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第12話 魔法入門③

自他共認める凄い能力を持ってるのにポンコツな人に惹かれます。ただしリアルでは非常に困る。

「<快癒>」


 小さく、それでいてはっきりと聞こえる声で唱えられたのは回復魔法だ。柔らかな光が干からびたミミズのように横たわるマキオを包み込む。

 生ける屍(リビングデッド)と見分けがつかないほどになってしまった哀れな弟子に贈る、師匠からの慈悲である。


「師匠、今絶対ロクなこと考えてないでしょう」

「なんのことじゃ?」


 生気を取り戻した哀れな弟子ことマキオからのジト目を受け流してすっとぼける黒猫。

 こういうとき、猫の体は便利だ。人と比べて表情を読まれづらい――


「とか考えてるんでしょうけど、バレバレですからね」

「にゃ、にゃにをこんきょに……」

「何年一緒にいると思ってるんですか。そのくらい分かりますよ」


 一言一句違わずに内心を言い当てられたことに動揺して若干滑舌が怪しくなる黒猫を、なおもジト目で捉えながら、マキオは体を起こした。師匠直々の回復魔法でこの数日に蓄積した疲労や不調は残らず治っている。

 人をくったような態度やからかい好きな性格に困らされることは多いが、魔法の腕はやはり一級品だ、と改めて師匠の偉大さを噛みしめる。調子に乗るので本人には絶対に言わないが――


「とか考えておるのじゃろ!」

「いえ、全然違いますが」


 意趣返しとばかりにやり返す黒猫だったが、マキオの返答はつれないものだった。実際の所どう思っているかは本人のみぞ知る、というやつだ。

 そんな一幕を挟みつつ、一行は本拠地こと魔導書屋店舗兼マキオの自宅へと帰ってきた。無論のこと、昼食の為である。


「さあククルゥ、ここからはいよいよ魔法の修行らしくなるぞ!」

「え……あ、はいっ!」


 厨房に入った途端、振り返ったクロにそう言われて、ククルゥは反射的に背筋を伸ばして返事をする。ここ数日の修行と言えばひたすらに走り込み、疲れ果てたら瞑想、というシンプルなものだった為、屋内の、しかも毎日使ってきた場所で修行の話が出るとは思っていなかった。タイミングが昼食時というのもあって、完全に油断していたのだ。

 ククルゥは自戒する。何をしにここに来たのか、自分は何の為にここに置いてもらっているのか。忘れてはいけない。

 そんな生真面目さがはっきりと浮かぶ二番弟子の様子に、黒猫師匠はくつくつと喉を鳴らす。


「そう固くならんで良いぞ。魔法の修行らしくなるとは言ったが、やることは昼食の支度に違いないからの」


 気楽な調子でそれだけ言うと、「付いて来い」と態度で示して厨房の奥へと足を進めた。

 この厨房も、風呂場と同じく現代日本の常識にのっとった基準で作られたものである。その基準の高さは言うまでもなく、各種設備の配置だけでも合理性に溢れ、置かれた魔道具の便利さは一般家庭では望むべくもないことは既に幾度となく使用しているククルゥも知っている。

 だが、そんな中に一箇所だけ、合理性とはかけ離れた旧式の設備があった。


「今日の訓練はこれを使う」


 そう言ってクロが立ち止まったのは、訓練初日の朝にも使っていた竈の前だ。今は完全に火を落とされ、灰の中に火種用の炭すら埋まっていない――どころかそもそも灰そのものがなかった。どうやらわざわざ掃除をしたらしい。いつの間に、誰が、とはククルゥも既に考えない。その答えは決まりきっているからだ。

 そしてその設備を使っていたのは、覚えている限り一度だけ。つまりこれからするのは。


「火起こし、ですか?」

「ほう……良いぞククルゥ。その察しの良さは実に良い」


 そう答えれば、満足げな師匠が肩に飛び乗って来る。ふわりと音もなく、重さすら感じさせない着地から間髪入れず、お褒めの言葉と一緒にさらさらとした尻尾が自慢の耳をくすぐって、その感触にククルゥは小さく笑い声を漏らす。川原でのことといい、ちょっとしたスキンシップは師匠が褒めるときの癖らしい。

 魔法の修行を始めてからというもの、食事の用意には必ずククルゥが入っていた。クロとマキオは一日ごとの交代制らしく、両者とも料理の腕はそれなり、少なくとも食事に不満が出ることはない程度であることが分かっている。ククルゥ自身も冒険者稼業に加え、長く一人暮らしをしている為、最低限の自炊は当然、少なくとも冒険者仲間からは好評を博す程度にはできる。食事というのは冒険者にとって仕事中の数少ない楽しみでもあり、無理のない範囲でそこにこだわるのは必然とも言えた。

 そんな訳で火起こしも調理も、最低限の道具さえあればできるククルゥは修行を付けてもらう対価――と言うにはささやかながら、せめて食事当番くらいは一番下っ端である自分がしようと思っていたのだが、前述の通り過剰なまでに整った環境ではそのサバイバル技術を活かす場面は殆どなく、それ故に初日の朝に見た光景は、過去の記憶と相まって非常に印象的に残っていたのである。


「そういえば、どうして最初の朝だけ竈を使っていたんですか?」

「ん、なに、大した理由ではない。ちょっと灰が欲しかっただけじゃよ」


 ちょっとした興味から尋ねてみたが、師匠からは当たり障りのない答えが返るのみだった。嘘はついていないようだが隠し事の気配はする、と()は訴えていたが、ひょっとしたら魔法の触媒にでも使うつもりなのかもしれないし、師弟とはいってもまだ新入りの自分には明かせない秘密の用途があるのかもしれない、と考えて、今追求することではないとククルゥは判断する。


「さて、察しの良いククルゥならもう分かっていると思うが、念の為説明しておくぞ。これからするのは火起こし。ただし、その為に使ってよいのは当然――」

「魔法のみ……ですね!」


 クロからの出題に、打てば響くククルゥの答え。百点満点の回答に加えて気合を入れているのか、ぐっ、と体の前で両拳を握る姿の可愛らしさにクロ師匠もご満悦である。このところ、修行以外でもこの少女と言葉をかわす機会は多かったが、概ねこのように気持ちよく会話が進むので、クロとしても非常に気分が良いのだった。


「うむ! 本来なら魔力を自覚できるようになったばかりのヒヨッコには座学でもさせるところじゃが、お主の場合は既に一度……いや、二度か? ともかく魔力操作の感覚を掴んでおる。故に、段階を飛ばしてはおるが感覚的に覚えさせるのが良いと判断した」

「魔力操作の感覚……あの、『ぎゅーっ』として『ぽかぽか』するやつですか?」

「感覚は人それぞれじゃが……先刻儂が魔力を散らす直前までそう感じていたのなら、ククルゥにとってはそうなのじゃろうな」


 同じ物を見てもそれに対する印象や感想が異なるように、魔力の感じ方は個人の主観による所が大きい。ただし、それでは情報のやり取りに不便な為、魔法使い同士では魔力に対する表現をその大きさや密度に限定することである程度共通化しているのだ。

 そう黒猫から補足説明が入ると、ククルゥは小さく首を傾げる。


「あれ、じゃあわたしの言い方ってあまり良くないんでしょうか……?」

「いや、そうでもない。言うた通り、感じ方は人それぞれ、人に説明するならともかく、魔法を習得するときには自分の分かりやすいように理解するのが一番じゃ」


 クロからの回答にホッと胸をなでおろす思いのククルゥである。


「そら、あまり長話をしておると昼食が遅くなる。始めるぞ」

「はいっ!」

「まずは手本を見せよう。薪を組む所までは普通の火起こしと同じじゃ」


 そんなククルゥをよそに、ひらりと肩から飛び降りて竈の前へと移動した黒猫は竈の横に積まれている薪に向けて()()()()()()。前足ではない。背中からにゅるりと現れたそれは、紛れもなく人の手だ。ただしそれが人の物だと分かるのは先端部分の形だけであり、透明なそれの手首から下、本来なら肘や肩に繋がるべき腕部分は蛇の如くその身をくねらせていた。

 ククルゥの口から驚きが溢れる。


「く、クロ師匠! なんですかそれ、魔法ですか!?」

「うん? 今までもずっと使っておった……ああ、そうか今日まで見えとらんかったのじゃったな」


 振り返ったクロは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに得心がいった様子で薪を持ったままの()を自身の尻尾のようにふりふりと振ってみせた。


「密度の高い魔力は物質に影響を及ぼす。その状態で魔力を操作すればこういうことも可能になる訳じゃ。単なる魔力操作の応用じゃが、まあこれもそのうち教えてやろう」


 言われて、ククルゥは気が付いた。ここ数日は自分が手伝っていた食事当番だが、魔導書屋店主とその師匠が一日ごとの交代制なのは普段から。とすれば黒猫が担当の日は当然一人でやっていたに違いない。てっきりその都度人に戻っていたものかと思っていたが、それならば自分と一緒に調理をするときに戻らない理由がない。さらに言えば、黒猫がいつの間にか下ごしらえや道具の準備を済ませてくれていたこともあった。こうして振り返れば気付かなかったのが不思議なほどだ。

 などとククルゥが高速で思考する間にも、ヒョイヒョイと一本だけとは思えないほど素早く、そして正確に動く()が竈の中に薪を組んでいく。完成したのは焚付用の枝や細く割られた薪でできた小さな山の周りを井桁に組んだ太い薪が囲う、火力重視ではあるがオーソドックスな組み方。


「さて、ここに火を付ける訳じゃが……手順だけ言うならば魔力を集めて、火に変換して終わりじゃ」


 さも何でも無いことのように言ってのける黒猫だが、ことはそう簡単ではない。

 魔力を集める。ここまでは今のククルゥならばできる。だが、それを火に変換となると、もうどうしていいか分からないのだ。


「クロ師匠……」

「そう不安そうな顔をするでない。ちゃんと教えるわい」


 非常に分かりやすく垂れ下がった耳と眉がその内心を伝えてくる素直な二番弟子を安心させるべく、クロは笑ってみせた。


「ククルゥ、お主の魔法使いとしての強みは二つある。一つは魔力量の多さ」


 そう言って透明な手の人差し指をピンと立てたところで一度言葉を切り、黒猫は少女の反応を見る。真剣な目がその指に注がれているのを確認すると、クロは続けて二本目の指も立てた。


「もう一つはその魔力を視る目じゃ」

「……?」


 言われた少女は今ひとつピンときていないようで、小首を傾げている。それを見た黒猫がふむ、と考え込むような仕草を見せると頭の上で三角形の耳が片方ぴこぴこと動く。ククルゥの目はついついそれを追ってしまいゆらゆらと揺れた。


「ううむ、なんと説明したものか……とりあえずやってみせるから見ておるがよい」


 あっさりと考えることを放棄したクロは竈へと向き直ると、ふう、と息を吹きかけるようにして組み上げた薪の中心に小さな小さな魔力の塊を飛ばした。枝と枝の隙間を抜けるように――実際にはすり抜けているのだが――飛んだその弾は焚付用に積まれた小枝の山の中でピタリと止まると、徐々にその大きさを増していく。その様子はククルゥの目にもはっきりと見えていた。

 そうして膨らんでいた魔力が一瞬で凝縮されたかと思うと、次の瞬間には小さな炎が生まれて、薪の表面を舐め始める。


「とまあ、こんな感じじゃ」

「は、はい」


 最初に宣言した通りではあるが、本当に薪に火を付けるだけというその光景はあまりにも普通で、ククルゥはこれが魔法の訓練ということを忘れてしまいそうになった。

 だが、もしもここに魔力を見ることのできない者がいたならば、息を吹きかけられた薪が突然着火されたようにしか見えなかったはずだ。なんの訓練もなしに魔力が見える、というのは実際かなり貴重な才能なのである。

 目論見通りではあるが、全ての行程を完全に目で追っていたらしいククルゥの様子を見た黒猫は、思いついたように笑みを浮かべた。


「そうじゃな、ククルゥもやってみるがよい」

「えっ……は、はい」


 焚付用の細い薪から炎が育ち切る前に、魔力の手で握りつぶすように炎を消したクロはククルゥに場所を譲るように横に動いた。

 代わって竈の前に立つククルゥは僅かに逡巡した後、集中する為に目を瞑り、今しがた目にした魔力の動きを思い出す。十年前、そしてまだ記憶に新しい川原での感覚を呼び起こしていく中で、無意識に右手を竈に向けていた。

 その手の先、ほんの数センチ先に手のひらサイズの球体が生み出されていく。常人には見えないそれは外側から圧力をかけられているようにじわじわと縮んでいき、豆粒ほどの大きさになったところで大きさの変化が止まった。

 同時に、閉じられていたククルゥの目が薄く開かれ、竈の中の薪を見据える。そこだけ切り取ればやや幼さを残す美貌と相まって、どこか宗教画のような神々しささえ感じるような立ち姿だ。

 まあ、実際立っているのは台所の竈の前だが。


「えいっ!」


 さらに雰囲気を台無しにする可愛らしい掛け声と共に、ククルゥはその魔力弾(豆粒サイズ)を竈に向けて放った。そしてそれが薪に着弾するかと思われた瞬間――


「ほい」


 黒猫のインターセプトが決まった。魔力の手が魔力弾を掴み取る。のみならず、そのまま手の中で消してしまった。


「ええっ!?」


 意外な行動に出た師匠に向けて、思わず非難がましい目が向いてしまったのも無理のない話だったが、当のクロは平然と、むしろ少しがっかりしたようにククルゥを見る。


「ククルゥ……お主、台所を吹き飛ばす気か?」


 溜息まじりにそう告げられても、ククルゥにはなんのことか分からなかった。

 困惑と不安の混じったその表情を読んだのか、再度溜息を吐いた黒猫はちょいちょいと前足で少女を招く。おずおずと前に進み出たククルゥの額に、コツン、と何かが当たった。


「あいたっ……?」


 足元にいる師匠に気を取られて何かにぶつかってしまったかと反射的におでこを抑えつつ周りを見ても、頭がぶつかるような位置に物はなく、何かが飛んできたにしてもその何かは見当たらない。不思議ではあったが諦めてクロへと視線を戻す途中、黒猫の背中から生えた透明な手が、曲げた中指の先を親指で抑えている――いわゆる「デコピン」の形になっているのが目に入った。

 そして次の瞬間、中指が解放されてククルゥの額に再び小さな衝撃が走る。ただし今度はククルゥにも何が起きたかが見えた。透明な手がデコピンで魔力弾を飛ばしたのだ。


「今のをずっと強くするとお主がやろうとしたことになる」


 デコピンを放った透明な手を揺らめかせながら、やや呆れたような顔で黒猫が言った。

 ククルゥは両手で額を抑えたまま黒猫の言葉を吟味する内に、事の重大さに気が付いた。つまりは十年前と同じ過ちを繰り返すところだったということだ。


「あ……あの、わた、わたし……そんなつもりじゃなくて……」

「大丈夫ですよ、ククルゥさん。今のはちゃんと教えなかった師匠が悪いです」


 顔を青褪めさせるククルゥの背後から、のほほんとした声がかかる。振り返ったククルゥの視線の先には、やはりのほほんとした顔のマキオが立っていた。


「師匠? 最初はやってみせるところまで、それからイメージを強くする訓練、実際にやらせるのはもう少し先で、とちゃんと指導計画を立てた筈ですよね?」

「い、いや……その……」


 違った。のほほんとして見えたが黒猫に詰め寄る目の奥が笑っていない。つかつかと台所へ入ってきたマキオはククルゥの横を通り過ぎてクロの前へと足を進めると、首の後をむんずと摘み上げて顔の高さまで持ち上げた。

 気まずげに目を背ける黒猫。しかしマキオのターンは終わらない。お説教続行である。


「なんで勝手に進めたんですか?」

「い、いやほら……ククルゥは実際天才じゃろ。完璧に見えとったみたいじゃし」

「それで?」

「見えてたなら真似できるかなーって」


 師匠のあまりにも酷い言い訳に盛大な溜息を吐いて、眉間にシワを寄せたマキオは静かに告げる。


「そんな訳がないでしょ。師匠じゃあるまいし」

「わ、儂ってば大天才じゃからなー」

「ええ、天災ですとも。普通ならそれなりに才能があったはずの魔法使いの自信をバキバキにへし折って芽を摘んでいく大天災ですよね」

「字が違うじゃろ絶対!」


 昼時の台所に黒猫の抗議が響いたが、擁護する声は上がらなかった。

ウソ予告:才能とは一種の麻薬である。ククルゥのずば抜けた才能に魅せられたクロはやがて少女に耽溺していく。咲き誇る百合のごとく清らかで美しい世界を目指して。次回、『暴走特急クロ、百合園行き』お楽しみに。

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