物語の始まり V
「おとーさーん!見て見て!理科のテスト満点だったよ!」
「おお!偉いなぁ紗希は。こりゃうかうかしてたら父さんなんてすぐ追い越されちゃうかもな!」
10年前。私が9歳の時のこと。あの家には、ごく普通の一家団欒の姿があった。
「あら、なら今日はご馳走にしなきゃね。」
自慢する私、それを褒める父、横から眺める母。私は毎日が幸せだった。
でもそんな日常は突如として崩れる。
「…紗…希…」
「お父さん!なんで⁈どうして血が止まらないの!?」
学校から帰った私の目に映ったのは、血まみれで倒れた父と、お腹から血を流し壁際に座り込んでいる母の姿だった。
「…逃げなさい紗希。お母さんとお父さんはもう、一緒にいられそうにないから…」
息を切らしながら母は私に告げる。
突如後ろから誰かに抱えられる。知らない人だった。
「…本当にいいんだな?」
知らないおじさんは父と母に確認する。
返事はなかった。
「離して!いや、イヤァァ!」
そのまま私は連れ出され、その家を後にした。
「…おじさんは私の父の元研究仲間だったそうです。そこで聞きました。私の父のことを。」
曰く、父はこの薬を何個か作ってその研究を行い国から研究資金を受け取ろうとしていたが、ある時その研究がヤクザに見つかり取引を持ちかけられたらしい。それを拒み続けた結果父は殺されたのだと。
紗希はうつむきながら話す。
「後でおじさんが研究施設に向かった時にはもうハイビーストは全て持っていかれていたそうです…私が持っているこれはおじさんがガンでなくなる間際に私に託したものです。唯一の、父の形見です。」
紗希は再び薬を握りこむ。
「警察には行かなかったのか?」
クロが問う。知り合いや家族が殺されて警察に通報しないのが疑問だったからだ。
「それが父からおじさんへのお願いだったそうです。ヤクザと関わった事があるなんて噂が私の周りに流れたら私に害が及ぶかもしれないからと。そこまで私の事が大切なら、どうしていなくなったんでしょうね…」
紗希の目から涙が零れ落ちる。
「これだって本当なら奪われる前に壊すべきだとは思います。でもこれは、父との繋がりなんです。壊したくない!」
紗希は懇願するようにぎゅっと固まる。
その時だった。
「それは出来ん。薬は、それで最後だ。」
夜中の公園に声が響く。クロやアクルス、ヒカドラではない。
公園の電灯の上、そこには影があった。影は脚を踏み込み、左手を鎌に変え紗希に一直線に向かう。
「その薬、貰い受ける!」
しかし踏み込んだ人影は、薬に届きはしなかった。脚を何かに掴まれている。
それは、水だった。
「…さっきは不覚を取ったがよぉ、よく考えたらお互い人じゃないなら手加減はしなくていいよなぁ!」
アクルスが叫ぶ。アクルスの周りでは、水が土の上で踊っていた。
「っ!」
人影はすぐさま鎌で自らの足を切り、アクルスの包囲を抜ける。
それと同時に人影は影ではなくなっていた。そこに映ったのは、普通の人。比喩ではなく、ただ人を描けと言われれば誰もが描きそうなくらい特徴のない人だった。
否。
(…なんだよありゃあ。目の前で見てるはずなのに、目を離したら存在を忘れそうだ。)
特徴がない、という特徴。それにアクルスはなんとも言えない不快感を覚える。それ以上に存在も希薄だった。
「…お前は先に潰す。」
アクルスの前にいるそれは切断した足を再生させた。そして両手がモニョモニョと動き、武器のようなものを形成する。今度は鎌ではなかった。
形成されたものがアクルスに振り下ろされる。
アクルスが後ろに下がり回避すると轟音が辺りを包み公園に小さなクレーターが刻まれた。
「…モーニングスターとは面白いもん作るじゃねぇか。」
アクルスは武器の造詣に感心しながら、ふと周りに意識を向ける。
(……ん?あいつらどこいった?)