物語の始まり III
「…ですからね…」
もぐもぐ。
「あの人は…」
もぐもぐ。
「食ってからでいいよ」
カレーを食べる手を止めない紗希にクロは呆れる。
「ではお言葉に甘えて…」
もぐもぐもぐもぐ…
「ご馳走さまでした」
「お粗末様です」
紗希はひとしきりカレーを食べきり、改めてクロ達に自分の考えを話した。
「つまりこういうことか。あんたは田中太郎に二回命を助けられたことがあって、その時に話し方とか雰囲気が同じように感じたから田中太郎は一人だと考えた。そんで礼が言いたくて俺たちに依頼しようとしたと」
クロはあごに手をやり考え込む。
(複数人って線は消えてねぇな…でもあながち言ってることがたわごとかと言われればそうでもない気がする…それよりもアクルスのアニキの話が気になるな…)
アクルスによれば、紗希は黒服を着たチンピラに襲われていたらしい。そこをたまたま通りがかったアクルス…"マコト"が助けた。
クロは今回の依頼とそれが無関係とは思えなかった。
(田中太郎に謎のチンピラに神奈川紗希…)
クロは腕を抱え悩む。
「…なぁアニキ、今でもこの依頼やめるべきと思ってる?」
クロは確認するようにヒカドラ…ヒカルの方を見る。
「聞くまでもないだろう」
ヒカドラはため息をつき、外を向いた。
「…なぁ紗希さん、あんたの依頼、受けるが一つ聞かなきゃいけない事がある。まぁ絶対そうなるとは限らねぇしあくまでも意思確認みたいなもんだ。」
クロは真剣な目になる。
「…何ですか?」
紗希は緊張から唾を飲む。
「…田中太郎は生かして連れて来なきゃダメか?」
5月某日、その夜中、クロとアクルスは街中を歩いていた。
「結局生かして連れてくるのが前提かぁ。もし田中太郎って奴が俺らみたいなのだったらきついんじゃねえの?」
アクルスはクロに意識を向けつつ周囲を見回す。
「かもしれねぇけどアニキ、そもそも俺ら今まで人殺しなんてしたことねぇじゃん。まぁ意思疎通ができるなら大丈夫だと信じるしかねぇよ」
クロも一緒に周囲を見る。
彼らは田中太郎が現れそうな"トラブル"がどこかで起きていないかパトロールしていた。現状ではそこ以外の手がかりがなく、人相もあてにはならない。とにかく手当たり次第に街を探す、それが二人の方針だった。おかげですでに数人のチンピラが彼らの餌食となり、何人かの一般人が救われていた。
「…っと、あれは?」
クロが指差す先の路地裏にはひとりの中年男性とそれを取り囲む複数の男たち。
「…カツアゲか?にしちゃあ妙だが…」
アクルスは首を傾げながらも、
「まぁほっとくのもあれだし、様子みて田中太郎が現れなさそうなら何とかするか」
と言い、二人は現場近くの物陰へ隠れた。
「…や、やめてください…!」
「うるせえ!いいから出すもん出せっつってんだよ!」
いかつい風貌の男が中年男性の胸ぐらを掴む。
「し、知らないよぉ!」
中年男性が恐怖に顔を強張らせたその時だった。
「…見つけたぞ…」
胸ぐらを掴んでいた男の後ろには、人影が一つ。一つしかなかった。
「…あぁ、誰だてめ」
バン!
男は路地裏の奥のゴミ捨て場に吹き飛ぶ。
人影が男をひっぱたいた。ただ、それだけで。
「さて…」
「ひっ…」
「…遅かったか…」
人影は中年男性を一瞥すると、ため息をついて左手を振り上げる。そして勢いよくその手を振り下ろした。
中年男性の頭が割れる…
「…おいおい。俺たちが探してんのはまがりなりにもヒーローじゃねえのか?こいつは殺人鬼に見えんだけどよ?」
ことはなく、アクルスが振り下ろされた左手を腕で受け止めていた。
「!!」
人影はすぐさまアクルスと距離を取る。
「…邪魔をするな…ぞ」
「やだね!人殺しなんざ俺たちの目の前でさせるか!」
アクルスは拳を構える。
「いいからどけ!被害がでかくなるぞ!」
人影が叫んだすぐ後、中年男性がアクルスに飛びかかる。
その姿はまさに獣だった。犬歯は大きく伸び牙となり、爪も伸び、瞳孔は開いている。
「危ねぇ!」
アクルスの背にクロが立ちその襲撃を抑える。
「チッ、どうなってやがる!?」
アクルスは後ろに意識を向ける。
(どう見ても普通じゃねぇ。なんかクスリでも決めてんのか…?)
アクルスが思考した一瞬の隙に、人影が前に飛び出す。
「どけ!」
人影は怒号をあげアクルスの脇を通り抜ける。
「!?しまった!」
アクルスがすぐさま後ろを振り向くと同時、人影の左手が鎌のようになり、獣を切りつける。
「GYAAA‼︎」
獣はそれに反応し即座に飛び退く。人影の鎌は皮膚を切りつけた程度だった。
「チッ…」
人影は舌打ちをする。それは仕留め損ねたことに対してか、それともクロとアクルスに対してか。
このままではおそらく勝てないと判断したのだろう、獣は後ろに向かって飛び跳ねその場を離れようとする。
「まぁそうするよなぁ!」
「GAA‼︎」
高さ5メートルはあろうかという獣のジャンプに対し、そのさらに上から先回りしたクロの足が振り下ろされる。獣は地面に叩きつけられ気絶した。
「なっ…」
人影は驚愕する。明らかに人が跳べる高さではない。
「…そうか。おまえら…」
しかしすぐさま状況を理解する。なぜならば、彼も同じだからだ。
「よっと、話を聞かせてもらおうか、田中太郎さんよ?」
クロとアクルスが人影を挟む。
その時だった。遠くからパトカーの音が鳴り響く。
「…ここまでか。まぁいい、こいつは後回しだ。」
人影はそう言って手を下ろし、
「…一つ忠告しておく。次はない。次に邪魔をするなら…殺すのみだ。」
クロを睨むと、霞のようにその場から消えた。
「…」
「…」
クロとアクルスはその場にしばらく立ち尽くす。
「…逃げられたな」
「ああ。しかもこれまた面倒くさくなりそうな事件までついてきたな。まぁとりあえず…」
「「逃げるか」」
パトカーの音が大きくなってくる。このままここにいれば間違いなくクロとアクルスは捕まるだろう。
警官が駆けつける直前、クロとアクルスはちょうどとなりにあったビルの屋上に跳び上がり、そこから屋根伝いに現場を後にした。
その直前、クロは地面に何か落ちているのが見えた。
(何だありゃ…ケースか何かか?)
クロはそれが不思議と気になったが、警察に捕まるのはまずいので特に深く考えずその場を後にした。
「…おいおい、何があったんだありゃあ!?」
家に戻った二人が見たのは、割れた窓、散らばる薬莢、飛び散る血と焦げ臭い匂い。
明らかに何かの襲撃の跡だった。