第16話 魔法使いの腕
締切がないと駄目なタイプの人間です。(意訳:今回も出来上がりがギリギリでした)
ヘトヘトになりながらの魔力覚醒、そして昼食を挟んでの魔力放出訓練第一日目を終えて。
ククルゥは今、地に足が着いていなかった。
ずっと憧れていた魔法使いへの道を歩み始めて舞い上がっている、という比喩表現――ではなく、文字通り、物理的に空中に浮かんでいた。仰向けに横たわったまま、地上からおよそ二メートルほどの高さでピタリと静止している。
もっとも、それは魔力を見ることのできない一般人からの視点で、正確には浮いていると言うよりも「持ち上げられている」と言った方がより現実に即している。
何に持ち上げられているか。黒猫の背から伸びる巨大な一本の腕だ。巨人の手のようなその五指はククルゥをガッチリと掴み、あたかも天へ貢物を捧げるように少女を宙に固定している。
元々の体格差に座標も加わりいよいよ真上を仰ぎ見る黒猫の、ピンと伸びたヒゲと垂直に立った尾が自慢げに揺れた。
「どうじゃ? 理解できたかの?」
何故こんな状況になっているのか。
それを語るには夕食の席まで時間を戻す必要がある。
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「ほう、僅か半日でか」
「ええ、まだ感覚的に放出量の大小が分かるだけのようですが」
「ふふん、それでも大したものよ。やはりずば抜けたセンスを持っておるようじゃな」
「…………」
ゆったりとした食事時の雑談から、話題はククルゥの訓練へと移っていった。自然、その焦点は異例のスピードで進む訓練の様子へと当てられ。
「間違いなく、大成するでしょう」
「…………」
「儂以来の天才かもしれんな。魔法学校なんぞにくれてやるのは勿体ないの」
「…………あの」
「師匠がそこまで褒めるのも珍しいですが、分かります。非才の身はすぐに追い越されてしまいそうですよ」
「……あの!」
「はっはっは、よう言うわ。そんなつもり毛頭ない癖に」
「あの!!」
隣り合わせた席(クロはテーブルの上だが)でやんやと盛り上がる二人の会話を、真っ赤になったククルゥが遮った。
魔導書屋さんを営むふたりは怪訝な顔で対面に座る少女を見る。
「どうされました?」
「おや、顔が赤いではないか。風邪かの? マキオ、お主の訓練がキツかったのではないか?」
「師匠じゃあるまいし、ちゃんと様子を見ながら加減しましたよ。大体キツさでいえば間違いなく師匠の訓練の方がキツいでしょう」
「聞き捨てならんな。儂が加減できんと言っとるように聞こえたが」
「死人が出ていなければ加減したとでも言いたいんですか? 流石、早速暴走しかけた人は言うことが違いますね」
「おおっと、そんなことよりククルゥの話を聞かねばな。すまんな、何だったか」
形勢不利による露骨な話題転換だが、ククルゥにとってはありがたかった。あのまま盛り上がられると食卓が戦場になってしまうから。色んな意味で。
「あの、褒めて頂けるのは嬉しいんですが、ちょっと恥ずかしいと言うか……せめてわたしがいないところでやっていただく訳にはいきませんか……?」
それは少女らしい恥じらいだった。
勿論、褒められるのは吝かではない。どちらかといえばむしろ嬉しい。だが、こうも手放しに「天才」だの「逸材」だの「ずば抜けている」だのと持て囃されると流石に気恥ずかしいものがある。当人たちに全く悪意がなく、純粋に評価を受けているというのもまたそれに拍車をかけた。
百歩譲って、そのように評価してもらえること自体は良しとしよう。
しかしそれを本人に聞かせるのはどうなのか。才能ある者が調子に乗って鍛錬を怠ったり、増長して厄介事を引き起こしたり、最終的に落ちぶれたりといったことは冒険者の中でもよく聞く話だ。
ククルゥ本人としてもそうならないように努力するつもりはあるが、その努力が弛まない保証もない。僅かでもそういった危険性があるのであれば、それを避けるのは理に適っているのではないだろうか。
と、様々に言い訳を重ねてはみたが、ククルゥの主張はつまるところ「目の前で褒められるのが恥ずかしい」の一点であり、人生において自分よりも十年以上先達である師匠と兄弟子ならばそういった機微も察してくれる筈だと信じていた。信じたかった。
そして返ってきた反応はといえば、
「よくできた弟子を褒めてやるのは師匠の務めであろう」
「褒めて伸ばす、というのがうちの方針ですから」
お前は何を言っているんだ、と言わんばかりの師匠のキョトンとした顔と、あくまでも穏やかな兄弟子の微笑みだった。
有情にも、機微を理解しているからこその仕打ちだったらしい。時に優しさこそが人を打つ鞭になるのだと、年若い少女は学んだ。
「あう……」
悪意ゼロで言われてしまえば、ククルゥに言えることは残っておらず、できたことと言えば熱を持った顔を伏せて耳をバタつかせることだけ。もっとも、ニヤニヤと嗜虐的な――と本猫は思っている――笑みを浮かべている黒猫は言うに及ばず、それを窘めようともしない兄弟子に本当に悪意がないかどうかは本人達のみぞ知るところではあるが。
ともあれ、このままでは褒め殺されることは明らかである。ならばどうするか。ククルゥは先達に倣うことにした。具体的には十数秒前の師匠の行ない、即ち強引な話題転換である。
「そ、そんなことより! クロ師匠、質問があります!」
「よかろう、弟子の疑問には出来得る限り答えてやるのが師の務めというものよ。何が聞きたい?」
間髪入れず、鷹揚に頷いてみせるクロ。これが大人の、そして師匠の余裕だと言わんばかりのその態度はつい半日前に一週間のおやつ抜きを宣告されて泣き喚いた事実を知らなければ大魔法使いに相応しい威厳を感じさせただろう。
一方で、ククルゥにはそんな師匠の威厳を感じる余裕はなかった。何故なら何を話題にするかを全く決めていない出たとこ勝負だったからである。
そしてそんな浅はかな、もとい幼気な少女の健気な特攻を見逃す情けが、魔導書屋さんコンビにはあった。
「えっと……ええっと……」
何か言わなくちゃ、でも何を? と内心が聞こえてきそうなほど目をぐるぐるさせている少女の様子を見かねて、マキオは助け船を出すことにする。ククルゥが中々話を切り出せないのを何か聞きづらいことを聞こうとしているのだと勘違いしたフリをして。
「もしかして<魔法使いの腕>についてですか? あれなら別に奥義ではありませんから普通に教えてくれますよ」
「なんじゃそんなことか。儂はちゃんと教えると言ったはずじゃぞ」
阿吽の呼吸で船に乗るクロは、流石年の功と言うべきだろうか? 言えば間違いなく苛烈な制裁が待っているだろうが。
「そ、そうなんです! というか、あれは……その……何、ですか?」
一拍遅れて乗ったククルゥは、しかし自分の知りたいことをどう問うべきかを見出だせずにいた。会話の流れと、今日見たものから<魔法使いの腕>というのがクロの操る魔力の手ということは分かる。クロ本猫からも「圧縮した魔力を操作しているだけ」とは聞いている。
だが、冒険者として活動していた間にそのような魔法があるなどとは聞いたことすらない。いや、冒険者にとって自らの手札を晒すというのは全面的な信頼の証とも言える行為であるが故に、主に臨時の同行者として活動していたククルゥには見せていないだけという可能性はあるが。
「何と言われてもの……昼にも言ったと思うが『圧縮した魔力を操作しているだけ』じゃよ。色々便利じゃから人の手形にしておるがの」
「……と、簡単そうに言っていますが、原理はともかく師匠がやってるのはかなりの高等技術ですからね。多分、国中探しても同じことができる魔法使いはそういないんじゃないでしょうか」
結局、分かったのはクロが凄いらしいということだけだった。ククルゥからすれば全く情報が増えていないに等しい。だから、もう一歩踏み込んでみることにする。
「クロ師匠は普段猫の姿でいるから、手の代わりになる魔法を使っているってことですか?」
「いいや、あれは魔法ではない。繰り返しになるが、魔力操作の応用じゃ」
「さっきマキオさんが言っていた<魔法使いの腕>というのは……?」
「通称みたいなもんじゃな。腕と名前を付けてはおるが、その本質は形ではないからの」
「これは僕の言い方が悪かったですね、すみません」
そう言って小さく頭を下げ、お詫びの代わりという訳ではありませんが、と前置きしたマキオの胸の中心から唐突に腕が生えた。
今まさに話題に登っていた<魔法使いの腕>だ。ただし、クロの物と比べると軟体動物のような動きはせず、純粋に人の右腕、より正確に表現するなら肩から手までがそこに存在していた。
「よく見ていてくださいね」
そう告げるのとほぼ同時に、人の腕だったものはドロリと溶けるように崩れ、次の瞬間には左腕に変わり、さらに再び溶けたかと思えば今度は円先の丸まった筒形の触腕へと変わる。
その後も<腕>の生える場所を変えたり動物を象ったり、次々と変化は続き、
「とまあ、慣れるとこんなこともできますよ、という例でした」
そんな締めの言葉で実演は終わったのだった。
「マキオさんも使えたんですね……」
「ええ。師匠が師匠なもので」
「ふん、大魔法使いの弟子たるもの、この程度は出来てもらわねばの」
言葉だけを取れば採点の辛い試験管のようだったが、ソワソワと動く尻尾は――恐らく無意識に――マキオの左腕に優しく絡みついている。本当は思いっきり褒めたいらしい。
「さて、他に聞きたいことはありますか?」
正直者の尻尾がじゃれついてくるのをそのままに、マキオはククルゥへと問いかける。
「あ、はい……これってどのくらいの物を動かせるんですか? クロ師匠は薪の準備に使ってましたけど……」
聞いてから気が付いた。この問いかけにはあまり意味がない。何故ならこの<魔法使いの腕>は――
「重さの話ならば魔力の圧縮率と放出量、数の話ならば魔力操作の制御力で変わるの」
そう、魔法ではなく、あくまで魔力を動かしているだけ。であれば出力など不定かつ自在に決まっていた。
「じゃが、うむ。体験してみるのもよかろう。ククルゥ、庭に行くぞ」
「え? あ、待ってください!」
言うが早いか黒猫はひょいとテーブルから飛び降りて、振り返ることもなく部屋を出ていった。呼ばれた少女は慌てて立ち上がり、しかし椅子はきちんと戻してからその後を追う。
一人残された青年はそれを見送ってから静かに立ち上がり、テーブルの上の食器を片付け始めた。
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最早お馴染みとなった勝手口を抜けて、裏庭へと脚を踏み出したククルゥが最初に見たのは夜闇に浮かぶ金色の目、そして何かに押されるような感覚の後、一瞬の内にその視界を星空が埋め尽くした。
あまりに急な景色の変化に状況把握が追いつかず呆然と星を眺めていたが、そこへ背中から声がかかる。
「どうじゃ? 理解できたかの?」
振り向こうとして、視界の端に地面が見える。高さだけで言えば精々がちょっとした段差の上に乗っている程度。しかし足場などない空中に横たわり、なおかつ何かに体を掴まれている感覚がある状態では実際の高さよりも遥かに高く感じる。ククルゥは思わず息を呑んだ。
「く、クロ師匠? 今わたし、どうなってるんですか?」
やっとの思いで口から出てきたのは現状確認の言葉だ。が、それはあくまで確認。概ね予想は付いている。
「無論、儂がククルゥを持ち上げておる」
果たして、真下から返ってきた答えは予想通りであった。これはつまり、先の問いの答えでもある。
即ち、<魔法使いの腕>は人ひとり程度なら問題なく持ち上げられるということだ。それがクロという魔法使いの技量に依るものである可能性は否定できないが、少なくとも可能ではあるということだけは間違いない。
そう考えている間に少し冷静になったククルゥは、せっかくなので今の状態を分析することにした。
まずはこの<魔法使いの腕>について。現在はちょうど手の平に寝そべっている形だが、その感触は意外と悪くない。柔らかなベッドマットとは言わないが、地面や床に比べると幾分当たりが柔らかい。強いて近い硬さを挙げるならば草原にマントを敷いたとき。野営の中ではマシな寝床と言える程度だろうか。
一方で温度はあまり感じない。冷たくはないが温かいという訳でもない。これは今までに感じたことのない感覚だ。しかし風を遮る効果はあるようで、指の触れていない部分には明らかに風を感じる。
身動ぎしてみたが、腕ごと体を掴んでいる指は小動もしない。その代わりに腕本体もどっしりとした安定感がある。なんとなく森の中で野営したときの樹上泊を思い出した。
腕そのものをよく見てみる。色は、多分ない。無色なのに陰影で手の形が分かる、不思議な質感。人で言えば肌に当たる部分は影がやや濃くて、その内側は薄いように見える。
圧縮した魔力だというから、これはクロの魔力の塊と言い換えてもいいはずだ。つまりあの小さな黒猫の中には、こんな巨大な腕を作って操れるだけの魔力が存在しているということになる。
改めて目の当たりにするととんでもない猫だ。
今の所、分かるのはそのくらいだった。だからククルゥは真下にいるはずの師匠へと声をかける。
「クロ師匠、一旦下ろしていただけますか?」
「よかろう」
スルスルと、音もなく腕の部分が縮んでいく。その部分だけを見れば、巨人が天使を捉えて地上へと拐っているようにも見えた。
ある程度まで降りてくると、ゆっくりと体が傾いていくのを感じる。仰向けから、足を下に直立する方向へ。やがてつま先に地面の感触があり、巨人の指が緩む。ククルゥはもたれ掛かっていた壁から離れる要領で地面へと降り立った。
時間にすれば僅か数十秒か、長くても一分間程度の空中滞在だったにもかかわらず、地面があることにホッとする。人は地面を離れては生きていけないのだ。
ククルゥが振り返ると、そこには今まで自分を捉え、また落下の危険から守っていた巨人の腕が――無かった。
代わりにあったのは昼間に見たものと同じ、一般的な人の腕と同じ程度の大きさになった<魔法使いの腕>だ。当然、根本にはその主たる黒猫が鎮座している。
「どうじゃったかの?」
「突然だったので驚きましたけど、近くでじっくり見られたのはちょっと面白かったです」
「ほう、怖くはなかったか」
「クロ師匠がそんな危険なことさせる筈がありませんから」
にっこりと、裏のない笑顔で言われてしまい、クロは罪悪感に襲われていた。実際、ちょっとした悪戯心――ちょっと、というのはクロの主観である――が含まれていたことは否定できない。普通に考えて裏口を出た瞬間に不意打ちする必要性はなかったのだから。
これを言ったのがマキオであれば、嫌味以外の何物でもないことが明らかだが、どうやらこの少女は本気で信じているらしい。
黒猫は表面上平静を装い、口では「そうか」と短い返事だけを返しつつも、尻尾は落ち着きを失って所在なさげに揺れている。幸か不幸か、ククルゥはそれを照れているのだと解釈したが。
「ま、まあ訓練を真面目にやればいずれこのような使い方もできるという実演じゃ」
「はい! わたし、がんばります!」
どこまでも真っ直ぐに、無自覚に師匠を追い詰めるククルゥであった。
ウソ予告:修行の一環として魔道書の素材を集めにやってきた魔導書屋さんのふたりとククルゥだったが、素材となる魔物はどれも冒険者ギルドでA級以上に指定される凶悪なものばかりで……次回、『動物性素材は下処理が命』お楽しみに。




