第15話 魔法の柄杓
なんだか急に閲覧数が増えていて驚きました。これからも好き勝手書いていきますがよろしくお願いします。
「これは<水生成>の魔道書です」
魔道書の表紙がククルゥに見えるように、左手の魔道書を掲げてマキオは言った。
「ご存知の通り、魔道書には二つの種類があります」
「えっと……そう、なんですか?」
「おや?」
順序立てて話そうとしたらその第一歩で認識に齟齬があった。今の状況を端的に表現するとそういうことになる。
誰でも知っている昔話を始めようと「昔々……」と語り出したら「昔っていつ?」と聞かれたような。
とはいえ、マキオは動揺を外に出すことはない。精々、一瞬だけ怪訝な顔をした程度。しかし、その一瞬でもククルゥが不安を覚えるには十分だったらしい。
「あ、あの……すみません……何も知らなくて……」
「いえいえ、こちらこそすみません。ではそれも含めて説明しますね」
しゅんとしてしまった翼耳族の少女だったが、これに関してはどちらかといえばマキオに非があった。汎用的な魔道具でさえそれなりに高価な、言い換えれば稀少な世の中で、魔道書などというごく限られた用途、需要のものについて知っている方が珍しいのは当然。
魔法学校は存在するが、その入学へのハードルは未だ高く、したがって魔法使いの数も多くはない。金銭面でも資質の面でも、そこに入れるというだけで一種のステータスとなるほどだ。もっとも、設立の背景から学内は実力主義であり、いわゆる裏口入学や権力による横暴などは排除されている。
閑話休題。
結局のところ、魔道書というものはどちらの用途であってもその絶対数が少なく、その希少性は勿論、原価だけを見ても高価にならざるを得ず、さらに需要も領主お抱えの軍か奇矯な魔法使いくらいにしかないとあって市井での認知度は低いのだ。
事実、ククルゥが魔道書を知っていたのも、先輩冒険者に偶々魔法使いがいてその存在を教えてくれたから。魔道書を知っている魔法使いであれば、それに二種類あるというのは常識である為、わざわざ注釈までは付けなかったのだろう。
「改めて、魔道書には大きく二種類があります。一つは魔法を発動する為の魔道具。もう一つは魔法を覚えるための教導書です」
マキオが一旦言葉を切れば、コクコクと真剣なん顔で頷くククルゥ。知識を得ることに前向きな姿勢に思わず緩む頬を自覚しながら、マキオは続ける。
「魔道具としての魔道書はククルゥさんも実際に使いましたね」
「……?……あ! <記憶遡行>の!」
一呼吸ほどの間を置いて声を上げたククルゥの目に理解の色が宿ったのを確認して、マキオは頷いた。
「そうです。そして、教導書としての魔道書は当店でも扱っている商品の一つですね。魔法学校入学前に魔法を勉強する場合は概ねこちらを使います」
因みに値段は教導書の方が少しだけ安いですよ、と付け加えたマキオだったがククルゥの興味はそこにはなかったようだ。
「あの……教導書の方も見せていただくことはできますか!」
未知のものに対する好奇心、或いは魔法を学ぶことへの向上心か。幼さの残る美貌はキラキラと輝かんばかりの双眸に彩られてその魅力を大いに増していた。
マキオにしてみれば少し年の離れた妹ほどの少女だったが、人間というものは内面から滲み出る美しさに抗えないものだ……というのは大袈裟だが、妹弟子のやる気に好感を持ったのは確かである。
「もちろんです。ただ、今は魔力放出の方を先に進めましょう」
「あ、そうでした」
色よい返事をしながらも、本題から逸れないよう軌道修正も忘れない。ククルゥもハッと気づいた様子でキリリと表情を引き締める。
「結構。さて、この<水生成>の魔道書は二種類のどちらでしょう?」
「魔道具です」
「そうです。これに魔力を通すと、水が生まれます。実際にやってみましょう」
狙い通りに当意即妙の答えを返すククルゥに目を細め――最初から細いが――マキオが魔道書を開いて魔力を通すと、パラパラと軽い音と共にひとりでに頁が捲られ、記された複数の魔法陣が淡く光を放ちながら起動する。
続いて魔道書の上、虚空に魔法陣が浮かび上がり、そこから勢いよく水が噴き出した。無から有を生み出しているようにしか見えないその光景は正しく「魔法」であるが、ここに日本出身の者がいればちょっとした水芸に見えたかもしれない。
噴き出した水は既に井戸水で満ちたタライの上に降り注ぎ、ジョボジョボと音を立ててはタライから溢れ出していたが、ある瞬間にきっぱりと止まった。不思議なことに、それだけの水量を生み出しても魔道書には一滴の染みもできていない。
「<水生成>は非常に便利な魔法です。冒険者をしているククルゥさんに水を確保する重要性を説く必要はないでしょう」
「はい。これが使えるなら間違いなく野営が楽になります。水場の確保は常に課題となりますから」
真剣に頷くククルゥの言葉には実感がこもっている。冒険者に人気の魔道具と言えば発火石、湧水筒、照明棒の三種。中でも湧水筒は確実な飲用水の確保という点で非常に高い評価を受け続けている。
「そうですね。野営は勿論、長期の探索などでも水の確保は大切です。さて、ではもう一冊」
宣言して、マキオは右手に新たな魔道書を取り出した。その表紙に書かれた文字は
「<水生成・盃>?」
先に見たものに、僅かに文言が付け加えられたもの。一体何が違うというのか。魔道書に馴染みのないククルゥには判断がつかない。
「こちらは先程お見せした<水生成>の派生……正確に言えば調整版です。ククルゥさん、ちょっとこれを持っていていただけますか?」
そう言うと、マキオは魔道書を脇に挟み、まだチョロチョロと水が溢れているタライの中から柄杓を取り出してククルゥへ手渡し、それを動かさないように指示する。
言われた通りに柄杓の合の部分をマキオに向けて、ククルゥは次の動きを待った。
「ではいきますね」
短く告げて、マキオは<水生成・盃>に魔力を通した。開いた魔道書の上に魔法陣が浮かび、そこから水が生み出される。まるで数十秒前の光景の焼き直しだが、その水の行方はタライではなく柄杓。
この小さな受け皿では生み出される水の殆どが零れ落ちてしまうのではないか、というククルゥの心配は杞憂に終わる。
何故なら噴き出した水はちょうど柄杓を満たす程度、即ち一般的なカップ一杯程度の量ですぐに止まったからだ。
「あれ、さっきよりも随分少ないですね」
「はい、そのように調整しましたから」
「調整?」
「ええ。魔道書の融通が利かない部分でして」
小さく嘆息してみせるのは、本当に困っているというよりもそういうポーズだ。
マキオは先に取り出していたものと併せて二冊の魔道書をそれぞれの手に持ち、改めて表紙を見せる。
「これらはどちらも水を生み出すための魔道書と言えます。では何故、生成量を変えているのだと思いますか?」
マキオはこの授業――修行とは考えていない――では積極的に質疑応答の形を取ると決めていた。
質問をされると、殆どの人間は反射的にその答えを探そうとする。それは既に知っている情報を精査し、理論的に推測を立てることで問題解決を図ろうとする本能的なものかもしれないが、その積み重ねこそが思考する癖を付け、物事を読み解く力になるのだ。
生徒の少女は暫し魔道書を見比べて思案していたが、やがて何かを思いついた様子で兄弟子に視線を定めた。
「用途が違うから、だと思います」
「その根拠は?」
「えっと、例えば一人で野営していて、水が飲みたいときに毎回タライ一杯の水を出しても無駄になります。大きな容器に溜めておけるなら別ですけど、前提としてそんな大荷物を持っているとは思えません。だから量を変える必要があるんだと思いました。それに、マキオさんは『魔道書は融通が利かない』とも言っていました。多分、一冊の魔道書では違う量の水を出すことができないのではないでしょうか」
どうでしょう? と兄弟子を見上げる妹弟子は、自信八割、不安二割といった面持ちで答えを待つ。
「素晴らしい! 完璧な答えです。魔道書に限らず、魔道具で魔法を使う場合は『使用者が消費する魔力』そして『発動する魔法の規模』は必ず一定になります。例えば<水生成・盃>に大量の魔力を注いでも、一回の発動に必要な魔力量とそれで生成される水の量は変わらないということですね」
大きく首肯しながら、マキオは二冊の魔道書をククルゥへと差し出す。咄嗟に受け取ろうとしたククルゥだったが、はたと動きを止めた。水の入った柄杓をどうすべきか迷ったのである。
ちら、とマキオを見れば苦笑しつつ魔道書を重ねて二冊とも右手に保持し、空いた左手をククルゥへ伸ばしていた。ククルゥはぺこりと小さく頭を下げて柄杓と魔道書を交換する。
受け取った魔道書をしげしげと眺めて、再びマキオを見る。
「ここからが本題です。先ほど、『魔道具で消費する魔力は一定』と言いましたね?」
「はい」
「魔法使いがタライなら、魔道具は何にあたりますか?」
ここまでで、ククルゥはこれから何をするのかをおおよそ察した。興奮で耳がピンと立つのを自覚しながら、勢い込んで答える。
「柄杓……魔道書で魔法を使って、感覚を覚えるんですね!」
「はい。地道な訓練ですが、繰り返すことで『自分の魔力総量』と『一定の魔力を放出する感覚』の二つを同時に理解できるはずです」
よくできました、と手を叩こうとして柄杓を持ったままだったことに気が付き、水が跳ねないよう屈んでからそれを再びタライへと沈めつつマキオは訓練の主目的を伝えた。
立ち上がってククルゥを見れば、二冊の魔道書を胸に抱いてやる気に満ち溢れた目を輝かせている。
「早速やってみたいです!」
「ええ、勿論です。ですが、ただ水を出して無為に地面に吸わせても勿体ないので」
散歩待ちの小型犬を連想させるその姿に微笑ましさを感じながら、右手に新たな魔道書を取り出し、さらにそれを開いて魔法陣を起動。本の中から大型の水瓶を取り出す。
「出した水はここに溜めましょう」
「分かりました!」
ドン、と重い音を立てて地面に置かれた水瓶はマキオの腰ほどの高さ、口の広さは成人男性が楽に中に入れるほどだが、中央辺りで大きく膨らんだ蕪のような形なので実際に入る水の量はかなりのものだろう。
「では始めましょうか。<水生成・盃>と<水生成>を交互に使ってください。これはあくまでも魔力放出の感覚を掴む練習ですから、魔道書に吸われる魔力量をしっかり意識してくださいね」
「はい!」
いよいよ訓練の開始とあって、気合十分といった返事をしたククルゥは、少し迷ってから左脇に<水生成>の魔道書を挟み、左手に持った<水生成・盃>の魔道書を開いた。
やや緊張しているのか軽く唇を結び、右手を魔道書にかざす。
「いきます!」
宣言は力強く、しかし体からは力を抜いて目を閉じ、魔力の感覚に集中する。目を閉じていても感じられる昼過ぎの強い陽光が瞼の裏を赤く染める中、ククルゥは体の中心へと意識を向けた。
形のないものを他の物に置き換えてイメージする、という手法は魔法使いの常套手段である。見立て、見做しとも呼ばれるそれは、魔力の扱いは勿論のこと、通常では起こり得ない現象――例えば本の中に水瓶をしまうだとか――を引き起こす為にも必要なことだ。これができるかどうかで魔法を発動させられるかの明暗が分かれると言っても過言ではない。
その見做しを、ククルゥは自然に覚えた。何しろタライと水である。これまでの、まだそう長くない人生でも幾度となく使ってきた経験がある物だ。魔力を放出する感覚に驚いて一度失敗したとはいえ、比較的簡単にイメージできる。
そして今、ククルゥは自分というタライに外から柄杓を向けている。魔道書という形の、魔力専用の柄杓だ。幸いなことにタライには大量の水が入っている。一度や二度と言わず何度でも汲み出せるだろう。
そっと柄杓を差し入れる。魔力は溢れることなく揺蕩っている。
静かに柄杓を持ち上げる。魔力が少し減ったが、まだまだ余力がある。
と、柄杓に汲んだ魔力がどこかへ吸い込まれていくのを感じるのとほぼ同時に聞こえたチョロチョロという水音で、ククルゥの意識は外の世界へ戻ってきた。
「どうでしょうか、魔力の感覚はきちんと感じられましたか?」
「はい……」
「ククルゥさん?」
マキオに声をかけられると、どこかぼんやりした様子でククルゥは答えた。微睡みの中にいるように半分伏せられた目はどこかを見ているようでどこも見ておらず、マキオが顔を覗き込んでも反応がなく、右手も魔道書の上にかざされたままだが、魔力は放出されていない。魔法の初心者によく見られる状態だ。
「ククルゥさん!」
「は、はい!」
珍しく大きな声を出して再度マキオが呼びかけると、ククルゥは授業中の居眠りを咎められた生徒のごとく急速に意識を覚醒させた。伸び上がった拍子に小脇に抱えたもう一冊を落とさなかったのは僥倖だろう。
「ああ、戻ってきましたね」
「え? あ、はい……?」
意識はハッキリしたものの、未だ状況を完全に把握しきれていないククルゥは曖昧にしか返答できない。
魔道書を使うために魔力を引き出そうとして、上手く柄杓で汲み出せて、それから――? と考えているところで、マキオが離れた。
「ククルゥさんの場合、まだ魔力を扱うのに慣れていませんからね。過集中になっても仕方ありません」
「過集中……」
「魔力の操作に集中しすぎて他のことができなくなる状態です。戻ってこられないことは稀ですが、魔法を使う度に朦朧としていては支障が出ますから、いずれは対策しましょう」
過集中、それは魔力を知覚した魔法使いの卵が最初に破るべき殻である。
自らの中にあるとはいえ魔力に形はなく、それを感じるのはただ己の感覚のみ。まして魔法を使うともなれば五感を封じて絵を描くようなものであり、自然、極度の集中を強いられ肉体は無意識に外界との接触を絶ってしまうのだ。結果として意識の混濁や喪失といった状態に陥ってしまう。
安全な場所で単純な魔法を使うだけであればそれでも問題はないのだが、例えば冒険者として活動する場合や高度な魔法を使用する場合、外界の情報を排除してしまうと術者自身や周囲を危険に晒すことになるのは自明である。
一人前の魔法使いとなるには魔力の知覚、放出といった基本的な操作は手足を動かすように自然にできる必要があるのだ。
今回、ククルゥは魔道書を使用することで魔法の構築という最も難しい段階を免除されていたとはいえ、魔力の感知と能動的な使用というだけでもごく一部の、才能持つ者にのみ許された特殊技能であることを忘れてはならない。
ククルゥのように事前の知識も訓練もなしに感覚だけで行えてしまう方がむしろ異常なのだ。
「次は<水生成>に挑戦する予定でしたが……やれますか?」
「……大丈夫です!」
もっとも、マキオはクロという規格外の師匠の基準で鍛えられ、ククルゥは魔法というものについて殆ど知識がないという状態の為、残念ながらここにその異常性を指摘できる者はいなかった。
こと魔法の訓練において、黒猫印の魔導書屋さんには常識知らずしかいないのである。
この後もストッパーのいない訓練は続き、ククルゥはその度に過集中の状態となったが、日が暮れる前には水瓶の半分ほどまで水を溜め、
「ククルゥさん、今日はこの辺にしましょう。そろそろ夕飯の支度をしなくてはいけませんから」
「はい、ありがとうございました!」
「今日の訓練はいかがでしたか?」
「なんとなくですけど、柄杓の大きさが違うなっていうのは分かった気がします」
感覚的にではあるが、消費魔力の違いが分かるようにすらなったのだった。
ウソ予告:異常な成長を見せるククルゥに違和感を覚えるクロはその秘密を探るべく密林の奥地へと飛んだ。ククルゥの生まれ故郷、そして消えたカステラの行方に隠された驚愕の真実とは……!次回、『食べられたくないものには名前を書いておけ』お楽しみに。




