーマンスの面から実行に移そうとは考えないだろう。喩えるなら赤ん坊の掴まり立ちを支援する為だけに専任の使用人を雇い入れるようなものだ。

 では何故そんな方法を採ったのかといえば、これは単に効率よく学べる手段があり、それを用意するのに特別な労力が必要ないからであった。


 それはさておき。

 魔力操作の訓練はまたもや厨房で行なわれることとなったが、そこでククルゥは一つの違和感に気が付いた。

 勝手口の横に水瓶が並んでいる。

 否、それ自体は当然の光景なのだ。料理をするにも洗い物をするにも、水が無くては始まらない。厨房であるからには当然在るべきものの一つではある。

 だが、ここ黒猫印の魔道書屋さんにおいては少なくとも昨晩までそんな物は置いていなかった。その理由は言わずもがな、贅沢に設置された魔道具『ジャグチ』の存在だ。取手を捻るだけで水が出るというもので、毎日の水汲みという重労働が不要になる画期的な魔道具――製作者曰く「水源や水質の問題を魔法でどうにかできる方が余程画期的」とのこと――である。

 そんな訳で、唐突にお目見えした()()()()()()()()()()()()()()に、ククルゥの目が行くのは当然のことだった。そしてもう一つ、ククルゥの興味を引いたことがある。

 並べられた三つの水瓶。満水のものが並んで二つ、なのに一番右の一つだけは何故か半分ほどしか水が入っていない。


「あれ……この水瓶、どこかで見たような?」

「ええ、昨日の訓練でククルゥさんが使ったものですね」


 ふと口をついて出た途端、その疑問は即座に氷解させられた。なるほど、そういうことであれば見覚えがあるのも頷ける。何しろ午後の半日だけとはいえずっと見ていたのだから。


「ということは、今日はこの水を使うんですか?」

「うむ、その通り。魔力操作を覚えるにあたって最も難しいのは『魔力が見えない』という点じゃ。そこでこの水を使って魔力の動きを目で見えるようにしてやろう、というのが本来の使い途なのじゃが、ククルゥに限って言えばその点は問題ない。そこで、逆にこの水を訓練用のおもりとする」


 魔力操作、言ってしまえば魔力を動かすだけのことであるが、見えないものを思い通りに操ることの難度は高い。何しろ全てが感覚頼り。暗闇で歩を進めるが如しだ。

 故に、水や木の葉といった『少量の魔力で動かせる物』をその観測器として用いるのが訓練の常道なのである。

 ところが、ククルゥの場合はその類稀(たぐいまれ)なる才覚によって最初から自身のみならず周囲の魔力を視ることが出来る。よって、そもそもそのような観測器を用いる必要がない。

 魔力放出訓練においては自身の内に秘められた魔力を体外へと放出する、という特性上魔力を視認できず、どのみち感覚に頼らざるを得ないのだが。


「錘……ですか?」

「うむ。水というものは通常清らかであるほど魔力に馴染みやすい。それ故に魔法薬の原料には清浄な水が求められるのじゃが……それは置いておくとして。逆に言えば、水に()()()が混じっていればいるほど魔力を通しづらいということじゃ」


 おもむろに左端の水瓶に向けて歩き出したクロは跳躍し、細い縁にもかかわらず猫の面目躍如と危うげなく着地を決めた。そして水面へと前足を伸ばし、小さな肉球を触れさせる。

 ククルゥの目には同心円状に広がる波紋が仄かに魔力を帯び、その中心を起点に徐々に渦を巻き始めるクロの魔力がはっきりと視えていた。


「魔力にとって最大の不純物とは何か?」


 問いかける間もクロの目は水瓶から離れない。今やクロの前足は水から離れているが、渦巻く魔力が存分にその中身を撹拌している。


「答えは『他人の魔力』じゃ」


 初めから先の問いの答えは教えるつもりだったのだろう。ククルゥが答えるより先に顔を上げ、始まりとは逆にゆっくりと小さく弱くなっていく渦が収まるのを見届けることなく水瓶から飛び降りた。


「今、この水の中には儂の魔力が残っておる。つまり儂以外の魔法使いにとっては扱いづらい水、ということになる訳じゃが、最終的にはこれを動かせるようになってもらう」

「は、はい……」

「とはいえ、それはあくまで最終的にじゃ。魔力操作の修了試験ということになるかの。という訳で、マキオ」

「はいはい、お手本を見せればいいんですね。ククルゥさん、魔力の流れをよく見ていてください」


 袖を捲りながらマキオは水瓶に歩み寄り、未だ静かに回る水に指先を浸した。

 ククルゥはよく見えるよう、後を追ってマキオの横へ。そして言われた通り、魔力を視ることに集中する。

 水の中にはクロが流し込んだ魔力が満遍なく浸透しているようで、水瓶の中が魔力で満ちているようにさえ見えた。

 と、そんな中を水に浸かった指先から細く伸びたマキオの魔力が、水瓶の底へ向けてスルスルと降りていく。水が回るのに合わせて動くクロの魔力に右へ左へと揺さぶられながらも底に到達した先端は、そのままピタリと水瓶の底に喰らいついた。

 丁度水瓶の中心に一本線が通った形だ。

 その中心線が、徐々にブレ始める。マキオの指先は動いていない。純粋に魔力だけが動いているのだ。

 そしてブレは段々と大きくなっていく。水に溶けて満ちているクロの魔力を切り分けるように、指と底とを繋いだ魔力が回りだす。先ほどクロが回したのとは逆方向に、水と魔力の流れに逆らって。当然マキオの魔力はクロの魔力に阻まれるが、その細さ故に完全には止まらず、むしろその引っ掛かりを利用して魔力の流れを変える。

 そうして乱された流れはいつしか新たな流れを受け入れ、か細い反逆者だった筈の糸は既に主流を生み出す先導者となっていた。


「こんなものでしょうか。手段は色々ありますから、ククルゥさんはククルゥさんなりのやり方を模索してみるといいでしょう」


 再び渦を巻いている最中の水瓶から指を引き上げ、ついでのように魔力の糸も回収するとマキオはそう言って微笑んだが、ククルゥの目は水瓶に釘付けのままだった。

 たかが溜めた水をかき混ぜただけ。現象だけを見ればその通り。しかしそれを成したのがたった一本の細い糸のような魔力だったということに驚きを禁じ得ない。

 ぐるぐると回り続ける水の流れを生み出したのは間違いなくマキオである。だというのに、その中には既にクロの魔力しか残っていない。

 魔法を使った形跡を残さない魔法の使い方。冒険者で言えば痕跡を残さない探索技術。

 魔法使いと冒険者のどちらとしても未熟なことを自覚しているククルゥだが、それらが一朝一夕で身につくものではないことだけは理解できた。


(やっぱりマキオさんも凄い魔法使いなのでは……?)


 このお手本だって、いつもニコニコしている兄弟子の実力の一端にしか過ぎないのだろう。ここに来て幾度か、クロからマキオへの魔法使いとしての評価を聞いている。それらはどちらかといえば厳しい意見だったが、これを見てなおその言葉を鵜呑みにすることはククルゥにはできなかった。


「ククルゥさん?」


 水面を見つめたまま動かない少女へ、窺うように声がかかる。


「師匠……いえ、先生と呼ばせてください!」


 ガバッと音のしそうな勢いで跳ね上げた顔には、宝石もかくやと輝く眼が二つ。その理由は尊敬か興奮か、或いは良き師に巡り会えた幸運への歓喜か。

 とはいえ、一瞬黒猫と同じ呼び名になりそうだったところを再考して訂正するくらいには冷静さも残っているようだった。

 しかし、先生と呼ばれた当人は困惑の表情だ。


「急にどうしたんです? というか、僕なんてまだまだ未熟もいいところですし、魔法使いとしての才能なんてありませんから先生と呼ばれるような大それた人物ではありませんよ」


 それはククルゥが魔導書屋さんにやってきて一週間あまりで初めて見る、素の困惑だった。マキオはいつもニコニコと微笑んでいるか、クロを相手に悪い笑顔を浮かべているかで、例外は魔法を使うときの真面目な顔と『疑似臨死体験目指して地獄のマラソン週間』(命名・クロ)の最中に見せた死にそうな顔くらいだ。無表情ではないのに表情に乏しいという逆に器用な人物だった。

 それが今、見て分かるほどに狼狽している。

 そして、こんな面白(めずらし)いことを見逃すはずのない者がここにはいた。


「おやおや、どうしたのじゃマキオ()()? まさか妹弟子から尊敬の念を受けるのが嫌だとでも? これほど純粋にお主の技量に感心し心酔した相手の想いを踏みにじると? いやいやまさかの、マキオ()()に限ってそんな薄情な真似はするまい? そ・れ・と・も・照れておるのかの~?」


 おもちゃを見つけたらじゃれつかずにはいられないのは、猫の本能なのかクロの性格なのか。「これをイジらないなんてとんでもない!」と言葉よりも雄弁に語るニヤニヤ笑いで煽る煽る。

 が、いかに猫の姿をとっていてもその実質は人。野生の勘――若しくは危険察知能力――という点では本家に一歩譲ったらしい。

 否、平時であれば気が付いただろう。表情の抜け落ちた顔で俯くマキオの足元から、細く伸びた魔力の糸が迂回しながらクロの背後を捉えていることにも、さらに枝分かれしたその先で分裂と結合を繰り返して網目状になっていることにも。だが如何せん、目の前の餌が美味しすぎた。ここ数年は見せていなかった弱みを曝け出した弟子をイジるという享楽に視野が狭くなっていた。

 結果。


「にゃああああああああ!?」


 音もなく忍び寄り、電光石火の早業で四方八方から襲いかかった魔力の網は瞬き一つすら挟ませぬ内に黒猫の軽い体を梱包し、引きずり上げ、宙吊りにし、身動きの取れない状態にしてしまった。


「ククルゥさん。これが魔力操作の応用の一つ、形状変化です。昨夜お見せした<魔法使いの腕>にもこの技術が使われています」


 淡々と言うマキオは笑顔だ。それは間違いない。だが、目に見える事実が必ずしも真実を表している訳ではないことをククルゥは学んだ。尊い犠牲(クロ師匠)のお陰で。

 少女は賢くも沈黙を保ち、ただコクコクと頷いてみせたのだった。


「それでは師匠。そろそろ真面目に訓練に入りましょうか」


 頭以外の全身を魔力の網に絡め取られてぶら下がるミノムシのような猫に向けて、青年は言った。首からはご丁寧に「私は訓練中にふざけました」と書かれたプレートを下げている。


「う、うむ。じゃがその前に、マキオ」

「網はしばらくそのままですよ」

「そうではない! いや、それも早いところ解いてほしいのは本当じゃが。ククルゥがお主を先生と呼ぶ件についてじゃ。お主にもククルゥの教導を任せる以上、ククルゥにとっては第二の師も同じ。教える立場になった以上、責任を持つという意味でもそれは許可しても良いのではないか?」


 今度はふざけている訳ではないらしい。表情も声も真摯なものだった。体はミノムシだが。

 それでもその真意に気が付けぬほどマキオは鈍感ではない。確かに先ほどの流れは、マキオが「先生」と呼ばれること自体を拒否したようにも見える。そうでなくともククルゥの立場から見れば自分の不用意な一言が場を乱したようなものだ。

 つまり、それをフォローしろということだろう。


「ククルゥさんがそう呼んでくださることは嬉しく思います。ですが、過分な評価ですよ。正直に言って僕は魔法使いとしては未熟で邪道ですし、教えられることは本当に基礎の基礎だけです。そんな僕などが先生と呼ばれるのは烏滸がましいでしょう。ついでに師匠が縛られているのは自業自得でククルゥさんのせいではありませんからお気になさらず」


 マキオの主張は、あくまでも自分では能力不足だというもの。

 先生と呼ばれるに相応しい実力がない。だからそう呼ぶことを受け入れられない。

 場を乱したのはクロであってククルゥではない。

 とてもシンプルな話だ。

 ククルゥにはそれを否定する材料がなかった。何かが違うと感じてはいたが、何が違うのか言葉にできない。何を言っても本質から離れてしまいそうで、もどかしい気持ちのまま、沈黙をもって見守ることしか出来なかった。

 だが、クロだけは違った。


「お主の自己評価は間違っておらん。魔法使いとしての技量では儂に、才能ではククルゥにさえ敵わんじゃろう。じゃが、それと教導する立場におるかどうかは別の問題ではないか? お主が教える基礎が今後ククルゥの糧となり、その成長を助ける。であれば、教わるククルゥがお主を先生と呼び慕うことになんの問題がある。それに何より、非才のお主が、非才故に積み重ねてきた努力も、鍛錬も、磨いてきた技術も、十分に人を導くに価すると儂は思っておるよ」


 確かに純粋に魔法使いとして評価すれば未熟もいいところで、免許皆伝など程遠い。

 それでも弟子として受け入れ、過ごしてきた十余年。非才だからと折れず、腐らず、特殊な能力を持っても決しておごらずに基礎を固めたこの弟子を信用しているのだと。

 クロだけがそれを言うことが出来た。


「師匠……」


 日頃は才能がない、未熟者だとからかわれるばかりだった。無論本貶す為に言っている訳ではないことくらいは分かっていたが、それでも思うところはあったのだ。だからこそ努力だけは積み重ねた。紛れもない天才の、自他ともに認める大魔法使いの弟子として、せめて志だけでも恥ずかしくないようにと。

 それを認められた。

 これが嬉しくない筈がない。目の奥は潤んでいる。今ほど目が細くて良かったと思ったことはない。こんなこと、気付かれたらまた面倒な絡みをされることは間違いないのだから。

 けれどそれも決壊は時間の問題だ。だから、せめてこれくらいは言わせてもらおう。声が震えないように盛大に笑って。


「ミノムシに言われても説得力ありませんよ」

ウソ予告:順調に訓練を重ね、あっという間にマキオを追い越したククルゥに次なる試練が課せられた。魔法使いたるもの錬金術も嗜むべし。そして錬金術は台所から生まれる。つまりは料理を究めるのだ! 次回、『料理対決だよ! 全員集合!』お楽しみに。

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